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4/3(水)バスツアーで『見延山久遠寺』へ参詣しました✨まずはロープウェイで奥之院へ♪所要時間は約7分⌛️私は晴れ女ですがこの日は雨☔ですが身延山は杉が非常に多く、花粉症のわたくしにとっては恵みの雨となりました!降らなかったらどうなっていたことか💧じゃあなぜそんな時期に申し込んだんだ?という話ですが(^^;;これも天の采配、仏様の思し召しですね♡憧れの日蓮聖人像💖日蓮聖人が見延山山頂より、故郷である房州小湊(現在の千葉県鴨川市)の両親と師の道善房を追慕されるお姿なのだそうです。
今日も良いお天気ですね~天気予報では北風がおさまって過ごしやすいと言っていましたがまだ風が強くて、日当たりの良い窓辺から離れることができませんいつもの富士山の見えるお墓に、撮影に行きたいところですが日々の寒暖差に身体がついて行けず、お疲れモードです。今回も、武蔵村山市と瑞穂町の御朱印巡りの写真です武蔵村山市にある禅昌寺山門山門横の掲示板(って言い方であってるのかわかりませんが)花の枝は長短いろいろあるけれど、美しく咲き誇って人々を癒す力があって梅の花も同じ枝に咲いてい
第518話おはようございます菊水千鳳です前回の日記の続きです。(金峯山寺参拝123はこちらから)さて、坂道を上がっていくと《仁王門》がありました。修復工事のため、巨大な仁王像にはネットがかかっていました。ネット越しに撮影していたら仁王像【微妙な写しで申し訳ない頭の上遮(さえぎ)られないようにな】俺『ん?頭の上??』とよく見たら、前方に、工事のために屋根が低くなっていて、頭がぶつかりそうな箇所がありました。仁王像のたくましさと気遣いに触れました。ここ
本日、奈良市にある真言律宗総本山、西大寺の本堂に、お詣りさせてもらい1月から4月の期間限定で授与されている桜の刺繍が施されたオリジナル御朱印帳を拝受しました。テキストを入力テキストを入力
●囉怙羅尊者(らごらそんじゃ)(※画像は文化遺産オンラインより)東京国立博物館所蔵「十六羅漢像」)サンスクリット名は「Rahula」。十六羅漢の一人で、一千一百の阿羅漢と共に、畢利颺瞿(びりようく)洲に住んでいた。====================================================今回も十六羅漢です。十六羅漢に関しての説明は「賓度羅跋囉惰闍尊者」を参照ください――本には上記程度でしたが、どうやらこの人物、釈迦如来=シ
空を見上げると仏さまのお顔をした雲が浮かんでいる他に雲はなく綺麗な青空にくっきりと浮かぶ仏さまのお顔隣にいた人とその不思議な雲を確認するも仏様のお顔の雲はとても速いスピードで流れて行く私の視界の右側から左側へあっという間に地平線に消えてしまった周りにいた他の人に仏さまのお顔の雲が現れた事を話した皆が見た訳ではなかったからでも大丈夫もう少し待つと右側から現れてくるかも知れないあの雲が流れて行ったのかも知れないけど地球が回っているのかも知れないし
●一字金輪(いちじきんりん)(※画像は文化遺産オンラインから)(東京国立博物館所蔵「一字金輪像」)別名は「一字金輪王」、若しくは「一字金輪仏頂」。サンスクリットでは「エカ・アクシャラ・ウシェニシャ・チャクラ」といい、仏頂尊(仏の頭頂部を仏の一つと観念したもの)の一尊であり、如来の発した梵字「ボロン」(↓)を神格化したもの。このボロンの文字一つに、全ての仏や菩薩の功徳が集まるとされる。そのため密教の修法、祈祷の本尊として最強奥秘の尊とされ、天部や明王に祈願しても叶わない
2500年前の4月8日。この尊いお方は、この世に生まれ、仏教が始まった。4月8日は、仏教の開祖。お釈迦さま、ご生誕の日である。全国の各寺院では、花祭り・灌仏会(かんぶつえ)・降誕会(ごうたんえ)・仏生会(ぶっしょうえ)などと呼ばれるお釈迦さまのご生誕を祝う行事が執り行われる。当院でも、昨日、皆様とご一緒に、一日早い灌仏会を執り行わせていただいた。お釈迦さまは、生まれてまもなく、7歩歩いて、右人差し指を天高く指し、左手は地を指さし、『天上天下唯我独尊』(てんじょうてんげゆ
●無能勝明王(むのうしょうみょうおう)(※画像は「栗野こだわり仏像店」さん取扱品)(「仏像無能勝明王座像2.5寸火炎光背一重蓮華板台桧木」)八大明王の一尊で、密号を「勝明妙金剛」という。「無能勝」とは「破壊できない」の意で、降魔の徳を有する。『大日経』に於いては釈迦如来の憤怒の化身ともされ、胎蔵界曼荼羅釈迦院では釈迦牟尼仏の左脇侍に配される。また『大妙金剛熾盛仏頂経』では地蔵菩薩の化身ともされる。像は男形と女形とあり、四面四臂で模されるが、六臂六足、八
