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日頃、息子のヘアカットはずっと私がしていますハサミでチョキチョキシャギーバサミも使いながら…お得意のTheテキトーカットある日、訪問入浴のドライバーさんが「2ブロックにしたら、かっこいいんちゃうん!」と。その方(おじさん)はいつもシャンプー後のドライヤーをしてくれています。それが、いつもカッコよく仕上げてくれるのですそのことを伝えた流れから...そう言ってくれましたそして、
いつも面会に行くと病棟のインターホンを鳴らし挨拶はそこそこにすぐに息子を連れてきてくれます面会場所は入り口前の談話室です入り口横にはナースステーションのカウンターがあります大体は息子は臥床のままベッドで移動してきますステーションのカウンターで姿が見えないから目の前に来るまで気づかなかったりします昨日は遠くの方から息子の顔が見えたそう車椅子で登場したんです表情良くて全体?全身?もよく見えてすごく嬉しかったです!でも全身の細さが際立っていて現実を突きつけら
今日は天気もよくとても暑かった💦まだ朝方は冷えるので、ブランケットを掛けているが、そろそろ暑くなると思ったので、病院に行く前にタオルケットを2枚買ってからドラッグストアで大判のウエットティッシュを買ってから送迎バスで病院へ向かった🚎病院に到着して何時ものように受付を済ませてから病棟に向いナースステーションに面会受付票を提出してから病室に入ったら家内は眠っていたので、枕まわりの抜け毛を払っていると目を開けたので、肩を叩きながらいま来たよって言いながら今から用意して顔を拭くからねで言った☝
先日医療面談がありました前回の面談では主治医から退院について言及されただけでした今回は退院日について決定しました〜〜あくまでも予定ですが…日にちが決まると急に現実味が増して各所関係機関が慌ただしく動き始めてくださっていますMSWのOさん以前のような二の舞にならないようしっかりコミュニケーションを密にとっていきたいですあの頃から3ヶ月も経ち退院日がやはり春になってしまいました…『自分を大切に扱う』久しぶりに投稿します冷たい雨が降っていますね…息子の退院に向けて
息子が倒れた日のことを書いていきます。日記アプリに記録していました。息子は18歳、大学1年生*****************2018年6月21日朝昨晩バイトで疲れ、そのまま寝てしまい、翌朝起きて、シャワーをしに行った高校生の時から、夜お風呂に入らず寝てしまい、翌朝シャワーすることはいつものよくあることそれが...息子がシャワーから出てこない。ノックをしても返事はなく、シャワーの音のみ倒れていた...唇青く、意識なしバスタブに顔を突っ込んで
今の病院に転院して早くも2ヶ月が経ち今日は病院で2度目の面談がありました障害支援区分の申請の結果は一番重い区分6で確定とのことでした今後在宅生活になってから利用するサービスはたくさん受けられそうリハビリの評価ではリクライニング車椅子を変更して筋緊張は若干緩和されたけどトランスボードの移乗は難しく一人介助ではできない感じ…そのためリフトを使用する移乗がいいでしょうとリハビリでの刺激に対し表情変化はあるけど指示による反応はほぼないみたい…今月もFIMは19点でし
今までの移動手段状態によって、変わって行きました。今も進行形です。最初の退院看取り覚悟の退院でした。帰りは病院が頼んでくれた介護タクシーストレッチャー付きです。事前に病院に家の写真を撮って見せています。出入口。息子の出入りは、吐き出し窓からとなりました。玄関からだと曲がるところが多くて💦吐き出し窓だと、そのままベッドがあるリビングに入れます。ただ、結構な段差。踏み台を置きました。移動に
