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「大阪市北区曽根崎の名所の法清寺、露天神社には遊女の言い伝えがあり、ヒントでもあります。遊女を妊娠させて子供を奪い、松取りの犠牲にする仕組が浮かびます。昔から金儲けのために女性を封印して子供の命を奪う深くて大きな闇が潜んでいたと感じます。」大阪ビル火災事件が起きた大阪市北区曽根崎の地で注目した名所が「法清寺(ほうせいじ)」と「露天神社(つゆのてんじんしゃ)」です。法清寺(大阪市)-Wikipediaによると、『法清寺は、大阪府大阪市北区曾根崎に位置する日蓮宗の寺院である。山号は光智山。旧
江戸(東京)の遊廓は吉原だけではなく、岡場所なんかも多かったので、そこいらの話もしていきます。①では、大阪新町や京都島原の話をしています。まず吉原の話をしよう。吉原は江戸時代にも注目度が高く、俳句や川柳によく詠まれている事から色々な事が分かっています。……が!吉原の遊女の全てが高いわけではないし、必ず引手茶屋を通さないとならないわけでもない。毎度毎度、花魁道中をしていたはずもない。そして、よく知られている「形式」も…実は…って話です。と、いうのも吉
河内源氏の流れを汲む源為義の八男。母は大阪の東淀川区江口の遊女といわれる。源為朝は、保元物語によると身長2mを超える強弓の使い手で伝説の人である。保元の乱では、崇徳上皇のもとで、大奮戦する。伊豆大島へ流されるが伊豆諸島を支配した。為朝追討の院宣が下り日本ではじめての「切腹」をしたといわれる。または、源為朝は琉球へと逃れ為朝の子が、初代琉球王・舜天となったともいわれている。
開催前にSNSで批判され炎上開催も危ぶまれた「大吉原展」しかし私は、その炎上騒動のニュースでこの展覧会のことを知りました。開催を知った瞬間に、これは行ってみたい!と思いました。妹オフィーリアに話すと、やはり「私も行ってみたい」とのこと・・少しでも混雑を避けるために雨の平日に行ってきました!東京藝術大学大学美術館・・上野動物園を過ぎると・・初めてでしたが、迷わず到着しました!やはり雨の平日の入場開始時間に行って正解でした!思ったほどの
小説天つみ空に~遊廓(くるわ)の恋~第三話白妙菊の約束売れ妓松風花魁が抜けた後、遊廓花乃屋の楼主陣左は焦っていた。―早く松風の代わりを見つけなければならねえ。そんなある日、女衒に連れられた幼い少女が花乃屋に買い取られ、新しい禿となる。いずれも将来は花魁になるべく大切に育てられる少女たちだ。だが、そんな遊女見習いの少女には既に将来を言い交わした恋人がいて―。廓で最も禁忌とされる「足抜け」。わずか11歳の遊女がまさか足抜けをするとは誰も想像だにしなかったのだが。その夜半のこ
大倉集古館に初めて行った。今月から金曜は19時まで開館しているとのこと。スタバでゆっくりしてから入館した。タイトルの通り、美人画が並ぶ。春画の展示もあった。春画に限らず、比較的、遊女の絵が多い印象。特に遊女と客が一室で睦み合っている作品。あれは幸せなひとときだよねぇ、、江戸時代も現在も変わらないのだ。作品内の二人に強い共感を覚えた。説明が良いのだろう。また、アシュワガンダ飲んでる効果だろうか。色んな知識が頭に入ってきた。春
橋本は、元は京街道の宿場町だったらしく(正式なものではなかったそうですが)宿泊客の多くは男山・石清水八幡宮の参拝者でした精進落としの遊里として数十件の妓楼があったそうですが明治5年に娼妓解放例が出されたことと更には明治10年に対岸に国鉄・東海道線が開通して繁栄を奪われたことで大打撃を受け、そこから一気に衰退していきますそこで再び街を復興させるために京都府の認可をもらい明治20年に正式な遊郭として登録されますこの時は娼妓9人、芸妓9人というたった18名でのスタートでしたが明治
