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現在、プロ野球12球団で一番人気が有るマスコットと言っても良いのが、東京ヤクルトスワローズの、つば九郎である。つば九郎は、如何にして誕生し、そして、球界きっての人気者(人気鳥?)になって行ったのかを紐解いて行くと、東京ヤクルトスワローズのルーツである、国鉄スワローズに行き着くのであるが、今回は、スワローズの歴史を、マスコットという観点から振り返ってみる事としたい。<1950(昭和25)年、国鉄スワローズ誕生!球団名の由来は、特急「つばめ」>1950(昭和25)年、プロ
ONとの対決により、大リーグボール2号が打ち砕かれる幻影による不安から脱した飛雄馬そんな時、中日から黒松というピッチャーが移籍してきたこの男、伴との交換トレードでやって来たのだが与えられた背番号が、伴のお古の119と聞いて憤慨する一癖も二癖もありそうな黒松に飛雄馬も困惑するが黒松は飛雄馬の闘争心を煽り立てるライバルとして獲った事に気づいた飛雄馬は、それを受けて立つ決意をするそしてキャンプ最終日、紅白戦が行われる事になったが紅軍先発飛雄馬の発表に黒松は「自分を白
開幕間近になってもやる気を失った飛雄馬は立ち直れなかった相変わらず球拾いに身を落し続ける飛雄馬に伴も気が気ではない飛雄馬を気遣う伴はついに自らも二軍落ちを中尾二軍監督に申し出るのだが・・・そんな中ついに1969年度のシーズンが開幕した後楽園での巨人軍の開幕戦相手はこの年、サンケイアトムズからアトムズと名前を代えた別所監督率いる現ヤクルトスワローズ眉毛が黒い別所さんwww巨人の開幕投手はこの年400勝達成を目指すカネヤン一方のアトムズは河村保
通算400勝を挙げたプロ野球界最大の名投手・『カネやん』の愛称で親しまれた金田正一さんが旅立たれました。(享年86)ついこの前まで「サンデーモーニング」(TBS系)のスポーツコーナーにも出られていた位で、『元気』と書いて『カネやん』と読ませるのでは?と思える程、元気さが感じられる方だったので『まさか』という思いでした。現存している東京ヤクルトスワローズの前身球団の国鉄スワローズで球団創設元年の'50年から'64年までの間、353勝も挙げ、更に通算でも38本塁打も放つ等、今でいう大谷翔平ライク
台湾キャンプであわやパーフェクトの好投を演じた飛雄馬は、軽くても速球だけでやって行けると自負するそんな頃、同じテレビ番組で共演した花形と左門はもし今の飛雄馬と対戦したら必ず滅多打ちにすると宣言した同じ番組に出ていた金田は飛雄馬の新変化球に期待していたが、飛雄馬自身がその気のない事に気付き絶望してしまう一方花形と左門が飛雄馬の欠点に気付いたと知った一徹もまた絶望するのであったそんな事とは知らない飛雄馬は台湾キャンプも終わり帰国の途についていた台湾での好投
宮崎キャンプで運命の女、日高美奈と出会った飛雄馬は練習後毎日、美奈の勤める山奥の診療所まで通った契約更改問題も解決し、美奈との交際にウキウキの飛雄馬は練習でも球が走ってるように思えたが・・・なんと川上監督から二軍行きを命じられてしまうあまりに理不尽なこの命令に反論するが「今までのお前なら更に躍進するため猛特訓をしていたが今のお前は、普通の練習で満足している」と論破されてしまうこれにショックを受けた飛雄馬は、野球と恋愛は両立できないと考え、別れを告げるために日南海岸で
飛雄馬は大リーグボール2号でついに宿敵花形を打ち負かした見事リーグ制覇5連覇を成し遂げ、更に日本シリーズでも消える魔球で征し、川上巨人をV5に導いたしかしまだまだ飛雄馬の戦いは続くのだというわけで今回から栄光の星編ですこれが最終章となり、今回は第133話「大投手・金田の引退」というエピソードです物語は少し時間を遡ります1969年(昭和44年)10月10日巨人の星では阪神戦でV5を達成していたが史実ではこの前日の中日戦で巨人が勝ちV5を決めているこの日は
契約保留のまま宮崎キャンプに参加、頑なに年俸10割アップを固辞していた飛雄馬だったが、看護師見習いの日高美奈との出会いであっさり契約更改練習にも熱が入り、周りを驚かせた飛雄馬は練習後、毎日美奈の働く診療所に出向き美奈と密会を重ねていた美奈に誘われ、お気に入りの場所に案内された時ついに飛雄馬は美奈に告白「俺にもあの雲のように語りかけてほしい・・・」だが美奈はそれには何も答えなかった「い・・・・痛い」飛雄馬、美奈の手を強く握り締めすぎた「あ・・・・ゴ・
野球雲ブログのプロ野球、伝説のシーズン30勝投手列伝も金田正一投手で19人の紹介が終わりました。ここで、もう一度30勝達成リストをUPします。あらためてみると、すごい顔ぶれです。この19人の中で100勝達成していないのは権藤博投手ですが、最初の2年間の濃度がすごすぎます。そして、ご健在なのは杉下茂氏、権藤博氏のお二人です。それでは、19人のバックナンバーを再度並べます。『★伝説のシーズン30勝投手列伝⑲-2金田正一~熟年の30勝。さらば国鉄ス
スポーツ選手にとって体は資本であり結果を出すための技術の向上も体が健康でなければ望む事は出来無い。それを作っていくのが食事である。これはプロ野球も例外ではない。近年、栄養学が発展しバランスのとれた食事が取られる様になったが、そういったノウハウが発展していなかった頃の食事はどうだったのか。主に昭和時代のエピソードを中心に紹介していく。〇金田正一(国鉄他)現役時代から栄養バランスを考えた食事をとっていた事で有名な400勝投手。国鉄時代はキャンプ中は宿には泊まらず一軒家を借りていたそうだ。専用