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久しぶりに、父の話をしたい。父が亡くなった日。父のケアを看護師さんたちがしている間、家族3人でICUの控え室で待っていて。その日の当直医の先生から、「お悔やみ申し上げます。こんなときに大変申し訳ないのですが、できれば解剖させていただきたいので、朝までに同意するかしないかを決めていただきたい」というようなお話がありました。父の病気は“腹膜中皮腫”というとても珍しいガンであること、今回あまりにも突然の死であったこともあり、解剖の話が出ることは全く不思議なことではありませんでした
ご訪問ありがとうございます母が集中治療室に入りました。前回の話はこちら⬇️『母、集中治療室へ』ご訪問ありがとうございます救急搬送された母はやはり脳梗塞を起こしていて、集中治療室に入ることになりました。続きです。前回の話はこちら⬇️『やっぱり脳梗塞だった…ameblo.jp集中治療室で、母の容態はとりあえず安定しているということで、看護師さんから帰ってもよいとやっと許可が出た。母はまだ眠ったままだ。入院に必要な物が書かれたプリントを渡されて、明日持ってくるように言われる。集中治療室
手術当日の朝は、9:00頃に点滴のための静脈ルートが確保され、点滴が始まった。手術開始が9:30だったので、その10分前頃には、点滴スタンドを押しながら徒歩で手術室へ向かった。手術室へ到着すると、病棟看護師から手術室看護師へと申し送りが行われ、直ぐに手術室へ通された。手術室へ通されると手術台の上に横たわるよう促され、全裸となり身体の上にはバスタオルとシートがかけられた。そして手早く、身体に様々な器具が装着されて行った。①オキシメーター(血中酸素飽和度測定器)②血圧計③心電図④フッ
こんにちはあしかりあずさです息子は生後7ヶ月の頃に大きな病気をしたことで、重度の障害児になりましたある日突然息子が重症心身障害児に!息子からおそわったこと、学んだこと、息子の頑張りなどなど、障害児との暮らしをブログにしていますある日突然、急性脳症という病気になり…息子の場合は何万人かに1人の割合でしかみられない、かなり重篤な症例でした。急性脳症だけでなく、急性心筋炎に腎不全。他の臓器もギリギリ機能している状態。つまり、多臓器不全寸前…。手足には血が通わず、自力で呼吸もできない
ご訪問ありがとうございます倒れていた母は何とか救急搬送されました。前回の話はこちら⬇️続きです。『母、救急搬送される』ご訪問ありがとうございます母のもとを訪ねた私の目の前に衝撃的な状況が...前回の続きです。前回の話はこちら⬇️『目の前の衝撃』ご訪問ありがとうございます叔母の…ameblo.jp看護師さんが来て、病衣に着替えたので着ていた服は持っているように渡された。それから診察室に呼ばれ、既往症や倒れた時の様子などを聞かれる。救急外来で、総合診療科の若い男の先生だった。「検査
2月前半のNHKは14本。再放送が少なくハートネットTVもETV特集もほとんど新作だったため、本数も内容も充実した半月になりました。まずは何と言っても、広島大学病院の集中治療科を映す、ETV特集『命の砦~集中治療室密着40日の記録~』。命の砦(とりで)〜集中治療室密着40日の記録〜-ETV特集新型コロナで、重症患者の「最期の砦(とりで)」となった集中治療室。様々な医療技術を駆使して命をつなぎ、回復への道筋をつける。中国地方の高度医療を担う広島大学病院の集中治療室を40日に渡り密
