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■前編は歌手★三山ひろし君の生い立ちから歌手への道❗同じ歌手として…ジョイントコンサート等では御互いに切磋琢磨され…信頼と友情を育まれ今日…深い信頼の絆は御二人の輝かしい道にと繋がっていますね。まだまだ長い道程…御互いにより以上に切磋琢磨され、素晴らしい三波春夫先生の歌や長編歌謡浪曲を次世代に遺して行って戴きますように…爽やかに馨る春風の様な御二人の御人柄に益々魅せられています。■前編の①は赤穂義士の討ち入りから菩提寺迄を収集させて戴きました。~風さそう花よりもなお…我はまた…春の名残を
栗部金太郎こと「クリキン」NHK「オードリー」クリキン・舟木一夫ダイジェスト2000年10月~2001年3月NHK連続テレビ小説クリキンこと栗部金太郎は、映画にこだわった。映画製作をする人たちを「活動屋」と言ったのは懐かしい。勿論これは映画を活動写真と呼んだころからの名残であり、「写真」と呼ぶのものそのせいです。テレビと映画は「似て異なもの」前にも書きましたが、まだ白黒テレビが主流の時代で、映画はカラー(総天然色などとも呼んでいた)皇太子殿下と美智子妃殿のご結婚パレ
「討ちたいんだ」byAKR四十七れぽスタートじゃ!これは、歴史バラエティ「戦国鍋TV」のコーナー、ミュージック・トゥナイトに出演するアイドル(歴史上の人物が歌手活動してる架空設定)の楽曲に関するれぽです。曲名:「討ちたいんだ」グループ名:AKR四十七(えーけーあーるしじゅうなな)歌はこっちでどぞ↓コンセプト;「討ちに来てくれるアイドル」メンバー:大石藏之助(演者:村井良大)、堀部安兵衛(演者:間宮祥太郎)、大高源吾(演者:前田公輝)、原惣右衛門(演者:井深克彦)、大石主税(演者
舟木さんの「クリキン」に対して林与一さんの「モモケン」舟木一夫ファンとしては、林与一さんとの共演。それも時代激の二大スターとして登場するのは実に嬉しいものです。舟木さんデビュー翌年からのNHK大河ドラマ「赤穂浪士」で共演し、それ以来の中の良いお二人。二人揃って歩かれる姿は、実に嬉しく楽しいものです。与一さんも舟木さんも、実に堂々としたサムライ姿。物腰が流石と思わせます。クリキン、モモケンに割って入るのが、新人スターの佐々木蔵之介さん演じる幹幸太郎。時代劇そのものが変わりつつある時
【コロナ】大いなる宇宙の意図「壊す」は「光和す」[宿谷直晃]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}もう隠さない《モーゼとイエスの国》JAPAN天上界がついに明かした《秘密日本史》最終章(地球家族)[河合勝]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}日本の天命~神示に学ぶAmazon(アマゾン)「壊す」は「光和す」【コロナ】大いなる宇宙の意図Amazon(アマゾン)今ここになおも降り続ける神示日月神示
今月の満月は24日の8時48分です。本日は旧暦では3月14日ですが、旧暦では15日が満月となりますので誤差が9時間弱となり、15日前後が満月の時期であるのがわかりやすいです。その満月の時期である元禄十四年三月十四日(1701年)に起きた有名な事件が、浅野内匠頭の殿中での刃傷事件です。皇居の東御苑は、江戸城の本丸跡でもありますが、ここに行くと広場になっている本丸跡に松の廊下の場所が示されています。この松の廊下で刃傷事件は起きたのです。江戸時代、城内での刃傷事件は何度か起きています
