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一年に一度の空海さん作お不動さまがご開帳でブロ友のえび子さん🦐と鎮國寺に行ってきました〜の続きです前回のはこちら『4月28日年に一度のご開帳』本当〜は大分県国東市の両子寺のお不動さまの護摩焚きに参加するつもりでしたブロ友のえび子さん🦐をお誘いしたら…宗像大社近くにある『鎮國寺』で空海さん作のお不動さ…ameblo.jpそして、ご一緒したえび子さん🦐のブログはこちらから〜『秘仏の不動明王像と、火渡りの日』昨年末、手に入れた2024年の新カレンダーに真っ先に書き込んだのは家族、ワン姫
三月に小学生の集団と(わけあって)写真を撮ったところ、そのポーズに「ほう」と思った。ピースサインが下向きなのだ。そろいもそろって…。(おばちゃん初めて見たよ、流行りなんだね)仏像の手を見ると色々なポーズがある。「OK~」の手や、「おひかえなすって」の手、「こんなんできる?」の難しそうな手…よく見るのが、「やあ!」と軽く手のひらを見せている手。ハイタッチしてくれそうなフレンドリーな手なのだ。(意味は知らんけど)タイム恐ろしい生命力で増え続ける
昨日は快晴で、カラっとしたお日和だったのに今日は気温はそんなに高くないですが、蒸し暑い感じがしています。目と鼻の先の公園に、ニセアカシアのお花も咲き始めました。花真っ盛りですね今回は、寛永寺から歩いて数分の場所にある東叡山寛永寺護國院へ参拝と御朱印をいただいた記事です寛永寺の出口を間違えて、またまた迷子になってグーグルマップのナビのお世話になりました。とても小さな寺院だったので、気がつかず素通りしちゃってました東叡山寛永寺護國院護國院大黒天ともいって、谷中七福神巡りのお寺の
●風天(ふうてん)(※画像は文化遺産オンラインから)(京都国立博物館所属「十二天像風天」)密教に於いて北西を守護する十二天の中の一尊で、元は古代インドの聖典「ヴェーダ」を発祥とする、風を神格化した神「ヴァーユ」。インド神話の原人(プルシャ)の胸から生まれたとされる。仏教では釈迦の化身とされ、その無碍にして速やか、神通自在の精神、何にも捉われない悟りの境地の体現であるとされる。一般的には白髪・白髭の老人の姿で、体色は赤く、冠を被り、甲冑を着て、右手に幡(はた)を付けた槍
菩薩は釈迦如来の出家前の姿悟りを求める者という意味です。観音菩薩を見ていると優しい気持ちになります。文殊菩薩を見ていると頭が良くなったような弥勒菩薩は美しいですね。地蔵菩薩を見ていると心が軽くなります観音菩薩が多い理由は人々は優しくなりたかったからでしょうね。
🔳🔳4/28(日)は、法事がございますので、誠に勝手ながら、今月の先祖供養は、4/29(月)の祝日に執り行わせていただきます。🔳法要は、コロナ感染拡大防止のため、極力少人数のみで執り行います。法要当日にご参加の方は、前もってお申し出くださいませ。🔳午後1時開始ですので、当日お越しになられる方は、お供え等の準備がございますので、午後12:45までにお越しくださいませ。🔳法要当日にお越しになられる方は、くれぐれも三密にならないよう、できるだけ間隔を開けてお座りくださいませ。
こんばんは♪くりたまです。山寺立石寺の納経堂『山寺立石寺の納経堂』こんばんは♪くりたまです。山寺日枝神社と根本中堂『山寺日枝神社と根本中堂』こんばんは♪くりたまです。山菜天ざる蕎麦『山菜天ざる蕎麦』こんばんは♪くりたまです。…ameblo.jpからの続きです。奥之院へ向かう参道にあるお茶屋さん冷え冷えの「つったいタオル」を買いました冷え冷えでめちゃ気持ちいい〜後ろを振り向くと、そこには絶景山寺奥之院1015段の石段を登った先にあります。奥之院の燈籠大佛殿金色の阿弥陀如来
おはようございます今朝は寒い!寒暖差が激しいです5/2<今日のメッセージ>です今日のメッセージ先を見据えて今に居る釈迦如来今日も素敵な一日をお過ごしください個人セッションmenu詳しくはこちらをクリック・スピリチュアルカウンセリング・ヒーリング・アロマタッチテクニック・レイキアチューメントお申込み&お問合せさり庵公式LINEのチャットメール(sarian257@yahoo.co.jp)メッセンジャー
京都市東山区にある日蓮宗のお寺、日體寺(にったいじ)で5月1日から6月末まで受付をされる釈迦牟尼佛の直書き御朱印の見本です。御朱印帳をお預けして後日の受け取り、又は郵送になります。こちらは直書き御朱印の郵送対応もされていますので希望される方は直接、日體寺に、お問い合わせください。
こんばんは!前回仁和寺の続きです。観音堂寛永18年から正保元年にかけて建立されました。千手観音菩薩を本尊とし、脇侍(わきじ)として不動明王・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)その周りには、極彩色で仏・高僧が描かれています。観音堂は非公開ですが、千手ひもがあります。この五色のひもは、観音堂の本尊である千手観音さまの御手と繋がっております。どうぞ千手ひもを握り真言を唱えてお祈り下さい。九所明神九所明神は、仁和寺の中でも重要な伽藍を守る社です。社殿は本殿、左殿、右殿の三棟にわかれ
