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抗酸化がガンにいい。そう聞いてお野菜も有機野菜に変えました。ハーバード大学の発表でガン細胞を撃退する「サルベストロール」は農薬が掛かるとほとんど作られなくなってしまうそうです。https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2375304/わたしそういえば口内炎が今まで一度も出来たことがないのですが実家に暮らしていた頃はほとんど祖父が作ったお野菜(無農薬)と家で平飼いしていたニワトリの卵を食べていました。
こんばんはcocoですタケキャブを服用しきっとこれで痛みは治まるっ‼︎そう信じてなんとか家で一晩過ごしました翌朝やっぱり痛い・・・その日は、となりの市に住む実家の母が膝関節の手術のために市立病院に入院する日だったんですだから病院へ送るためもともと休みを取っていました痛いのをガマンしながら車を運転し🚗母と市立病院へおかしい・・絶対おかしい・・・こんなに痛みが続くなんてだんだん背中も痛くなってきて「悪代官」に言われた胃潰瘍じゃない気がしてきました(注:
こんばんわcocoです仕事終わりにそのまま家の近所の内科クリニックへそこのクリニックへは以前に風邪の時とか何度か行ったことがありましたすごく気さくでやたら声が大きくて見た目はいつも赤ら顔でおなかがぽっこり出た豪快な院長先生私はひそかに「悪代官」って呼んでました(↑先生ごめんね😅)いい先生だとは思うけどちょっとアバウト的な印象だったのであまり行きたくはなかったんです・・・でも時間的に大きい病院は無理だし・・薬をもらえば治るだろうと思っていました溝落ち
早いもので、母の四十九日の法要が終わりました親戚が集まってくれてお寺に行って何やら拝んでいただいてその後は、みんなでおいしいご飯を食べてなごやかな会になりました父が予約した会席のコースがちょっと高いものだったのでみんなお腹いっぱいになりすぎましたその後は、家に帰ってきて女性陣で形見分けを行いました母はおしゃれさんだったので、私と妹で厳選した母の服たちはほとんどみんな持っていってくれましたその前に結構捨ててしまったので妹と2人で、それも捨てなければよかったねと笑い合
2018年3月H大学病院へ入院入院翌日はEUS(超音波内視鏡)の日でした朝から絶食でも絶食はもう慣れっこ何てことはないんです検査室に呼ばれまずは、胃の泡を消すアクエリに似た味の飲み物を渡され一気に飲み干すあまり美味しくない・・・検査台へ横になり喉の奥の感覚を麻痺させるスプレーみたいな薬を看護師さんが口の中にプシュっと💦これが恐ろしくマズい・・・うつ伏せに寝てマウスピースを付けて鎮静薬が点滴で入り看護師「これで眠くなりますもし途中で目が覚めて、しん
みなさんこんにちわ今日は入院に持って行くと便利なグッズをご紹介したいと思います約4年の間に、3つの病院で合計16回の入院を経験した私が持って行ってよかった‼︎と思うものベスト10です♡1.スマホスタンド(100均)色々角度が変えられて超便利‼︎ベッドサイドテーブルに置いて動画見たりしてました2.スマホホルダー術後やベッド上で安静の時ベッド柵にクリップで挟めるタイプが便利でした3.延長コードこれはもう必
私は老健施設で事務の仕事をしています老健というのは、いわば病院と家の中間のような役割をする施設で退院してすぐに家で生活するにはちょっと難しい、といった介護認定を受けた方が介護保険を使いリハビリをして家に帰って元の生活ができるようになることを目指す施設で施設長はドクターなんですうちの施設長の先生は元国立大学病院の外科医でした腎臓を患って、外科医としては一線を退かれ、老健の施設長になられたんですがなんと私にとっては奇跡的にも肝胆膵がご専門だったんですなので、施設
