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慈恩保を推してくださり、本当にありがとうございます!と、言ってみたかったので、言ってみました。でも、こうして慈恩保のブログ「神様より」にお越しくださり、本当の本当にありがとうございます。毎日来てくださる方は、本当に、感謝、感謝でいっぱいです!たまに来てくださる方も、本当にありがとうございます!たまたま来てくださった方も、本当にありがとうございます!起こることに意味のないことはありません!私はそれを確信しています。なのでこうして、スピリチュアルカウンセラーとして、何のためらいもなく真
仏教には、人生観として強烈な一句があります。「生もまた苦である(jātipidukkhā)」――SN56.11この言葉だけを取れば、「生まれない方がよい」という反出生主義に近づきます。一方で、仏教はこうも説きます。「人間として生まれることは得難い」――AN8.29教義の内部では、人間生は「解脱(げだつ)に向かえる足場」として貴重な機会だと位置づけられています。したがって、仏教をそのまま「反出生主義」と断定することはできません。中間結論仏教には「人間と
覚醒記録まとめました。①クンダリーニの大爆発②翌日の経路の変化③食と睡眠に何が起きたのか④変化した体温について⑤第6チャクラの変化1ヤントラとの一致⑥第6チャクラの変化2目からエネルギー⑦第6チャクラの変化3存在の肯定⑧第6チャクラの変化4文献との一致⑨第6チャクラの変化5夢が作られる瞬間⑩初めての至福体験11第2チャクラの浄化1トラウマの表出12第2チャクラの浄化2ドゥルガーの助け13第2チャクラの浄化3神降臨14第5チャクラの浄化1新しい
来年私は60になる。還暦だ。四十や五十で死んでいくというのは理不尽さも感じるが、六十で死ぬというのは自然なことに思える。不思議なことにそう感じる。先日国民年金の払い込み用紙が送られてきた。口座引き落としにしたことはなくて、毎回コンビニか銀行で払ってきた。来年の1月で60だが、どうせ3月まで毎月年度分の支払いがあるのかと思っていたら、1月で終わりになっていた。多少の良心を感じる。良心とは言わんか。(笑)運送屋の仕事で出入りしている図書館では、年度末になると人事に関していろい
『神』は、『有形の神』と『無形の神』に分かれます。『有形の神』としては、日本だと天照皇大神や仏陀、イエス・キリストインドだとシヴァ神、ヴィシュヌ神、サラスワティ女神等の沢山の神様がありますが、全て本当の神様は無形の神の現れです。『無形の神』のことをヨガではブラフマン、イスラム教ではアッラーと呼びますが、本来は形が無いので、名前もありません。そして『グル』ですが、ラヒリ大師が言われるように『グ』は暗闇を意味し、『ル』は暗闇の終わりを意味します。『グル』とは、単なる先生でなく『暗闇』と
淡々と日々を送っているが、何かの拍子にこれは書き残して置こうと思うことがある。今回は、悟りと解脱の違いについて。悟り(さとり)とは世界や自我の仕組みが明晰に見える「私」「他人」「善悪」「求める心」などが構造として理解される一切唯心造・空・非二元などを体験的に腑に落とす心身の反応や癖はまだ動くたとえば「執着は幻想だと分かっている」「欲や恐れが起こるのを、客観的に見ている」これはかなり深い悟りだけど、反応そのものが止まったわけではない。なので悟った人でも以下は、普通に起
この子のことはちょくちょく書いているのだけど、改めて引用してみる。「去年の秋頃のことだったか。運送屋の仕事で私は東京都下某市の図書館の間を車を走らせていた。その市内にいくつかある図書館の間で本を回送させるという仕事だ。市内の公民館やその他の公共施設には図書の返却用のポストが設けられていて、そこからの回収も受け持つ。返却用ポストは130センチぐらいの高さがある。ある公共施設の前にあるポストを開けて回収作業をしていた。ポストの上部にあるふたを開けて中の本を回収するのだけど、そこ
こんにちは✨妃十三です♡ようやく暖かくなった神州に桜が咲き🌸息子がキラキラの中学生になった✨男子が20人も居なかった小学校から一学年6クラスもあるマンモス校になり心配だな〜と思っていたけど友達と共にしっかりとした足取りで学校に歩いてゆく姿を見送ったら👋🏼ものすごい肩の荷が降りたようなか弱い死にそうな生き物を24時間目を離すことなく見ているような任務がわたしには無意識に染みついていたらしく「もう子ども時代が終わり大人になるための準備期間になりました」という先生の言
この動画で思ったこと!輪廻とは「彷徨う心」である——そして、発声もまたその超克である仏教における「輪廻転生」は、多くの場合「前世」「来世」といった時間軸の物語として語られる。だが本来、「サンサーラ(saṃsāra)」の原義は「さまようこと」「流転すること」であり、固定された自己が別の肉体に移動することではなく、むしろ“今この瞬間の心の迷い”そのものを意味していた。人間は、過去の記憶に囚われ、未来の不安に揺れ、現実に定まらず彷徨い続ける。自己の中心が曖昧なまま、他者や環境に反応して変化し続け