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JGC修行って…🧐もっとストイックで、もっと苦行で、もっと無表情な世界だと思っていました。でも現実は……だいたい笑ってました期間は1年2ヶ月。伊丹→東京を何度も往復し、伊丹→那覇へ飛び、気付けばそこから離島へ。「え、またこの保安検査場?」「この動線もう目つぶって歩けるな?😂」そんな会話が日常化。修行あるあるですが、だんだん感覚がおかしくなります。東京日帰りなのに旅行気分。沖縄行くのに近所感覚。そして私達の修行を支えてくれたのが…空弁。完全に空弁😂各地で「今
みなさん,こんにちは。世界一周後半戦から無事帰国しました。27日間の旅,いろいろありましたが楽しかったです!それともう一つ目標としていたANAのSFC修行,解脱しました~!今まで何のステータスも持っていませんでしたので,とても嬉しいです。これからエコノミークラスでも楽になりますね。先輩諸氏の仲間入りです。PPは,まだ加算されていないものもあるようなのですが,56,047(ANA便30,271)で,プラチナ基準を余裕で超えております。0ポイントスタートの同行者もプラチナに到達しており
ヨーガ哲学における「見るもの」と「見られるもの」とは何か?「見るもの(Draṣṭṛ)」と「見られるもの(Dṛśya)」。ヨーガ哲学において、この二つの違いを真に理解することは「悟り」や「解脱」と呼ばれる、ヨーガの最終ゴールそのものです。しかし、この概念は非常に抽象的で、理解するのが難しいものでもあります。今回は、この「知る主体」の正体について紐解いていきましょう。「知る」とは「知識を得る」ことではないまず、ヨーガでいう「知る」という言葉を整理しましょう。「知る」とは
このブログは約1年前の回顧録なので、本日は1年後の現在の話になります。私は最愛の母を失いました。母は最後までこの世に執着していました。魂の抜け殻となった母の横にスマートフォンがあり、その最後の検索言葉は「肺癌治療法」深夜、私は病院から「危篤」と叩き起こされ、その5分後に「死亡」と告げられました。母は死の5時間前には普通に食事し、私と普通に会話もしていました。母は生きたかった。でも身体はもたず、あの世へ旅立つ準備をしていた。私はどうすればよかったのでしょうか?残された者も中々心の整理が出
朝日新聞の土曜版に「生まれ変わっても自分になりたい?」というモニターアンケートが載っていました。「はい」51%「いいえ」49%それぞれ理由も挙げられていましたが,読んでいて一番共感したのがこちらの意見です。「人どころか,考えるものに生まれ変わりたくない。以前は『植物でいい』と思っていたが,今は,『アスファルトでいい』とさえ思う」モノに生まれ変わる,とてもよくわかります。考えて悩んで,という人生は,私もこりごりです。もう一つ。「70点でもまあいいか,と思える性格で生まれ直
『悟りという錯覚』UGクリシュナムルティ著翻訳:水井伸輔(※本翻訳は精度向上のためAIの翻訳案も参照しつつ、翻訳者が原文を精読し、文脈・語感・日本語表現を調整して仕上げたものです。訳文の責任は翻訳者にあります。)UG:そして、わかってもらえると思うが、性というものが、俺という「若い生身の少年」にとって、とてつもない大問題になった。「これは自然なものだ。生物学的な現象だ。肉体の衝動だ。なぜ聖者どもは皆、この性というものを拒絶したがるのか?このとても自然な現象を抑圧するのか?
使っているiPhoneとiPadが終わりそうな気配だ。タブレットはもう必要ないと思われるがスマホは絶対に必要だ。とこらがiPhoneは高くて、もう手は出せそうもない。androidに移る日が来つつあるらしい。言うまでもないと思うが私がiPhoneを契約した当時、本体価格は無料だった。だんだん値段を上がっていって、いずれそういう日は来るだろうと思っていたがとうとう来たらしい。当然iPhoneの中に入っているものをどう移すかということに、頭を悩ませるはめになる。iCloudに保管されて