今、わたしたちがお世話になっている先生は「標準治療isTOPof治療」と仰る主治医の先生と「抗がん剤も確かに効きます。でもそれだけではダメですよ」と仰るセカンドオピニオンの先生。今日は、そのセカンドオピニオンの先生の話をします。その先生は、開業医でもありながら、週に1度、古巣の大学病院で執刀もしている先生。本当は大学に残れば偉いお医者様になれるはずだったけど標準治療で助けられない命を救いたい、と言って開業された方です。なので、海外では認められているけど日本では認可されていな
朝)ごはん、みそ汁、ウィンナー2本、目玉焼き、冷ややっこ、お新香、スギナ茶昼)なし間食)パイン3切夜)鶏もも肉の照り焼き2切、みそ汁、もやしとワカメの酢の物、スギナ茶今日もお笑いを見て笑ってた夫氏。よきよき写真館でも沢山笑っていたので今日NK細胞が活性化したはずいいぞ、いいぞ。このまま笑ってすごすのだ
はじめまして高1と中1の子を育てているRyokoと申します。2023年1月4日に大腸がんと告知されました。このブログは注射が大っ嫌いで痛みに弱い、ヘタレな私の闘病記録です。入院まであまり時間がありません。病院から貰った入院案内を参考にしながらリストを作り持ち物を用意しました。今まで大部屋の入院はしたことがな
ついにH大学病院へ入院の日「入院翌日にまずEUS(超音波内視鏡)そしてその次の日にERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)内視鏡的膵管ステント留置術をやります」と、Dr.から説明がありましたEUSは今まで何度かやったことがありましたがERCPは初めてなのでかなりのビビり症の私はめちゃくちゃ緊張していました病棟に入り部屋で荷物を整理していると私の担当になったという看護師さんが挨拶に来られました「え⁉︎もしかして○○さん(私の名前)⁉︎」見ると見覚
おはようございます☀︎こんにちは⭐︎こんばんは!太来です☺︎▶︎抜け毛。イムラン始めた時に先生から、抜ける可能性があるからと言われ、多毛やし、まぁいいっかってくらいやったけど。季節の変わり目も相まって、抜け毛がひどい。床に落ちてる毛は、自分のじゃないと思いたいが、大半が、自分のや。布団周り。ドライヤーした後の床。特にひどい。髪に指を通したら、数本着いてくる毛。剛毛で硬毛やったのに、細くなって、抜けて。頼むから、耐えてくれー。▶︎内服朝・プレドニン錠5mg(
大学病院入院3日目いよいよERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影)内視鏡的膵管ステント留置術の日ですカメラが胃を通過し十二指腸まで入り膵臓の入口から造影剤を入れて膵臓の状態を見るという・・・なんとも聞いただけで恐ろしい検査ですそして狭くなってる膵管のところにステントを入れ、3ヶ月間留置し膵管が詰まらないようにするという処置検査台にうつ伏せになり鎮静剤が入って意識がなくなり・・・今回は無事に目が覚めることなく気がついたら部屋のベッドに戻ってきていました「
こんばんわいつも読んでいただきありがとうございますH大学病院に移り1年間にわたって内視鏡的膵管ステント留置術を受けることに決めたのが2017年12月のことスタートはそんなにめちゃくちゃ急がなくてもいいと言われたので心の準備と仕事の段取りをつけてから入院したかったので2018年3月に1回目のステント留置をすることにしましたでもその12月から3月の3ヶ月の間になんとまたまた膵炎を起こし、地元の市立病院で6日間の入院・・・結局、1年ちょっとの間に膵炎で7回
このブログにたどり着いてくださりありがとうございます。ぽよ美です🐷2017年生まれの次女「ぽぽちゃん🐿」2017年12月に1度目の川崎病を発症2024年1月に2回目の川崎病と同時に指定難病のJIA(若年性特発性関節炎)の暫定診断を受けました。2024年1月初旬から2回の転院を経て約2ヶ月の入院生活を終え3月初旬に退院。2024年7月中旬プレドニゾロンは0mgになりメトトレキサートの服用を開始。少関節型だろうと言われていますがハッキリとした診断を貰えぬまま定期