本堂に上がり、二尊(阿弥陀如来、釈迦如来)と二十五菩薩来迎図を拝観しました・・・・・・写真1(↓):二尊院二十五菩薩来迎図のパンフレット室町時代の宮廷絵所の絵師、土佐行広が描いた二尊院の寺宝「二十五菩薩来迎図」全十七幅の掛け軸が、約370年ぶりに修復・調査が行われ、ついにこの秋に御開帳となりました。多くの来迎図では阿弥陀如来を中心に二十五菩薩が一幅の中に描かれますが、二尊院では阿弥陀如来以外の二十五菩薩と地蔵菩薩、竜樹菩薩を加えた二十七菩薩が十七幅の掛け軸に描かれ、西
寿福寺仏殿寿福寺の仏殿は、普段は近づけませんが、ゴールデンウィーク中は特別拝観できます。仏殿内には入れませんが、本尊の釈迦如来や鶴岡八幡宮にあったという仁王像を拝観することができます。公開されている日時については寿福寺に確認願います。寿福寺https://www.yoritomo-japan.com/page137jyufukuji.htm☆☆☆☆☆~アジサイの名所~~開花・見頃情報~
天龍姫大神講社鎮座地長崎県佐世保市江迎町栗越815御由緒昭和42年4月主神天龍姫大神より開宗教祖安富妙壽に「そなたを御代として三界(天界・地界・人界)の浄化、十界和解、平和の使命、和合をもって神仏混合の教えにてもろもろの因果応報を解き明かし衆生済度に尽くせ」とご神託を下された。その後、神理を体得され開宗の道が始まり神仏混合の教義のもとに懺悔、報恩、感謝の道を教導し続けておられる。御祭神仏主神久遠天龍姫大神八幡大神、天満天神大神、大國主大神、事代主大神他摂社・末社
〈明日を照らす〉テーマ:真の追善回向2022年9月6日日蓮大聖人の仏法における回向は、自分自身が仏道修行に励んで成仏することが根本です。その上で、自らが積んだ功徳を、故人に回らし向けることが、真の追善回向なのです。池田先生は、つづっています。「毎日、勤行・唱題で妙法の大功力を直接、故人に回らし向ける。これが我らの追善回向の本義だ。介在など必要ない。広布に尽くし、友を励ます行動も、全て故人への最高の供養となる。後継が勝ち栄えて、先人の成仏を示しゆくのだ。『生も歓喜、死も歓喜』と、一家眷属
皆さん、おはようございます。今日もお忙しい中、ブログにお越しいただきましてありがとうございます。四国八十八ヶ所霊場の第1番は竺和山(じくわさん)一乗院・霊山寺。御本尊は釈迦如来。宗派は高野山真言宗です。徳島県鳴門市にありJR高徳線・坂東駅から徒歩15分。駐車場は無料になります。ご近所からは1番さんの呼び名で親しまれているそうです。1番札所とあって納経所では遍路用品を取り扱っており、必要なものはすべて揃える事が出来ます。大きな山門はこれから遍路がスタートするんだなぁと改めて気持ちを引
本日、奈良市にある真言律宗総本山、西大寺の本堂に、お詣りさせてもらい1月から4月の期間限定で授与されている桜の刺繍が施されたオリジナル御朱印帳を拝受しました。テキストを入力テキストを入力
芳徳寺(ほうとくじ)は、寛永十五年(1638年)に柳生但馬守宗矩が、亡父・石舟斎宗厳の供養のために創建したもので、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚で、後に柳生氏代々の菩提所となったもので、正式には神護山芳徳禅寺という。宗矩の死後、正保四年(1647年)に、将軍・徳川家光の内意により、小柳生村の内の200石を寺領として付与された。また、宗矩の末子が仏門に入り、列堂和尚義仙として当山の第一世となった。宝永八年(1711年)の大火で焼失したが、正徳四年(1714年)に再建され現在に至っている。
鉄人軍団さん、そうで在りますよね。専門家の研究では、色々な疾患の可能性報告論文等々が、発表されて居りますよね❗❗❗然し、此れは、計画的で在り、人口削減を目的とする一連のプロセス一部でしか在りませんので、更なる計画を企て様として居るので在りますね❗人々は、彼らのその様な揺動作戦に載らない事が、我が身やら周りの人々を守る事に成る事を忘れは防ぐ事等出来無いので、在りますがね❗然し、何度話しをしましても、判らない人は判らないので在りますよね❗其れも已むを得ずで
お釈迦様、として観音菩薩と並び大衆に親しまれ信仰を広く集めているのがこちらの釈迦如来(しゃかにょらい)です。「釈迦牟尼仏」「釈迦牟尼」などとも呼ばれます。これらの呼称は釈迦が悟りを開き仏となった後の呼び名です。仏教を作った開祖である釈迦は、紀元前5世紀ごろのインドに実在した人物です。生まれた直後に7歩歩き、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたという逸話が有名です。ちなみにこの天上天下唯我独尊は世界でただ1人、私だけが尊いのだと間違って解
金色堂の須弥壇内部には、今も奥州藤原氏四代公の御遺体が安置されています。昭和25年(1950)、普段は決して開かれることのない須弥壇内の木棺を開き、御遺体に関する学術調査が行われました。その時の報告書に清衡公の御遺体について次のような記載があります。「細部では脊(せき)柱(ちゅう)や四肢(しし)の関節に変(へん)形(けい)性(せい)関(かん)節(せつ)症(しょう)に相当する病変が認められ、清衡が老年(七十三歳)で死亡した事実に一致する所見である。なお、レントゲン検査の結果、左側上