朝イチの手術でした手術室へ行く前に、なんか麻酔の慣らし的な?忘れたけど注射をしてベッドごと移動しますね~ってもう、そこからは記憶ないんです尿道カテーテルは知らない間に入ってたよパンツは脱いだのか覚えてないT字帯ってのを用意してたのですがそれを着けたんだか、どうかも覚えてないT字帯ってほっそいヒモだけど何のために着けるんだろうね?なんか無くても差し支えないような…?あ、子宮筋腫のときは、ティージィーパンツってやつをはかされてましたね↓これ【在庫】白十字ティージーパン
術後1日目には集中治療室を出れる!!・・・と勝手に思っていました。なぜなら、前回の子宮全摘の時がそうだったから。。。午前中、集中治療室の患者さん達が次々と病室に移動していきました。私は、何故か何も言われないんですけど・・?カーテンの向こうのおばあちゃんは、病室への移動は明日って言われていました。もしや、わたしも???もう、歩いてトイレにも行けるのに・・?そして、看護士さんに私のお部屋移動も明日って言われて、超ガッカリですあと1日、集中治療室に居る事に。。。集中治療室って術後
2021年11月29日~30日覚醒後のICUにてICUで一晩過ごさせていただきました.8床ある大部屋で,夜間はベッドの周りのカーテンは閉じられているものの生命に危険が及ぶような循環器系の重症患者さんをはじめ術後の集中管理が必要な患者などを対象に24時間体制で集中的な治療や看護を行っているため,この中にいると昼夜の区別が全くつきません.術後,ぼんやりとした頭で手術が無事に終了したという言葉を聞いたのが午後3時ごろ.肺葉切除にしろ,肺区域切除にしろ
『ええ!!入院ですか??』びっくりしすぎて、だるさの嫌悪感が和らいだ。『肝機能の数値が異常に高くなってるからね。原因が分からないからしばらく管理入院。』入院準備してまた夕方に行けばいいと思っていた矢先……『このまま入院ね。』『ええ!!なんにも持ってきてないんですが……』外来で帰るつもりだったので何も準備していない。しかも、入院した部屋がNFICUという、母体胎児集中治療室で安静という形になった。個室の入院室では、部屋から出る事を一切許さ
*初めましての方*初めて会う先生から、今の虹翔の状態について説明された。紙を渡された。悪いことばかりが書かれている。免疫不全症の疑いで入院中の虹翔くん。数日前より胃腸炎になり、嘔吐下痢の悪化から、脱水症状となりました。そして今日、午前中に一度、午後からまた痙攣がありました。パソコンを開いて、採血データを見ながら説明を聞いた。その画面を見ると、先生が話す前に、明らかに異常値だらけなのがすぐに分かった。ここへ来て、血液検査、頭部のCT、骨髄液の検査、脳波検査をしました。虹翔くんは現在
*初めましての方*次の日。夕方になって看護師さんに今日の様子を聞いた。朝1回吐いちゃったみたいだけど、その後は順調にNGからミルクを入れられたらしい。1回自分でNGを抜いちゃって入れ直しをしたと聞いて、抜ける元気があってよかった!と思った。でも、全然笑わないって言ってた。寂しいよね、辛いよね。辛い時にそばにいてあげられなくてごめんね。早く治していくから、待っててね。ベッドに横になっていることしかできない自分が本当に本当に情けなかった。一緒に倒れてどうする、自分の健康管理もできないな
DokoさーんDokoさーん手術終わりましたよーと言う呼びかけで目が覚めた目の前にはホンモノの麻酔科メガネドクター目を開ける閉じる(。-_-。)すると再びDokoさーん!!と、さっきよりも大きい声で呼びかけられた再び目を開ける二度寝して怒られた感手術終わりましたよと再び麻酔科メガネ視線の先には見慣れた婦人科の看護師さんが二人立っていたあれ?術後は集中治療室入るんじゃなかったっけ?