こんばんわcocoですさて2017年2月に2度目の急性膵炎になってからその年はなんと6回もの急性膵炎‼︎‼︎そして入退院を繰り返したんですそれも原因不明の・・・2月、3月、ちょっとあいて8月は中旬と下旬の2回もっ‼︎‼︎10月、11月の計6回ですもう急性ではなく慢性膵炎となってしまっていました何度も何度もCT、MRI、EUSなどなどあらゆる検査をしましたが主治医の先生の言うことは同じで👨⚕️「膵体部の膵管が細くなってるところがありますが、腫瘍も石もな
おはようございます☀︎こんにちは⭐︎こんばんは!太来です☺︎▶︎ワッパー祭り。バーガーキングでワッパー祭りが開催されると知り、滑り込みで行ってきた。今回は、上司おすすめのダブルワッパーチーズセットを。値段なかなかなもんやったけど、ボリューム凄くて、炭焼きの香りが漂い、めっちゃ美味しかった。前にも書いたけど、何でもっと早くバーガーキング行かんかったんやろ。大満足なチートデイ。チートデイばっか笑最近体がホンマ軽くなってきた。疲れやすくはあるけど、前の状態に戻りつつある?かな
悪いことばっかりじゃないそう思います今年の2月告知された時は頭の中が真っ白になり怖くて震えた死にたくない…毎晩、1人になると涙があふれて止まりませんでした職場の上司と一部の同僚そして、ごく一部の大切な友達にだけ病気について詳しく話をしたんですでも、うろたえて落ち込んでるなんて絶対に思われたくなくて気丈に振る舞っていましただけど今思うとそんなこときっと見抜かれてたんですね本当にみんな優しかった愛があふれていた「心配しなくていい。絶対に大丈夫だから」と次々
2019年3月膵管にステントを留置してから1年いよいよ抜去のための入院ですこれが終わるとやっと3ヶ月ごとの入院からも解放されもう入院することなんて、きっとないはずそう思っていました腫瘍マーカーの数値CA-19-9がなぜか少し上がってきていたので先生👨⚕️「大腸がん、胃がん、肺がんの検査をやっておきましょう」そこまで高い数値ではないけど念のため、この最後の入院中にまとめて検査することになりましたこれまた全部初めてやる検査ばかりで、私にとってはかなりの脅威でし
最近は夫氏の病気とこれからのことを頭から湯気が出るくらい考えていたのでふと自分が病気だった時のことを振り返ってみた。今から16年前、わたしは死にかけた。子どもを妊娠中にどうも左耳の調子が悪いと感じて近所の小さな耳鼻咽喉科を訪れた。先生がひとり、看護婦さんがひとりでやっている小さな耳鼻咽喉科。先生の齢は恐らく30代から40代。左耳を見るなり「これは普通の中耳炎じゃない。真珠腫性中耳炎と言って、手術が必要となるから出産後早めに大きな病院に行くように
こんにちは✨これは私が今もなお、治療している掌蹠膿疱症という病気の闘病記録です。この病気を少しでも知って頂きたい同じ思いをされてる方へのエールとなればありがたいそんな思いで綴っております。2018年6月病院でのビオチン処方でやっとちゃんとした治療になったなぁと少し安心した日々を送っていました精神的には前ほど悩む事も少なくなり綺麗な手で子供と手をつなぎたいただそれだけの思いで8時間間隔でビオチンを服用していました
こんにちは✨これは私が今もなお、治療している掌蹠膿疱症という病気の闘病記録です。この病気を少しでも知って頂きたい同じ思いをされてる方へのエールとなればありがたいそんな思いで綴っております。最近の手足ですかかとはカサカサ(皮はめくれません)膿疱なし爪も良好アオタンはどこかにぶつけた痕です笑笑私福島出身なのですが、このアオタンの色を福島ではぶんずいろと言いますブドウ色→ぶんずいろらしいですよ余談でした笑笑手も大丈夫です🎵最近は素手で茶碗あらってます前
