ブログ記事432件
契約保留のまま宮崎キャンプに参加、頑なに年俸10割アップを固辞していた飛雄馬だったが、看護師見習いの日高美奈との出会いであっさり契約更改練習にも熱が入り、周りを驚かせた飛雄馬は練習後、毎日美奈の働く診療所に出向き美奈と密会を重ねていた美奈に誘われ、お気に入りの場所に案内された時ついに飛雄馬は美奈に告白「俺にもあの雲のように語りかけてほしい・・・」だが美奈はそれには何も答えなかった「い・・・・痛い」飛雄馬、美奈の手を強く握り締めすぎた「あ・・・・ゴ・
スポーツ選手にとって体は資本であり結果を出すための技術の向上も体が健康でなければ望む事は出来無い。それを作っていくのが食事である。これはプロ野球も例外ではない。近年、栄養学が発展しバランスのとれた食事が取られる様になったが、そういったノウハウが発展していなかった頃の食事はどうだったのか。主に昭和時代のエピソードを中心に紹介していく。〇金田正一(国鉄他)現役時代から栄養バランスを考えた食事をとっていた事で有名な400勝投手。国鉄時代はキャンプ中は宿には泊まらず一軒家を借りていたそうだ。専用
宮崎キャンプで運命の女、日高美奈と出会った飛雄馬は練習後毎日、美奈の勤める山奥の診療所まで通った契約更改問題も解決し、美奈との交際にウキウキの飛雄馬は練習でも球が走ってるように思えたが・・・なんと川上監督から二軍行きを命じられてしまうあまりに理不尽なこの命令に反論するが「今までのお前なら更に躍進するため猛特訓をしていたが今のお前は、普通の練習で満足している」と論破されてしまうこれにショックを受けた飛雄馬は、野球と恋愛は両立できないと考え、別れを告げるために日南海岸で
先日、プロ野球選手と食事について述べた。個人的にこういったプロ野球選手にまつわるカルチャー的な話は非常に好きなので、何か他に無いかなと探していて…見つけた、移動・通勤方法だ。殆どの選手が自家用車を所有して本拠地での試合の際はそれで向かうだろうが、外国人選手など例外的なケースも存在する。今回はその例外を中心に述べていく。〇ブラッド・エルドレッド(広島)→自転車(ママチャリ)広島東洋カープ史上屈指の外国人選手であるエルドレッド。身長196cm・体重122kgの巨体でママチャリを乗りこなす姿
現在、プロ野球12球団で一番人気が有るマスコットと言っても良いのが、東京ヤクルトスワローズの、つば九郎である。つば九郎は、如何にして誕生し、そして、球界きっての人気者(人気鳥?)になって行ったのかを紐解いて行くと、東京ヤクルトスワローズのルーツである、国鉄スワローズに行き着くのであるが、今回は、スワローズの歴史を、マスコットという観点から振り返ってみる事としたい。<1950(昭和25)年、国鉄スワローズ誕生!球団名の由来は、特急「つばめ」>1950(昭和25)年、プロ
野球雲ブログのプロ野球、伝説のシーズン30勝投手列伝も金田正一投手で19人の紹介が終わりました。ここで、もう一度30勝達成リストをUPします。あらためてみると、すごい顔ぶれです。この19人の中で100勝達成していないのは権藤博投手ですが、最初の2年間の濃度がすごすぎます。そして、ご健在なのは杉下茂氏、権藤博氏のお二人です。それでは、19人のバックナンバーを再度並べます。『★伝説のシーズン30勝投手列伝⑲-2金田正一~熟年の30勝。さらば国鉄ス