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韓国は明日から3連休なんですが、梅雨が……連休期間中に雨が降るという予報です。南部地方は確実に雨が降りますが、ソウルがある中部地方まで梅雨前線が南から北へ上がってくるかどうかはまだはっきりしないようです。連休中、天気が良ければいいんですが……どうやら雨が降る可能性のほうが高そうです。[これは先週の日曜日(7月12日)の話です。]『東大門_文具玩具通り(昌信洞文具玩具市場)』どうして忘れていたのか分かりませんが……今週の金曜日は祝日でした〜憲法を制定した日、制憲節で
節分前、頭はボーッとするわ体は何となく怠いわというモヤモヤした状態が続きましたスッキリしたくて、どこか寺社仏閣にお参りをと思ったのですが頭に浮かんでくるのが中華街🥟中華街🍜横浜中華街〜🪭🐼🪅ばかり何故?!笑横浜中華街にも、関帝廟媽祖廟という廟(厳密にいうと違うらしいが、日本でいう寺社仏閣)はあるのですが。ということで、久しぶりにやってきました!朝9時の中華街は人もまばら。絶賛、春節中なので観光客の人混みを覚悟していましたが、今の中国との関係もあってか全然でした。まずは
三国志のカリスマ、曹操。彼の人生で最も有名な「恋」といえば、武神・関羽への異常なまでの執着でしょう。文字通り、曹操が関羽に惚れる理由を語る書物は数知れません。では、同じく劉備軍の猛将であり、長坂の戦いで八面六臂の活躍を見せた趙雲に対して、曹操はどう評価していたのでしょうか?「生け捕りにせよ」というあの名シーンは史実なのでしょうか?この記事では、曹操による関羽と趙雲の評価の違いに焦点を当て、関羽と趙雲の待遇差の背景にある、曹操の人間臭くも偏愛に満ちた「武将を見る目」を、史実に基づいて解説し
さて曹操vs袁紹戦から。「戦争の90%は兵站」とも言われるほどに大切な物資輸送ですが、確かにこーゆー描写を見ると舗装されていない道に荷駄隊を進ませるのは当時不可能だったんでしょうな。進軍するだけならまだしも兵站を考慮すると、いかに広い中国とはいえ当時の軍隊の移動ルートは相当限定的だったんでしょうなぁ…そんなわけで文醜を誘い出した曹操。これ、どういう仕組み?火薬が発明されるにはまだ400年くらい必要です。そんな中で夜間にこんな狼煙を上げるには、矢に火を付けて上空に放つ他ありません。だけどそ
ついにこの男が登場するのか…さて曹仁軍を完膚なきまでに叩きのめした劉備軍。劉備が手に入れたこの樊城、三国志的には今後も非常に重要な舞台となる城なので、場所は覚えておきましょう。ちょうど魏呉蜀の中間点にあるような立地ですからね、そりゃ熾烈な奪い合いの舞台にもなります。まさかこの時は関羽もここが自身の最後の地になるとは思ってもいなかっただろうしな…さてここで劉備が謎の行動に走ります。劉泌の甥である寇封を養子にもらうんです、そうです彼が劉封です。まぁ彼の最後は皮肉というか悲壮感のあるものにな