癌になった経緯を上げると思い当たる節がありすぎる・・・2018年から今まで帰宅時間は毎日2時、3時。酷い時は朝の6時にタクシーで帰宅してシャワーを浴びてそのまま職場に戻ることもあった。ごはんは帰宅してから。つまり2時に帰ったら2時にごはん。3時に帰ったら3時にごはん。さらに毎晩欠かさず晩酌。企業戦士(死語)だったんですよね。「こんな働き方したら体壊すよ」と言っても「現場で死ねたら本望だ」と言っていた夫。お酒も、365
はじめまして高1と中1の子を育てているRyokoと申します。2023年1月4日に大腸がんと告知されました。このブログは注射が大っ嫌いで痛みに弱い、ヘタレな私の闘病記録です。私の大腸に撒かれた青い液体が映し出されたモニターを見ているとき夢か現実かよく分からないくらい頭がぼんやりとしていました。これはポリープや粘膜の状態をよりよく見えるようにするための液体だそうです。モニターを見つめて
はじめまして高1と中1の子を育てているRyokoと申します。2023年1月4日に大腸がんと告知されました。このブログは注射が大っ嫌いで痛みに弱い、ヘタレな私の闘病記録です。鉄剤を飲み始めてから3週間がたち、通院の日がやってきました。この日は鉄剤を飲み続けて、血液の数値の変化をみるので免疫血液内科の外来予約時間の1時
お雛様を出しました!2025年2月の通院Dayでした。今月は泌尿器科でカテーテルをもらいに行くだけでした。こんにちは、子宮頸がんで闘病中の「ふみ」です(*´꒳`*)🤍毎年子宮頸がん検診を受けていたのに子宮頸がんの腺がんに😨♦︎2023年6月15日【広汎子宮全摘出術+両側卵巣卵管摘出+骨盤リンパ節郭清】♦︎2023年7月20日~8月29日抗がん剤5回&放射線治療28回♦︎現在は経過観察中〜今の気持ちを素直に書き綴っています。はじめましての方はこちらか
同じように子宮頸がんになって治療受けているブロガーさんのブログに勇気もらってます!!上手く言えないけど、皆さんが頑張っているから私も頑張れる。そんな感じですブログも早く現在に追いつきたい💦こんにちは、子宮頸がんで闘病中の「ふみ」です(*´꒳`*)🤍振り返って、ブログを書いてます。早く現在に追いつきたい😂はじめましての方はこちらからどうぞ☆『はじめまして~三姉妹ママ、37歳にして子宮頸がんの腺がんになってしまった!!』はじめまして、”ふみ”と申し
市民病院から大学病院へ紹介され、約2ヶ月待ってやっと予約日がきました!ここまで長かった‥😭😭😭隣県に住む妹が付き添ってくれたので、受診前にランチ。低温調理されたフレンチっぽいとんかつ。とんかつなのに器がおしゃれ!そして油がしつこくなくてすっごく美味しかったです。初診受付で紹介状を提出し、事前問診へ。その後整形外科へ。初めてお会いした担当医は柔らかい感じの先生。大学病院の先生ってプライド高そうなイメージだったけど、(偏見)すごく優しくて丁寧な先生でした😆病名は「脊椎硬膜内髄外
転院したその日、歳の頃はわたしたち夫婦と同じくらいの主治医にしごく単純な質問をしてみた。「先生、抗がん剤はいつまで続けないといけないのでしょうか?」「抗がん剤で癌は治りません」「ってことは、生きている間ずっとですか?」「そうなります。ですが、血管もボロボロになります」(うわぁ、正直・・・)と、心の中つぶやきつつも「長い人で何年間やっているんですか?」「・・・10年やっている人はいません」野暮な質問をしてしまった、と反省した。抗がん剤は確かに
人生初の人間ドックを受けました。昨年から夫の扶養を抜けて、自分で社会保険に加入したためです。会社や保険団体にもよるのでしょうが、被扶養者と被保険者では、無料で受けられる検診の内容が違う。被扶養者のときも、もちろんお金を払えば人間ドックを受けることはできるのですが、その金額がなかなかなもの。それに、一般検診は毎年受けていたし、婦人科検診の有料オプション(子宮頸がんとか乳がんの検査ね)もプラスしていたので、まあ世間で推奨される一般的な健康チェックはできてるだろう、となんとなく思っていまし