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~大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立~古来、和歌にも詠まれてきた大江山へ、真名井神社からの帰り道で差し掛かりました。和泉式部の娘・小式部内侍の余りにも有名な歌。当時、母の和泉式部と同じく女官として出仕する傍ら、歌人としても知られ始めていた小式部内侍でしたが、一部には、彼女の詠む歌は母の和泉式部が代作しているのでは?などと悪評を流す人々もおり、その噂がまことしやかに都人の間で流布されていたそうです。この噂を受けて、とある歌合せの場に参加していた小式部内侍に対し、同席した
たんたん評論「返歌の作り方」2014年4月13日(日)早朝にNHKEテレで放送された「NHK短歌」の選者は斉藤斎藤(1972-)であり、ゲストは津田大介(1973-)であった。それぞれの活躍するフィールドにおいて、些か特異な存在感を漂わせている同世代の二人が、当日の番組において話した内容は凡そ次のようなものであった。「短歌はメディア(=記録)である。例えば、小倉百人一首は当時の暮らしを短い言葉で記録し、後世に伝える役割を果たした。そして、短歌をツイッターに擬えれば、現代の様相
たんたん評論「返歌の作り方Ⅱ」ブログ主は前回、2014年4月14日付けたんたん評論「返歌の作り方~NHK短歌2014年4月13日」において、返歌の作り方についてちょっぴり説明した。なお、その際に取り上げた元歌が和歌であったから、返歌も和歌に詠んだものである。ただし、現代短歌で「君がスキだ!」と告白されれば、「私もよ!」と返事するだろう。また、ブログ主の作る現代和歌における返歌にも、現代語を普通に使う。しかし、愛憎を書くだけでは相聞歌としては余りにも寂しいことだ。そ
「笹分けば人やとがめむいつとなく駒なつくめる森の木隠れわづらはしさに」とて、立ちたまふを、【これまでのあらすじ】桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏でしたが、源氏姓を賜り、臣下に降ります。亡き母の面影を追い求め、恋に渇望した光源氏は、父帝の妃である藤壺宮と不義密通に及び、懐妊させてしまいます。光源氏18歳冬。藤壺宮は、光源氏との不義密通の御子を出産しました。源氏は宮中の女官に手を出すこともなかったのですが、年増の源典侍(げんのないしのすけ)には少し興味を持って、ちょっかいを出して