〜本日のお品書き〜どうして男ばかりなの??文楽や歌舞伎は男の人ばかりが舞台に立ちます。これがなぜか?という事に、歴史的な経緯があるので、今日少しそれをご紹介しようと思います。男性だけ??はじめに、よく勘違いされがちなのですが、人形浄瑠璃や歌舞伎という芸能表現は男性しかできない!してはいけない!ということはないのです。文楽座は男ばかりですが、各地に現存する人形浄瑠璃の一座の方々は女性も活躍されています。また、女流義太夫の皆さまもいらっしゃいます。また、歌舞伎は地歌舞伎の方々は女性も
GW真っ只中暦の上では平日ですが上野はこんなどしゃ降りの雨でも混んでました(ノ´Д`)ノ最近読んだ小説、滝廉太郎さまもこの大学にいらしたのかと思うと感慨深いものがあります✨そして吉原展ネットでは、大批判を浴びても入場者は半端ない多さでじっくりゆっくり観られなかったです(>_<)東京藝術大学美術館初めての訪問です350年続いた吉原1958年に幕を閉じるってつい最近までやん(-ω-?)つい最近吉原を歩いたので実際町名も残ってますし雰囲気を感じることが出来て
五番町夕霧楼五番町夕霧楼(1980年)上映時間:129分/製作:1980年(日本)/配給:松竹水上勉の同名小説の2度目の映画化。京都・西陣の夕霧楼で芸妓になった夕子と、彼女の幼なじみの修行僧・正順との許されない愛を、正順の金閣寺放火をクライマックスに描く。松坂慶子のセクシーさが全編を覆い、詩情豊かな前作(1963)とは味わいが違う。『五番町夕霧楼』(ごばんちょうゆうぎりろう)は、水上勉の小説。1962年発表。1958年の売春防止法施行まで存在していた京都の五番町遊廓
映画の予告でもわかるように五代さんの女性関係?気になります……(笑)妻の豊子さんと遊女ハルさんの存在…映画は事実を元にしたフィクションですから真実はわかりませんが……豊子さんとの間に子供は生まれなかったので…子供は全てお妾さんの生んだ子供のようです引き取って育てた豊子さんも尊敬しますが自分の産んだ子供を育てられなかった女性たちの気持ちは如何ばかりでしょうか?
最後の野江の身請けのシーンは鳥肌がたった。もう、これで終わりかと思うと悲しい。シリーズ最終章、10巻。当然のことながら、すべての伏線を回収していきます若旦那佐兵衛の犯した罪とは何か?そこに一柳の店主への冤罪がからんできてついに、宿敵登龍楼が潰れるその契機となったのが、心許しの蛸飯これは澪のいた天満一兆庵で宿下がりの奉公人に出されたお重でしたこれを死にかけている富三という、若旦那を陥れた卑怯者の為に作ります蛸飯を食った富三は、澪に文を託す。そこには登龍楼と富三が組んで若旦
映画「天外者」が2020年12月11日に公開されてから半年が経ちました公開から6か月以上経っていてもいまだに上映され続けている、まさに天外者の快挙です来週には「天外者」のBD&DVDが皆さんのもとに届きますねそんなときに「天外者」の五代さまを支えた重要な人物”はる”について、映画の中での役割はご存知の通りですが、インタビューなどでは”はる”を歴史的な背景から語った記録はありません今回は、幕末から江戸にかけての当時に実際にあった一人の女性の回顧録から”はる”の人生について想いを馳せ
傾城と花魁、遊女、遊郭このブログのアシスタント、シェリーです!わたしは主に文楽や上方文化の発信を担当しています。咲寿さんがレクチャーなどをされるときは、そこでバーチャルアシスタントをしたりもしていますよ。さて今日は、傾城やら花魁やら太夫やら遊女やらって何が違うの!ってお話をお届けしたいと思います遊郭とはその字の通り、廓で遊ぶ場所のことです。廓で遊ぶって何をして遊ぶかって?それは、ねえ。わたしの口からはちょっと気恥ずかしいので具体的にはあれですけれども、ご想像はつくかと思って話を進め
こんばんは。瑠奈です。前回のブログは「わたしの母はバツ2」というタイトルで、私の生い立ちを赤裸々に書いたわけですが、、、今回はなぜ今遊女の研究をしているのか?など「わたしの研究」について書こうと思います!まず私は現在、大学院修士課程1年目で、「江戸時代における吉原・遊女」を研究対象としています。あ、書き忘れていましたが、文系院生です!◎なぜ江戸時代の吉原遊女に興味をもったのか?これですよね。なぜ遊女なのか?高校生の時、何かのきっかけで映画『さくらん』を見たのがはじまりです。こ