昨日は1週間ぶりに晴れた!鹿児島でちゃんと花見しないうちに桜は葉桜に…今からツツジ楽しめるね一昨日雨の中ちょっとだけツツジ鑑賞。先週火曜日施設より緊急搬送された義母。誤嚥性肺炎で一時危なかったみたい。ICUに入り2日してドクターより連絡。肺がまだ白い、炎症反応がある、貧血症状ということでステロイド投与と輸血許可の確認。承諾して一昨日症状は落ち着きいったん管は取るが今後また悪化可能性大で今後の延命処置はどうするか家族で話し合い連絡くださいということ。兄弟3人で話し合い胃ろうや心臓マッサー
こんにちは、美耶です今回約半月入院しました。実は生死を彷徨う壮絶な経験でした自宅で意識がなくなり救急車で運ばれたのですが全く記憶がありません。原因は抗がん剤で副腎皮質ホルモン不全になったことによる低ナトリウム血症です。集中治療室では血圧が50を切り人工呼吸器を装着。医師にやれる事は全てやりました。と言われたそう本当あの世に行く所でした約3日間意識なく、人工呼吸器と点滴で生かされました。意識もうろうとしている中、赤ちゃんの狂ったような物凄い鳴き声で意識が戻りました
手術後にSCU(私の場合はICUではなくSCUでした)で目覚める頭がふわふわ状態でスッキリしません私は…助かった?生きてる?あの不思議な感覚はどう表現すればいいのでしょうか手術前聴神経腫瘍のネット検索をしているとICUが地獄だった地獄だったという言葉を見かけましたが本当に地獄でした泣体力がない私は地獄以上でした泣とにかくダルい起き上がれない私の場合は吐いたり天井が回ったり頭痛などの症状はなかったもののとにかく眠いんです寝かせてください看護師『今日は何
昨日は病院の支払いに行った。久し振りに病院の駐車場に入った。色々思い出すのかなと思ったけど駐車場には特に感じるものは無かった。車を停めとぼとぼ歩くと正面玄関が見えてきて「毎日毎日通ったなぁ・・・」と思った瞬間夫の横たわった姿が鮮明に思い出された。目に浮かぶとはああいう感覚なのか。「やめてやめて」当たり前だが病院には夫の良い思い出は無い。絶望的な悩みだけを抱えていた場所。いつも行っていた病院の食堂でよく注文していたミニカレーを食べようと予定していたが中止することにした。用事
その後先生に呼ばれ両親お兄さん夫婦私たち3人も部屋に入ったCTやMRIの写真を見ながら今の状況今後の事・・の説明を受けた短時間で究極の選択を迫られた先生のお話では今は強い点滴の薬で心臓が動いているがそのうち体が弱ってきて心臓も持たなくなります。その時に延命措置を取りますかとの内容だったただ心臓が止まった時強い心臓マッサージなどで肋骨が折れたりご本人様の体を痛めることになります・・との事突然の選択に皆は返答に困
実家から数メートル先の駐車場にパパが車を取りに行き実家の玄関先で車を停めてくれるのがいつもの帰宅パターン数分待っても来ない・・外に出て車がやって来る方向を見るが来ない・・私の妹が見に行ってくれた嫌な胸騒ぎがしたのを覚えている見に行ってくれた妹が遠くから私の方に向かって叫んでいる『パパが』その一言で私は普通じゃない何かが起こっていることを理解した猛ダッシュして停まっている車に行くとパパが運転席で座っている・・助手席の方に顔を向
17時前に大学病院へ到着救急車を降りると先生や看護師さんたちがわらわらと現れ長男のストレッチャーを押していくドラマで見たことのある光景だ・・・長男に付いていきながらストレッチャーを押す女医さんの質問に答える「症状はいつからですか?」いつから?いつから・・・・・「昨日腹痛を訴えて、今週あざを見つけて、先週は幼稚園バスの中で一回吐いたこともあって・・・2~3週間前に酷い下痢をしたあとからなんだか体調がすっきりしなくて顔色が悪かったり・・・」
私が正体不明の間に主治医と夫の間で交わされた書類が出てきて何が書いてあるんだろう・・・と誰もいない昼過ぎの家の中で1枚1枚見ていた。今度は、救急搬送の翌日に書かれた病状説明・同意書。それによると搬送当日の心停止状態から事態はさらに悪くなり装着することで脳梗塞、出血、足壊死などの合併症のリスクがあって
麻酔科医の先生と相談で太い血管に入れて貰うことが出来たのは救急搬送から6時間以上経っていた。集中治療室へ入院になったので面会時間が限られており、一旦帰宅しお昼の面会時間に合わせて再び戻るつもりでした。帰宅してから三時間が経つかどうかのタイミングで病院から容態が変わったので来ていただけますか?との連絡が…。集中治療室へ入ると先生方が代わる代わる心臓マッサージと強心剤投与を交互にして下さってるところでした。そこで主治医から何本も強心剤を試していますが全く反応してくれないんですと言われる。もう楽にさ