瀬戸内海を背景に、これが伊和都比売神社の有名な構図です。神社の境内にはおしゃれなCAFEもあります。伊和都比売神社の境内から海岸まで下る石段があの有名なキラキラ坂です。混雑を避け平日の閑散時間帯を狙いました。石段の蹴上げ部分はモザイク風タイルで化粧されています。キラキラ坂を下ると直ぐ海岸線です。海岸線沿いの遊歩道を潮の香りに癒やされながら散策出来ます。週末は混雑していますので平日狙いでゆっくりと探索できました。これが伊和都比売神社の本殿です。駐車場は神社から50
おはようございます昨日は朝からいろいろ考えさせられることがありました…。今朝は、私らしくないかもしれませんが、【義】についてシェアします。【義】自分の人生の意味を考え、価値を計ること〜「義」は武士道で最も厳しい教え〜「武士道」で最初に出てくるテーマは「義」です。「義」は武士道の根幹をなす、最も重要で、かつ、厳しい教えになるそうです。「義」とは道理に任せて決断する心。人が進むべき、まっすぐな狭き道。仁は人の心なり義は人の路なり(孟子)仁(思いやりの心)は本来人が持っている心
2024年4月12日戸越の隣町珈琲に浪曲を聞きに行って来ました~。玉川奈々福さん。4月8日に新宿歌舞伎町にある大衆演劇の劇場にて、劇団夢道にゲスト出演し節劇を披露してくれた時に初めてみました。すごく良かったし聞いてても見てても楽しかった。今度こそ生歌で聞きたいな~って思って!ツイッターで奈々福さんを検索して、今回のイベントを知りました。浪曲の前に赤穂義士伝について解説し、その後で浪曲3曲の披露、というイベントです。イベント名「第6回赤穂義士伝って、ナニ?」19時~3500
箕面萱野から新大阪、梅田方面に出てもお店は混んでそうなのでひねくれてバスで阪急箕面駅へ行くことに決定!北大阪急行延伸に伴いバス路線も再編されて今まで千里中央始発だった箕面や茨木市の山間部さらに山を越えて豊能町行くバスの始発が箕面萱野になりました。なんでバス乗り場では慣れてない人が多くて迷ってる人が見受けられて乗り場には時間と乗り場を案内する液晶パネルがありましたよ。そして地面にはどこに並ぶか線が書かれてましたが・・・年寄りには馴染めないのか文句を言ってる人も。確かに1つのバス停に複数の路
吉良家の岡山陣屋から600mの所に吉良家上野介遺跡の華蔵寺があります吉良上野介遺跡華蔵寺ここが江戸時代から300年以上続くあの忠臣蔵のヒール役に仕立て上げられた吉良上野介のお墓があります忠臣蔵三段目殿中刃傷の段*国立文楽劇場文楽絵より元禄14年(1701年)3月14日赤穂藩5万石の大名浅野内匠頭が吉良上野介に脇差で斬りつけるこの日は将軍が勅使(朝廷からの使者)をお迎えする大事な日の最終日!浅野内匠頭はよりによって徳川綱吉の最高のに
19世紀末のフランスでは、パリ万博が一つの大きなきっかけとなり、ジャポニズムが大ウケとなった。その当時流行した、アール・ヌーヴォーも源流をたどるとジャポニズムに行き着く。かの、ルイヴィトンのデザインもジャポニズムから誕生したという説もある。色合いや紋様など、たしかに、古い日本を感じさせるところがある。そんなにも身近になった当時のフランスだが、当時の日本は、はるかに遠いところ。今でも決して近くはないが、そんな時代にもかかわらず、日本に来て紀行文を書いている作家も少なくない。その一人
「旧東海道」歩きは「箱根旧街道東坂」を下ります。「くま出没注意」…ってあります。史跡。箱根旧街道石畳を下りきると、旧国1道に出ます。横切ったところから石畳遊歩道となります。しばらく進むと…今度は「猪」かよ!茅葺屋根の建物が…正面(車道側)に廻ってみると「甘酒茶屋」です。江戸時代から今に残る茶屋です。東から登ってきた旅人は、この箱根地域(湯本~箱根関所間・通称「東坂」)は、道が大変険しく、当時の旅