ドラッグストアのポイントが高い日は息子のオムツやパッドその他の消耗品を大量に買う為に仕事の帰りには必ず寄りますその日もドラッグストアに寄りオムツ売り場へ直行する途中正面から声をかけられ顔を向けると息子がハイハイしている時から一緒の保育園だったママ友でした家は近いのにお互いに忙しく連絡もしないまま月日は流れ3年ぶりの再会でしたママ友の子供は娘さん他に仲の良かった3人ママ友がいてホントあの頃は毎週の休みの度に子供達連れて色々なとこに遊びに行ってたな…みんなお
息子が倒れた原因...先生によると、致死性不整脈の可能性が高いそう...心臓など悪いところはないずっと部活で鍛え、体力もある考えられるのはそのくらいただ...息子は中学の頃、起立性調節障害で苦しんだそれを理由に学校を休んだことはない朝しんどくて、なかなか動けなくて...私が「今日は休めば?」「車で送っていこうか?」と声をかけても自分で自転車で行った多少の遅刻はあっても...大幅に遅れたこともない遅刻を気
入院中の息子が今乗っている車椅子は2台目のものですティルトが付いている外車のようです1台目に比べると傾きも少なく姿勢も安定しているようで自宅に戻った時もこの車椅子で過ごすことになります自宅と病院の住所は県が異なり車椅子の購入がややこしく審査を受けなければならないと…判定機関に息子を連れて行かなきゃならないとの話でしたでも自宅の市役所福祉課の担当の方が色々調整していただき行かなくてもよくなり家族立ち会いで車椅子の確認だけでよくなったとのことで先日車椅子自体
息子の体調も落ち着きようやく暖かくなってきた昨日息子とお散歩に出かけましたやっぱり外は気持ちいい風が心地よかったです途中、立ち寄ったところに雛人形が飾ってありました🎎家に着いて、息子に指談で「もうちょっと外にいる?」という質問にと書いたのでしばらく、デッキでひなたぼっこしていました桜の季節には、お花見ができる楽しみっとにかく健康でいないと!健康というのはちょっと違うか(^^;;)
私の服はバスタブに浸かったので、びしょびしょだけど、着替える暇はない玄関にある靴を履いて、ちゃんと鍵をかけられた家の前には救急車、なぜか消防車まで来てる早朝のサイレンに近所の人も見ている中救急車に乗り込む隊員の「ピーや、ピー!」ピーって何...「心停止」の声も聞こえてきたえっ、どういうこと!既に出勤した主人に電話呼吸を整えて、冷静にと自分に言い聞かす冷静になんてなれるわけがない病院に着いた!息子の処置中、隊員に発見した時間と
実はまだ息子は会社に所属しており傷病手当をいただいている状況そして休職している状況でもあるけど当然のことながら仕事に復帰できる状態ではないのでこちらから退職を申し出ないといけないなぁととても気になっていました傷病手当金の支給期間が一年半となっているため今月で終了になる予定その後は旦那の会社の社会保険の扶養に入ることに決めていました早速息子の会社の労務担当の方へ連絡を取り現在の息子の状態や今後の扶養の切り替え日🟰雇用終了日などについて意向を伝えスケジュール
2019.11.4次女の頭の腫れはピークを過ぎてくれた。次は再出血のリスクを減らすための手術をすることになる。手術の説明を受ける。娘の脳出血の原因は脳動静脈奇形(AVM)これは脳の中にできた動脈と静脈の血管が毛細血管にならず、かたまりのようなもの(ナイダス)で直接つながっていている状態のこと。脳動静脈奇形(AVM)ができただけでは症状がなく、長寿を全うする方もおられるとか、しかし、脳内は本来であれば細い毛細血管でつながっているのに、動脈と静脈が太い血管でつながり静脈瘤ができ、動脈の圧
映画のCMを見て、ドキッとした…これって…もしかして…映像で観る勇気はないので原作を読むことに...息子も東野圭吾が好きでよく読んでたなあ…これはまだだと思うけど彼は気に入ったら同じ本を何度も読み返すタイプ一気に読んだ…これを当事者意識で読む人はどれくらいいるのかなあ…「女の子」との違いは、息子には若干の脳波があること…だけど…脳波なんて目に見えない違いなんてわからない…倒れた当初、息子は…
