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長く長く温めてきた薬膳を学びたいという思い昨年、やっとやっとその一歩を踏み出して約9カ月の間中医学の基本から学ぶ講座を受講しこのほど中医薬膳指導員の認定試験に合格しましたわたしが所属する学会では60時間を受講した後に申請するとアドバイザーの資格が得られ認定試験に合格すると指導員の資格が得られますわたしはアドバイザーの資格は申請せずに認定試験を受けました
こんばんは思うこと、最近知り合いに2人くらいに今の状況軽く相談したら、自分だったら別れるとか、貴重な30代の時間をその人に使うのもったいない、とかおおむねそんな意見でしたまぁ側からみたらそう思うんだろうなぁ、忙しいってそんなに悪なのでしょうか。。。女性には子供産むのもタイムリミットがあるから、あとで後悔しないようにきちんと自分の事を考えてねって感じよかれと思って言ってくれてるのは分かりつつも、30代の働き世代、そんなにマメに会える男性っているのかしら、とも思うけど
夫との結婚を待ち続けている間に私もどんどん年齢を重ねて。。。子供がずっと欲しかったので募る焦りと不安。。。40歳手前でやっと結婚でき、夫に協力を求めました。高齢出産のリスク、難しさと共に、2人のことだから一緒に真剣に考えて欲しいと。夫はわかったと言ってくれていました。子供ができたら何しようか?名前は?学校は?何して遊ぶ?2人で想像しながら未来の楽しい家族像を描いていました。そして、そのことを夫は離
35歳、私の中で人生の岐路だと思う2度目1度目は30歳。30歳の岐路は結婚❗29歳で結婚する友達多かった~やっぱり20代と30代って、響きから違いますよね…『20代で人生の指標ができていたなら、きっと30代で花開く❗』だなんて友達とよく話していたなぁ…(笑)私も29歳で結婚したひとりですずーっと長く、19歳の頃から27歳の頃まで、お付き合いをしてた人とお別れして、絶望を感じていましたが、主人と出会い、とんとん拍子に結婚が決まりました(20代で結婚できて、それなり
◆関東大震災が女学生の意識を変えた?こんにちは、山村です!以前に、「明治末期の女性の若さと結婚」というテーマで、当時の令嬢の結婚について書きましたが、今回は、昭和初期の令嬢を取り上げます。明治末期のお嬢さまの結婚について簡単におさらいすると、裕福な家に生まれて、女学校に通う「令嬢」は、数えの17から19歳ぐらいで結婚するのがあるべき姿。公家や華族、資産家など上流階級の令嬢が通う学習院女子部では、女学校にいる10代なかばのうちに結婚が決まって、続々と退学していっ
2月11日建国記念日に43歳の次男は、34歳の可愛い娘さんと晴れて夫婦になった。夫曰く、世間の標準並みに結婚した長男の時には、何の心配もせず、普通に受け止めていたが、この次男の結婚に関しては、長く心配させられたせいか、こちらもどうもソワソワして落ち着かない〜とのこと。喧嘩せずに上手くやっているだろうか?仕事に影響はないだろうか?などと、中年のおっさんの結婚に、まるで娘を嫁にやった気分になるのはどういうことか訳がわからない。子供というものは、歳に関係なくずっと親の心配の種なのだろう。
◆令嬢の適齢期は10代後半!こんにちは、山村です!今回は、明治時代の「令嬢」の結婚について。男性中心社会の明治・大正時代に女性の地位は低く、女に生まれたからには結婚して家を出て、婚家において良妻賢母となるのが、あるべき姿とされていました。ちなみに、明治時代の民法では、女性が結婚できる年齢は15歳からとはいえ農村などでは、女性は貴重な労働力小学校卒業後に労働力として働き、そのあと良縁を探すケースも多く、結婚が20代なかばになることも、ままあったようで