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プレジデントという雑誌に、作家・五木寛之氏のインタビューが載っていた。のを、夫が見つけた。インタビューテーマは、「捨てない生き方」。夫が図書館で借りてきたのだが、いかにも私に読みなさいと言わんばかりの雰囲気で、リビングテーブルに置かれていた。「捨てない妻」への強い配慮を感じる景色…。五木さんは、「捨てる」ことがとっても苦手な方らしい。ガラクタでもついつい保管してしまう、そういう自分を以前はあまり世間に出せなかった、とも。
あきらめると明らかになる、道は開かれる運命を変えるには、肉体界(この世)を超えるには守護霊、守護神との一体化(三位一体)が必要です。肉体人間の自分ではどうしようもない、どうにもならない、絶対者の神様にすがるしかないとハッキリわかったときから波動が変わる、エネルギーが変わる、そして奇跡?は起こるこれからは、奇跡が当たり前のように起こるようになります。人間は創造主です。神なのです。本文こういう話があるんですよ。親鸞という人がいますね。そのお弟子に唯円(ゆいえん)という人がいて、歎異抄
なたね梅雨このところ、すっきりしない空模様が続く。菜種梅雨です。花の開花時期と重なるため催花雨(さいかう)とも言うらしい。テレビのお天気姉さんによると四季それぞれに「梅雨」がある。冬から春は菜種梅雨、春から夏は梅雨、夏から秋はすすき梅雨(秋雨や秋霖とも…)、秋から冬はさざんか梅雨というそうです。なたね梅雨は、本来の梅雨のむしむし感やあつ苦しさは無いので、不平を言うことなく甘受すべきかもしれない。春雨じゃ、濡れてゆこ…。「春雨や釣りを楽しむ人のあり」:時
こんなヨノナカだけど・・・日本的霊性だからこそ・・・ボクら日本人の面目躍如ってこともあるんだよね。日本的霊性・・・これは世界に禅を広めた鈴木大拙の著作なんだけど、ボクらの精神の根底には霊性(精神の奥に潜在しているはたらき)があって、それがハッキリとしてきたのは鎌倉時代、道元、法然、親鸞らによって日本特有の仏教解釈が頂点に達した時からだということだ。たしかに、ボクらニホン人には特別な資質があると言っても良いだろう。しかし、今はその資質が存分に発揮されているとは言い難い。西洋的な価
新潟県には昔から伝わる歴史ミステリーが存在します。その中でも親鸞にまつわる越後七不思議は特に有名、阿賀野市小島の梅護寺にはそのうち八房の梅と数珠掛桜(梅護寺の数珠掛ザクラ)があります鎌倉時代開基の真宗本願寺派梅護寺八房の梅越後国に配流された親鸞が開基住職の釈龍運から差し出された塩漬け梅(梅干)を庭に植えて歌を詠むと、翌年から芽が出て枝葉が茂り、薄紅の八重の花が咲き、一つの花に八つの実が付く様になったとか※画像借りています立入禁止でしたの
ご訪問くださいまして、有り難うございます(^^)今回から、五木寛之さんのロングセラー、大河の一滴で印象に残ったところを、紹介していきます。この本、初版は平成10年のロングセラーですが、今の、新型コロナ共存の時代に、テレビや新聞にも取り上げられ、再度、ブレイクしています!冒頭、衝撃的な告白から始まります。私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生の時で、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった。五木寛之さんは、終戦後
←クリックしてご覧ください→過去の平成16年から令和元年の一言善通寺の涅槃桜と私鐘楼と御影堂善通寺御影堂親鸞堂由来書護摩堂境内の松聖天堂案内遍照閣済世橋弘田川善通寺物産会館四国フォト事務所店頭に置いてありました苗木の生産者四国フォト広瀬さんと私本日は別格二十霊場15番箸蔵寺から、別格17番神野寺、別格16番萩原寺と第67番大興寺を参拝後に、今回の目的でもある涅槃桜の苗木をいただくため第75番善通寺を最後に訪れました。今回の3日間のお遍路は、今月初め
各宗派の僧侶の花押http://www.nanndemo.info/kaoh_photo/kao_souryo.html空海(弘法大師)http://www.nanndemo.info/kaoh_photo/kao_kobetu_kuukai.html法然http://www.nanndemo.info/kaoh_photo/kao_kobetu_hounen.html道元http://www.nanndemo.info/kaoh_photo/kao_kobetu_
わがはからいにあらず十数年ぶりに開いた作家の五木寛之さんの本に、上記の言葉がありました。漢字で書くと、我が計らいに在らず、かなと思います。親鸞の言葉です。学生の頃、ハリーポッターに胸をときめかせている人の中で、私の心の拠り所は五木さんの本でした。その時は、心に留まる事のなかった言葉です。いま改めて触れて、新し出会いを果たした気持ちです。わがはからいにあらず、にはなるようにしかならないしかし、自ずと、必ず、なるようになるのだという著者の力強い解釈が添えられています。なるようにし
過去記事2012年覚信は、京の親鸞を訪ねる旅の途中で病に倒れる「聖人にお会いしたいと上洛の旅にでましたが、途中のヒトイチというところで病気が重くなってきました。同行の人々は帰郷するようすすめましたが、私は死ぬほどの病気であれば、帰ったところで死ぬ。旅をつづけて死んでもおなじことだ。また、回復する病気であれば、帰郷しても旅をつづけても回復するだろう。もし死ぬのであれば、聖人のおそばで命を終えたいと思って参ります」との手紙を残している。生死、我、業に非ずならば師の傍にて往かん分か