私は救急車を降りてすぐの控室で待ち、隣りで懸命に治療をしてくれている「もっと人呼んできて!」声が聞こえてくる傍らには看護師さんがずっと寄り添って私の背中に手を当ててくれたそのぬくもりが嬉しいしばらくして、先生が説明しに来てくれた「心臓は動き始めました。」やった!救急隊員さんのお陰で病院到着の頃には心臓が再び動き始めたそう生き返った!......それにしては、先生はいい顔をしていない...「意識はないです」「今、息子さんは頑張っ
転院して早くも1ヶ月が経ちました先月の終わりに初回の面談を行いました主治医のA先生はとっても物腰が柔らかく声も優しい時々声が小さすぎて聞こえないのがタマにキズだけどCTの画像と文章を使って説明してくれました久しぶりにみる息子の頭部CT画像左大脳の挫傷が大きいことがよくわかる脳室拡大もありシャントもちゃんと留置されているこれ以上悪くならないためにたくさん困難を乗り越えながら何とか維持できているリハビリの効果で呼びかけると右を向けることが出来るようになってきまし
主人が到着二人で家族待合室に通された待つ…待つ…待つ…ようやく呼ばれ、主治医となる先生から説明を聞く話が難しい話が入ってこない普段なら聞けるだろうが、頭がフリーズしている思考が働かない…主人も先生の専門的な話に、いらついているのが横にいてわかる先生が誠意を持って、丁寧に話してくれているのはわかるでも、心が遠ざかっていく...少しずつ飲み込んでいくと、そう簡単に意識が戻るわけではなく、予断を許さない状態🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸
2015.08.23(日)入院297日目あ~ツクツクボウシが鳴いています先週17日に「国民年金・厚生年金保険年金証書」が届きました障害年金の決定通知書です1級ですが支払開始日が27年5月になっていますいやいや、何で26年10月夫が倒れる26年12月夫の容態は今後も変わらないと言われている事を伝えても1年半後に来て下さいと言われ、馬鹿正直に待っていたかも知れない26年3月たまたま新聞に途中でも障害認定日が決定すれば申請できるという記事を見つけ、行くとすんなり受け付け
結婚前大学の研究室で先生のお手伝いをしていたことが…秘書という名の「雑用なんでも引き受け係」⁉教授は某有名大学その分野では第一線20年以上経つけど今でもたまにテレビで拝見するある時…研究室に卒業生が訪ねてきた結婚の挨拶、彼女と一緒に彼らが帰ったあと先生は「彼は○○高校(某有名進学校)で十年に一度の神童だった。だけど研究室に来たときは、もう燃えカスだった。大学合格が彼のゴールだった。良くできたのは受験の勉強だけだった」…………
久しぶりに投稿します!ここのところ気持ちが乗らなくて全く書こうとも思えませんでした理由に思い当たることはあります今は仕事のストレスが半端なくあって不本意なこと頼まれて悔しかったり腹が立ったり悲しかったり周りが敵に見えたりして被害的になってる自分が嫌になったこの前たまたま見たネットの記事で「幸せ」の語源は「為し合わせ」お互いにしてあげることが「幸せ」の本質自分の力なんてないんだと思っている人は周りに支えられて生きていることがわかっているので「謙虚」だと謙虚とは感謝
原作の中で女の子が人工呼吸器に代わるものを体内に内蔵したそれを読んで「それ、ほしい❗」「どこの病院でしてもらえる?」まず思った…人工呼吸器がなければ気管切開もないチューブにいつも繋がれなくてもいい!なんて身軽なそれなら眠っているようにしか見えない生きるためにはなくてはならないもの…だけど…内蔵できたら、どれだけいいか…うん、うん、わかるなあと読んでいた息子は部活で鍛えて筋
2019.11.152週間ちょっとお世話になったICUからやっと一般病棟に移れた.主治医は脳神経外科なのだが、次女が小学生ということで、小児科病棟に入院することとなった。子どもの扱いに慣れているという理由だったが、小児病棟は16歳以下の入室が許されず、病棟を出れるようになるまで、三女は大好きなお姉ちゃんに会うことができなくなった。それに、赤ちゃんや幼児が多い中、小学6年の次女はやたら大きいのに頭蓋骨がなく扱いづらい子だったようだ。被害妄想かも知れませんが態度や口調で感じるんですよねあと