まいけるです。釈迦如来様の仏頭をはじめて彫ります。髪以外は仏頭(地蔵菩薩)と殆ど変わらないみたい。首の部分を出して、髪の部分を出しました正面の真ん中と耳以外の角を丸めます青い箇所、赤い箇所を削って髪、目、鼻、口、顔のラインを大まかに出しますここで先生からストップ🛑が入りました頭を削りすぎてしまったようで、どうにもならないとのことでした。髪をバッサリ切って地蔵菩薩に移行できるらしいがここまで来たのにまた同じモノを作るのはなぁと懇願し、全体を一段下げることに・・・感想一
🐲辰2024🐉057🐲2023年10月08日(日)『2023年秋相模の御朱印巡り』スタートは鎌倉五山第二位鎌倉時代後期北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された円覚寺を参拝御朱印を拝受しました鎌倉臨済宗大本山円覚寺前回の参拝blogです🐀『子2020-寺015/鎌倉臨済宗大本山円覚寺(神奈川県鎌倉市)』丑20210072020年11月03日(祝火)『2020年秋鎌倉の御朱印巡り』鎌倉五山第二位鎌倉時代後期北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された円
おはようございます^^くりたまです。今日は、光明真言(こうみょうしんごん)を唱える功徳と、その音の意味をご紹介します。功徳真心の懺悔の気持ちで唱えると、過去の一切の罪障を消滅させる。また、過去の罪によって、鬼や魔に生まれ変わった死者に対し、光明を照らして罪障を除き、極楽浄土に往かせる。光明真言は、唱えることに意味があります。それぞれの音の意味は、おん・・・全身全霊で帰依しますあぼきゃ・・・釈迦如来べいろしゃのう・・・大日如来まかぼだら・・・阿閦(あしゅく)如来まに・・・宝
〈明日を照らす〉テーマ:真の追善回向2022年9月6日日蓮大聖人の仏法における回向は、自分自身が仏道修行に励んで成仏することが根本です。その上で、自らが積んだ功徳を、故人に回らし向けることが、真の追善回向なのです。池田先生は、つづっています。「毎日、勤行・唱題で妙法の大功力を直接、故人に回らし向ける。これが我らの追善回向の本義だ。介在など必要ない。広布に尽くし、友を励ます行動も、全て故人への最高の供養となる。後継が勝ち栄えて、先人の成仏を示しゆくのだ。『生も歓喜、死も歓喜』と、一家眷属
昨日、奈良県明日香村にある真言宗のお寺、飛鳥寺に、お詣りさせてもらいましたこちらは609年に日本で一番最初に花まつりが執り行われたお寺と考えられています。毎年、4月8日には法要と記念講演を開催されています。こちらの御本尊の釈迦如来は609年に開眼法要が執り行われた由緒正しい仏様ですが鎌倉時代の火災で頭部と右手を残して焼失してその後、その他の部分は作り直されたために国宝には指定されず重要文化財指定なのは残念な事です。昨日は境内の桜の花が満開で楽しめました。
4尊目。●釈迦如来(※画像は、文化遺産オンラインから)(東京芸術大学美術館所蔵「釈迦如来坐像」)北インドの部族「釈迦族」の王子として紀元前556年ごろ誕生。名前を「ゴータマ・シッダールタ」。母のマーヤーは、6本の牙を持つ白い象が体内に入り込む夢を見てシッダールタを懐妊したとされる。誕生した際、発したとされる有名な言葉が、『天上天下唯我独尊』暴走族のバイクのステッカーで知った方もいたりするのだろうか…。妻子があったが、世の衆生の一切の苦しみを救済した
今日はとてもいい天気でした。朝からポカポカの陽気で、青い空が眩しいくらいの一日になりました。くりん爺が「死出の旅」に旅立ってから、今日で10日目になります。800里とも言われる、真っ暗な「死出の山道」からはじまり、7日毎の審判を繰り返し、一歩一歩浄土への道を進んでいるのだと思います。編み笠は小さすぎませんか強い雨を避けられていますか仏衣は寒さを凌げていますか暗い道を一人で寂しくありませんか今頃、何処を歩いているのでしょう初七日の「不動明王」の審判を無事終えて、次の「釈迦如来」の
飯田山崇信寺(静岡県周智郡森町)『いいださんそうしんじ』と読む崇信寺は、1404年に創建されたと伝えられる曹洞宗の寺院であり、御本尊は『釈迦如来』のようです▼寺院入口▼▲寺号標▲▼石燈籠▼▲説明板▲▼歌碑/紀念碑/石柱碑▼▲六地蔵▲▼仁王門▼▲地蔵尊▲▲扁額▲▼仁王像▼▼参道▼▼稲荷社鳥居▼▼稲荷社▼▲境内▲▼本堂▼▲本堂正面▲▼本堂内陣▼▼観音像▼▼扁額▼▲石仏像▲
大阪に住んでいながら普段出かけるのは北側ばかり。泉州にはこれまでご縁がほとんどなくて、実に久しぶりに岸和田に行きました。数年前にだんじり祭を見に行って以来かな◯久米田寺・宗派:高野山真言宗・御本尊:釈迦如来・住所:岸和田市池尻町934お寺の前には久米田池という大きな大きなため池があるのですが、こちらが行基が開削指導したと伝わっている池なのです。この久米田池を維持管理するために738年に創建された古刹。和泉西国三十三所霊場第二十三番札所で高野山真言宗の準別格本山山門をくぐる
