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公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~上越編~2019年9月13日(金)高速バスで行く弾丸日帰り新潟県上越市周辺の城巡りです。今回は春日山城、鮫ヶ尾城、高田城の3城を巡ります。行きのバスは、西武バスの上越線を利用。前日の9月12日の夜に出発。バスタ新宿23:10発、直江津駅前に翌朝5:41に到着。直江津駅直江津駅からはまず徒歩10分の所にある御館跡へ。御館御館御館説明板小さい
昨夜から、長野県南部を中心に、大きな地震が頻発しています。愛知県の我が家でも震度3の揺れが…震源の近くにお住まいの方々は、まだまだ予断を許さずの状況が続くでしょうが、どうか、お怪我などをなさらぬように…。くれぐれもご注意ください∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴☆新潟県上越市★2017.5.3②モコ毬ショコのお城巡りvol.43☆高田城址☆築城主松平忠輝春日山城の登城を終え、ランチを兼ねた、次の目的地へ…。行き先は、お題のとおり高
「お城」の「天守台シリーズ」第16弾は、「高田城」「春日山城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」
大壇城(真庭市山久世)「作陽誌」は「大壇堡」として、大庭郡山久世村にあり、居主不詳と記す。『山久世小史』によれば、地元では「城ヶ段」と呼ばれ、尼子氏の武将井手六衛門が天文期に築城、同氏はのち高田城(真庭市勝山)の城主三浦氏に属し、天正期にかけて在城したと伝わる。(※美作国の山城)西四郭西三郭西二郭主郭土塁が囲むはずだが、見当たらず北東二郭北東堀切北東三郭南二郭南三郭南四郭大壇城遠望軌跡ログ旧真庭郡勝山町の城
朝食和食か洋食選べました朝カレーも食べちゃいました時間的にゆっくりな出発で大丈夫だったのでまた温泉へ♨️高田城🏯桜の名所、見頃は過ぎていましたがお花見も楽しめました鮫ヶ尾城🏯カタクリがキレイでした道の駅あらいでランチいろいろな飲食店がありました釜右衛門ふきのとうとトマト・自家製ベーコンのパスタ季節の味、とっても美味しかったです釜ぶたの湯♨️上越妙高駅前にあり、新幹線の時間まで過ごしました前日に泊まった門前の湯の姉妹店、造りがほぼ同じで料金も同じ、こちらの方が露天風呂
4/11上越市にある高田城にお花見に出かけました。県外とはいえ我が家から車で1時間ほどで到着です。予約しておいた駐車場から歩いて10分ほどで満開の桜が見えてきます。「わーっ」と思わず声が出るほどたくさんの桜が咲いていました。お城を取り囲むようにスポーツ施設などもあり広い公園になっています。以前に来た時にもたくさん歩いた記憶があります。桜トンネルをくぐって外回りをぐるっと回るところから。高田城のお堀は随分幅広く水量もたくさんです。お堀の中には大きな錦鯉が泳いでしました。
今日は備陽史探訪の会の踏査会にお邪魔することになっております。美作経由で備中新見へ勝山の高田城へチョイ寄り石垣造りの虎口が発掘されたようです。その後新見へ楪(ゆずりは)城は新見市の北にある山城で備中兵乱における三村氏・毛利氏の重要な城であったといいます。備陽史探訪の会では幾度かに分けて備中兵乱に関連した城を踏査していたらしく、今回もその一環であったようです。講師は岡山のたかまるサン。因みに楪城の名は城域に楪(譲り葉)↑が多くあったためで、史料等の呼称は新見要害というのが正しいよ
もう終わってしまいましたが先日、高田城址公園の観桜会に行ってきました。今回も夫の職場の駐車場に車をとめさせてもらいました。まずは榊神社へご挨拶。毎年、新年に会社で正式参拝をするそうです。最近知りました(^^ゞ今は跡だけれど大手門の近くの神社です。夜桜が有名なので夜まで待とうと人混みをはなれていつも人が少ないこちらから。露店もなくて、知る人ぞ知るウォーキングコ一ス。サギもお花見していました☺️お堀の枯れ草みたいなものは蓮です。夏は蓮の花がキレイです。毎年人がたくさんで