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外見と自分の魅力に自信が無い!それでも自分をあきらめたくないあなたへ本来の魅力や女性らしさを引き出し自信を取り戻して理想の相手に出会えるあなたに変わるパーソナルスタイリストくくりはじめましての方はこちら♡公式ラインはこちら業界屈指♡骨格診断のパイオニアICBI卒業骨格診断アドバイザー検定1級顔タイプアドバイザー1級自分の願いを言えない?もう3月どころか4月に突入しそうですねお久
看板つけましょうよ~千歳市内を散策中に見つけたタコ焼きとたい焼きの店「ホテルクラッセステイ千歳」前のプレハブ店舗でおばちゃん一人体制たい焼きの「つぶあん@120」と「クリーム@120」を購入移動中に食べます作り置きで皮はしっとり、甘めなつぶあんは一緒にお茶が欲しいところクリームは持ち帰ってかみさんへの土産になります店の看板が無くて屋号が判らず、ネットでググれば出てくるだろうと鷹を括っていたが全く解明せず食べログ登録がある事にも気付かずそのまま数日放置後日近くへ行った際に
喜多條忠(きたじょうまこと/別名:喜多条忠[読み同じ]/1947年10月24日~2021年11月22日)は、日本の作詞家、小説家。1947年10月24日、喜多條忠が生まれる。大阪府出身。実家は昆布屋。弟がおり、現在は実家の昆布屋の経営を引き継いでいる。大阪市立菅南中学校(現:大阪市立天満中学校)、大阪府立春日丘高等学校卒業。早稲田大学に進学するも、学費滞納で除籍。大学中退の頃から文化放送の番組の台本書きをするようになる。放送局にてフォーク歌手の南こうせつ(
11月22日午前6時、作詞家・喜多條忠(きたじょう・まこと)氏が肺がんのため横浜市内の自宅で死去した。74歳。+++++++早大を中退したのちに文化放送で放送作家をしていた25歳の時、ひとつ年下の南こうせつと意気投合。アルバム用の作詞を依頼され、南からは「締め切りは今日なんですけど」と平気な顔で言われたとか(笑)。喜多條がその日の帰宅途中にタクシーで早稲田通りの小滝橋に通りがかった時、神田川の河川整備をする都庁職員を目にする。彼はそれで、19歳の時に1年間だけ早大生の髪
私が中学生の頃に一番聴いていた音楽はかぐや姫だ。アコースティックギターを手にして、ギターで弾ける曲を探していたらたまたまフォークソング特集のテレビを見たりして自然と聴くようになった。さて、かぐや姫が活動していた時期は1970年代前半である。それからもう50年。時代は大きく変わり、当時の歌詞の世界が離れるように遠くなってしまったが、どうしてか心に響くものがある。そんなフォークソングの素晴らしさを少しでもお伝えできればと思う。聴いたことがない方は是非聴いてみていただければ幸いである