府中市美術館の「ほとけの国の美術」後期展示に行ってきました。前回紹介の重要美術品・二十五菩薩来迎図、埼玉県指定有形文化財の円空仏類は後期も展示されています。後期の目玉はタイトルの重要美術品・釈迦如来十六羅漢図、三重県指定有形文化財・雪山童子図はじめ、未指定ながら六道図や地獄絵図も目に留まります。足を止めて見入る方々も多かったと思います。浄土真宗寺院所蔵の地獄絵図と天台僧源信の絵入往生要集(版本)の対比は面白いです。地獄絵図が、源信絵入往生要集の挿絵にほぼ忠実に描かれており、版本を
今日のカード日本の神仏カード【理】オモイカネ釈迦如来問題が起こったら1つ上の視点から見てみよう物事は常に多様的答えは1つではないもの天の岩戸に隠れた天照大神を岩戸から出す策略を練ったオモイカネ神軍師のように高い視点から問題を見て目的に向かって着々と進んでいこう釈迦如来は相手によって説法を変えていたそうどちらも智慧と理の冷静さを持った神
花まつりの日記を書くのを失念しておりました。4月8日は丸1日は使えなかったのですが、約半日時間を使って花まつり参りをしました。途中雨に降られることもありましたが、最初に行ったのが昨年夏もお参りした真言宗豊山派養老山真福寺です。真福寺では花まつりの日(4月8日)に、国指定重要文化財の清凉寺式釈迦如来立像が公開(10時から15時ごろまで)されます。神奈川県指定重要文化財の千手観音は12年に1回ですが、清凉寺式釈迦如来立像は年に2回公開されています。極楽寺の清凉寺式釈迦如来立像と比べると、幾
不思議なんですが・・・2017年の4月に銀座に行った時、偶々かねまつの5階ホールで開催されていた木村悦仏画展に吸い込まれるように入って行きました。年齢からいえば仏様に興味を持つ年齢ですが、今まで殆ど聞きかじり的にお釈迦様の事を少し知っていたくらいで、如来・菩薩・観音・明王・天部の仏様たちがいる事もいくつかの名前を知っている程度でした!この仏画展がご縁で少し知るようになりました。しかし人の記憶はいい加減なもので・・・月日が経つとまた忘れてしまいます
●羯磨波羅蜜菩薩(かつまはらみつぼさつ)(※画像は「文化遺産オンライン」より)(東京国立博物館所蔵、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山出土「羯磨波羅蜜菩薩」)別名を「業波羅蜜菩薩(ごうはらみつぼさつ)」。サンスクリット語では「カルマパーラミタ」。金剛界曼荼羅に於ける涅槃に備わる四種の徳を各々有し、大日如来の四方に座して四の如来を出生する役目を担った、若しくは毘盧舎那如来を供養すべく四の如来が出現させた、女形の四尊「四波羅蜜菩薩」(金剛波羅蜜、宝波羅蜜、法波羅蜜、羯磨波羅蜜)
●風天(ふうてん)(※画像は文化遺産オンラインから)(京都国立博物館所属「十二天像風天」)密教に於いて北西を守護する十二天の中の一尊で、元は古代インドの聖典「ヴェーダ」を発祥とする、風を神格化した神「ヴァーユ」。インド神話の原人(プルシャ)の胸から生まれたとされる。仏教では釈迦の化身とされ、その無碍にして速やか、神通自在の精神、何にも捉われない悟りの境地の体現であるとされる。一般的には白髪・白髭の老人の姿で、体色は赤く、冠を被り、甲冑を着て、右手に幡(はた)を付けた槍
芳徳寺(ほうとくじ)は、寛永十五年(1638年)に柳生但馬守宗矩が、亡父・石舟斎宗厳の供養のために創建したもので、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚で、後に柳生氏代々の菩提所となったもので、正式には神護山芳徳禅寺という。宗矩の死後、正保四年(1647年)に、将軍・徳川家光の内意により、小柳生村の内の200石を寺領として付与された。また、宗矩の末子が仏門に入り、列堂和尚義仙として当山の第一世となった。宝永八年(1711年)の大火で焼失したが、正徳四年(1714年)に再建され現在に至っている。
BLACKCATさん、皆さん、生き方色々で在りますねぇ~❗前世の因果で在りますか!?苦労する人も居られます❗悠々自適の人も中には、居られます❗何が善く何が悪いのかは、判りません❗然し、皆試されて居るので在ります❗物事、諸行無常で御座います❗只言える事は、皆、草葉の陰へ向かって日々歩んで居るので在りますよねぇ~❗現世は前世の因果で在り、来世は現世の因果で在ります❗お釈迦様の教えより、南無釈迦如来南無釈迦如来南無釈迦如来南無阿弥陀如来南無阿弥陀如来