兵庫県赤穂市赤穂大石神社千馬三郎兵衛江戸時代の武士主君である浅野内匠頭と関係が悪く、石高を減らされたことをきっかけに暇願いを出したそう。しかし受理される前に松の廊下事件が起きたんだって。普通なら討ち入りに不参加でもおかしくない気がするけれど、なんと三郎兵衛は私より公を優先させて、江戸急進派として戦った!これってものすごいことよ。退職お世話になりましたお菓子大量プチギフト感謝の気持ち感謝のきもちお菓子ドーナツ型フィナンシェ12個入り|フィナンシェありがとう
昨日のめざましテレビなにわ男子のどっち派!?は恭平のターン首都圏でいちごを食べ尽くすならお店派かハウス派かどっち?https://twitter.com/cx_mezamashi/status/1750476734364012821?t=hHqrKhYK8CTkk_S7ff5Dlw&s=19あす26日(金)の「#なにわ男子のどっち派⁉️」首都圏でイチゴを食べ尽くすなら…🟥ビュッフェなどバリエーション豊かな「お店派」🍰🟦プラスアルファの楽しみ方もできる「ハウス派」🍓#高橋恭平
bluearrowのブログにようこそ。ジャンルにとらわれず色々な事を書いてます。どうぞごゆっくり。前回ブログではえっちゃんを励ます桜の画像UP、またお言葉へのご協力を感謝します。さて、12月の頭にMODSのInstagramにこういった通知が載りまして。ヴォーカルの森山は突発性難聴という病で療養中。ミュージシャンにとって耳は命、氷室京介も耳の病から引退した。フロントマンを欠いたMODS、活動休止状態となっており昨年はギターの苣木がアコースティックによるソロライヴとベースの北里
杉野十平次次房の墓杉野十平次次房赤穂浪士四十七士の一人、杉野十平次次房は、赤穂藩士・杉野平左衛門の四男で、分家を興すと札座横目に任命され、元禄7年(1694)には備中松山城の受け取りにも従軍しています。元禄14年(1701)主君・浅野長矩が江戸城松之大廊下で刃傷事件を起こし、藩が改易となった際、資産家であった母の実家・萩原家は、家に伝来する大砲2門を城受け取りの正使である脇坂家に売り払ったため、家中の反発を受け赤穂から逃亡します。この時、杉野も親族として肩身が狭かったのか、萩原
千馬三郎兵衛光忠の墓千馬三郎兵衛光忠赤穂浪士の千馬三郎兵衛光忠は、承応2年(1653)、高槻藩永井家家臣の千馬光久の次男として生まれ、同族の赤穂藩士・千馬光利の養子となります。寛文11年(1671)に養父が亡くなり家督を継いだ光忠は、馬廻り役・宗門改役、100石で藩に仕えますが、実直で融通が利かない性格ゆえに主君の浅野内匠頭に直言し、元禄10年(1697)に閉門を命じられ、禄高も30石に減らされます。そのため光忠は浪人となる覚悟を決め、藩へ暇願いを出しますが、その許しが出る
本日は地元兵庫県加西市こちらにあの赤穂浪士ゆかりの寺院があると初めて知りお邪魔する事にそう、赤穂浪士(浅野家)と言えば東京では泉岳寺地元の赤穂では花岳寺と認識しておりましたがなんでも当時、赤穂藩の飛地の領地で石高が多いこの地もまた大変ゆかりのある寺だったみたいですね。特に新緑となるこの季節ひっそりと山門から続くこちらの苔の参道はとても美しく立夏を過ぎた時期から苔の状態も良くなり隠れた人気スポットとなっているようです。緑の絨毯を傷つけないよう
芥川也寸志の弦(絃)楽のための三楽章(トリプティーク)は弦楽オーケストラでは良く演奏され,私にとっては学生時代の懐かしい曲です。この曲を聴くとなにか長谷川一夫演じる大石内蔵助の大河ドラマ「赤穂浪士」(1964年)が脳裏に浮かびます(^^)。この曲については何度か動画付きで書いていて,動画が良く消えていましたが,次の2つは残っています。・街角で若者が演奏する芥川也寸志の弦楽のための三楽章(トリプティーク)・芥川也寸志:弦楽のための三楽章(トリプティーク)その3楽譜付きの版で作曲者本人の