す手術当日午後13時過ぎ主治医はまだ1件目のオペから帰ってこない主治医がいないから今日のオペどうなるかわからないけど準備万端そんな時、ひょっこりと部長が現れた。‼️わざわざ部長が診にくるなんて、なんだか患者として一人前になった気分やわどう?大丈夫?と。熱も下がったし大丈夫だと答え、今日手術できるかどうか聞くと、悪いものは早く取ったほうがいいのであんまり引き延ばすのも…と。でも結局、主治医が戻るのを待ちましょう。
身体は苦しいわ、でも眠れないわ、でどうしようもなくベッドでぐったりしていると😭1人の若い看護師さんがやって来た。私が運ばれて来た最初から担当してくれた方のようで彼女と私は目が覚めてから初めて対面!😵眠れない私に付き合って、私が意識不明中にあったことを少しずつ話してくれた。「○○さん、運ばれて来た時には本当に危険な状態だったので爪に機器をつけて酸素量も見ないといけないんですけどジェルネイルしていらっしゃっ
今から、約2カ月前に無事手術を、終えました。開胸/開腹手術です。多分。一番メスが、必要な、手術。画像乗せたいが、悩んでる。手術は、当たり前ですが、全く覚えてないが、目覚めた時、もう、ハンパないパニックと、痛み。これは、ホントすごかった。ホントに。今思えば、生きて無事手術終わった証拠なのに、信じられない位もう、痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて、なのに、呼吸器に、パニックに、なり、これ、説明出来ないんですが、いわゆる、マスクみたいな呼吸器でなくて
術後2日目の朝、お腹の右下あたりが痛くなりました。自然と痛みが消えるわけではなく、段々段々と痛みが増してきましたナースコールを押して集中治療室の看護士さんに伝えると、背中から繋がってる痛み止めの残量が無くなってる・・と。今までは痛み止めが効いていたからそんなに痛くなかったけど、無くなったらこんなに痛いの〜?ってお腹を抱え込んでいました。それからまたしばらく待たされて、次は主治医のチームの研修医の先生がきて、そのまま背中の痛み止めの管を抜かれました『先生!こんなに痛いのに管をぬくんで
術後、声を掛けられストレッチャーで意識朦朧としながらもすぐに「今何時ですか!?手術できたんですか!?」と聞いた私。看護師さんがびっくりして「先生!患者さんが!」と言ったのを覚えてます(この時点で皆さんまだまだぼんやりしてるそうな…)。先生が「腫瘍が思ったよりちゃんと取れたよ!手術して良かったよ!」と答えてくれたのもはっきり覚えています。午前中でしたが、この日はそのまま集中治療室へ。スマホも本も何もなかったので、看護師さんが用意してくれたラジオに救われました。クリスマス前だったので延々クリ
暇すぎて、連日ブログかいてますね、私みなさんのブログにもお邪魔させていただいてますこれからも宜しくお願いしますm(__)m入院生活5日目夜中3、4回目覚めるものの、入院してから一番ぐっすり眠れた気がする朝のモニターをすると、赤ちゃんの心拍145〜165、ベースは150台と落ち着いていました30分のモニター中、強いはりが2回、その間に弱いはりが数回ありました。看護師さんに「これって、前駆陣痛ですかね?」と聞いてみると…看護師さん「前駆陣痛…かもしれないけど……子宮の収縮…まだ30週あた
待合室に着いて少しすると汗をかいた先生がやって来ました。先生「手術は無事終わりました。」「大腸見られますか?」わたし「はい。」血が苦手な旦那は後ろを向いて…。17年息子の体で頑張ってくれたんだなぁと。先生「想定していたよりもひどくもう少し時間が経っていたらやぶけてしまうところだったと思います。悪い場所も8割切除ではなく9割ほど摘出しました。」先生にお礼を言って待合室をあとにした。あとは息子の麻酔が覚めるのを待つ。1時間ほどたっただろうか。麻酔から覚めたと連
もうPICU(小児救命救急センター)にめいが入院して1ヶ月が過ぎた。沢山繋がれた管が少しづつ減っていく。腎臓の機能も、おしっこが出る様になってきたので、1ヶ月で、人工透析を終了。栄養は、鼻の管から、直接胃へいく経管栄養に変わった。右足の筋肉壊死の部分は、膿が、沢山出ていたので膿を出す為の管もあったけど、いつの間にか、外してもらっていた。肺🫁の状態は、まだ硬くて、最近まで左肺に気胸があり、そこからも管があったけど、それも終了まだまだ人工呼吸器は、手放せないけど。今尚PICUにいる理