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昨年「高田の追分」で一旦中断した北国街道歩きですが、雪の時期も終わったので再開です。一日早く上越に入り、タクシーで地元の有名人「上杉謙信」さんへのご挨拶を兼ね、彼の足跡と、その後の戦国期の史跡を、訪ねてみました。まずは、謙信が産まれた「春日山城跡」です。越後守護の「上杉氏」が、府中館(直江津駅付近)の「詰城」として「鉢が峰」(182m)の山頂に築いた城で、守護代「長尾氏」が守備していました。1507年、謙信の父「長尾為景」が上杉氏から実力で越後を奪い、この城を自らの居城とし「総構
シロタンの日々茂みがあちこちに出来て隠れ場所ができた。シロタンのお気に入りの場所。おりおり高田城二の丸跡に鎮もりて小林古径美術館あり鉢植えの藤に花房ふたつつく古径の画室の道すがら青紅葉香れる下道通りきて牡丹の花の五、六本我が家の花畑です。ヒメイカリソウユキザサどうも白い花が好きな私。草ぐさは白花が多い。
「お城」の「天守台シリーズ」第16弾は、「高田城」「春日山城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」