つい先ほど、地域の社協の方がお願いしていたリメイク服を届けに来てくれました今回の依頼は、息子が買ったパーカーこれを寝たきりでも着られるようにしてもらいました前回に、担当の方と縫製の方で来訪どうやって作るかを皆で検討し出来上がったのがこれ↓こんな形にしてもらいましたフードは別背中を開けて割烹着のような感じです明後日は息子の誕生日🎂ちょうど良いプレゼントになりました
「生きる最低限の機能だけが残っています」そう言われています見えない話せない動けない食べられないそれでも…体の中では臓器は機能している心臓はしっかり動いている息子が元気だった時には「もっと、やる気を出してくれたら…」とか思ったりもした...でも、ここまで様々な能力をそぎ落とされてしまうと…シンプルに生きてくれているだけで嬉しいこれは心から思うこと今までなんと欲深かったことか💦でも、そのときはごく当たり前のことだったと思う…その
事故の翌日早朝1番の飛行機でかけつけた病院では、まずドクターから説明がありました。脳の画像を見せてくれました。白くなっている部分がたくさんありました。右側に損傷があるため左側は麻痺が残ること、びまん性軸索損傷と言って強い衝撃を受けたため脳内で脳がねじれて損傷した部分がたくさんあるということを説明されたと思います。その後、本人に会わせてもらうと…人工呼吸器をつけ、たくさんの管につながれ…たくさんの機械音が鳴り響くなかに次男はいました。事故の2日後ドクターから脳の損傷から5日めが一
2019年の秋に、次男はある事故で重度の障害者となりました。事故から今年で4年になります。事故当初はドクターから「一生このままの状態かもしれない」と言われました。遷延性意識障害という言葉は、のちに知りますが…このまま寝たきり?ずっと?そんなはずない…と何度も何度も思いました。同じような境遇の方は…どんなふうに回復していくんだろう?その家族はこの状況をどうやって乗り越えて行くの?誰か教えてほしい…と本を漁ったりしましたが、詳しく書かれているものには出会えず、唯一頼りにしていた本は「8年
この間水曜に発熱があり・・・前兆だったのかなんだろう??が、いくつかあった▶︎清拭時臀部に3〜4センチくらいの発赤▶︎全身伸びをする際に普段見られないひねりで片側に反ったらすぐさまもう片側にも反るように…▶︎仰向けで寝ている時によだれが数回垂れて横向きならともかく気になった…▶︎朝9時半から午後2時の間に排尿なし▶︎暖かい陽気でも手足が冷たい午後3時前に顔が赤くなっていて体温計ると37.0度なんだろう?からこれだ〜〜に繋がった!この時期の熱は
事故から1年が過ぎました。次男は、ポインティング、書字、トーキングエイド、図形の型はめパズル、ペグ指し、計算ドリルなど…たくさんのことをリハビリでやって頂いていました。時間はものすごくかかりますが、少しずつ出来ることが増えていました。出来るようになったというよりは、出来ることを療法士さんに引き出してもらったという感じでした。退院に向けて家族指導が始まりました。リハビリ室や病室に入ることが許されて次男に会うことができました。家族指導はPTさんからは、車椅子への移乗(2人介助の場合)とリ
手術後次女は2週間程ICUにいることになります。この間のことを記します。倒れた日遅くに帰宅した夫さんは、私が末娘と寝ているのを見て、手術成功し助かったんだと安堵したらしいです。その日は泣いてる娘を抱っこし続け寝落ちしたので、手術後の連絡ができていませんでした。現実は違って、翌日主治医の話を聞きに行った夫さんはものすごいショックを受けていました。主治医の説明では、「昨日、脳内の血を抜いた。それにより、これから脳が腫れてくる。この腫れに耐えられるかどうか。この3、4日が山場。腫れが引