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ナポリ出身の友だちが、眺めの良い場所があるのでそこまで行こう、ということでお散歩はつづく。柱サボテンの高さがすごい。美しい中庭のある建物。ナポリはホントにこのスタイルが多いです。庭付き一戸建てが少ないからかな。眺めの良い場所ということは坂道つづきです。途中、こんなふうに階段もありました。エスカレーターのところもあるすごくカワイイお店何としてでも外のテラス席で食べたいイタリア人の意地を感じるCastelSantElmoカ
蓋井島(ふたおいじま)は下関市吉母(よしも)の沖合約6kmの響灘に浮かぶ島です。周囲約10kmで、35世帯81人が暮らしています。(令和5年4月1日現在)島中部の金比羅山(標高148m)から南東部の乞月山(こいづきやま)を眺めています。島に渡るには市営渡船を利用します。本土側の吉見港から1日2~3便が往復しており、乗船時間は約40分です。季節や曜日によってダイヤは異なりますが、4~9月の土日祝日なら最大6時間半ほど島に滞在できます。なお吉見港には船着き場の前に有料駐車場(1日400
先日、不動産仲間でランチに行きました。場所は・・・、三宮!仕切ってくれた方が神戸市民なので、当然でしょう!集まったのは、4人なんですが、いつもネタにしているように、この4人に、なぜ小生が入ってるのか、不思議なんです。というのも、小生を除く御三方は、すげ〜金持ち!クイズダービー風にいえば、1人を除いて、みんな同じ答え!ってとこでしょうか😁。この御三方と小生では、正に・・・、桁が違うという言葉がピッタリ!御三方と小生、間違いなく、桁が違いますね。桁がいくつ違うのか??1つで
こんにちは☔今日整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらったら坐骨神経痛でしたラジオ体操がきっかけじゃなくて先月の旅行で飛行機に14時間も座っていたのが原因のようでした。"1週間も経ってから症状出るものですか⁉"と聞いたら、「加齢に従って、忘れた頃にやってくるものですよ」と😅腰に注射2本と点滴をしてもらい、お薬をもらって帰ってきました。痛みの原因が分かって良かったてす。早速3/21(木)④この日の最後の行き先はハン・ハリーリバザールエジプトのカイロにあるハン・ハリーリは、中東のバ
その4では両翼の側防穹窖を取り上げるとともに、北端の地下にも匣室が設置された可能性について考察していきます。まずは堡塁の定義を明治期の史料から抜粋します。「堡塁とは近戦自衛の設備を備え陣地の支点又は複郭たる任務を有する防御営造物である。堡塁の形状は通常平扁なる多角形にして之に平行せる壕を設け、壕内は外岸側防穹窖又は「カポニエール」と称する特別の側防設備に依りて側防す。咽喉部も亦側防の設備を為す。而して壕内の側防には小口径速射砲若しくは機関砲を備ふるものとする。」定義の通り龍司山
今日は舞鶴軍港東側に設けられた吉坂(きっさか)堡塁をレポートします。右端に離れて位置しているのが吉坂堡塁となります。堡塁の履歴です。◆起工:明治33年(1900年)7月20日◆竣工:明治35年(1902年)11月20日◆備砲(本堡塁):克式十二糎加農砲2門、十二糎加農砲4門、九糎臼砲6門◆備砲(付属堡塁):十二糎加農砲2門◆備砲完了時期:明治35年(1902年)7月◆設置標高:(本堡塁)240m、(付属堡塁)184m◆廃止:大正8年(1919年)要塞整理にて兵備
今日は雨のち晴れ夜中にかなり強い雨音がしてました。恵みの雨になるといいのですが。肩が痛くてあまりぐっすり眠れなかった朝です。さてさてあっという間の火曜日が過ぎました。マジンガーZ58話前編前回は善戦するもあしゅら男爵の暴走で敗戦。今回はどんなお話でしょうか!タイトルどーん!場面は海、そして島。檻の中にいるのはあしゅら男爵・・・。やっぱりな。海の満ち引きを使ったお仕置きをされてるようです。もう一度チ
薬師山砲台は、函館山最高峰の御殿山ピーク(標高334m)から北東にやや下がった標高250m付近に位置しています。地図で場所を示します。なお矢印は射撃の首線となります。御殿山第一、第二および千畳敷砲台が湾内~津軽海峡に向けての海上射撃を行う海正面砲台だったのに対し、薬師山砲台の射撃の首線は後方にあり、函館港内および地峡に広がる函館市街地に敵が侵入した際にはこれを射撃し撃退することが任務でした。陸正面防御の要素が強いので砲台と言うよりは堡塁と呼んだ方がしっくり来ますが、実際史料には「薬師
最高のお天気だった昨日、地元横須賀の「猿島」に初めて行って来ました⛴️💨猿島と言っても猿は居ません🐵❌😆💦横須賀中央駅から10分ほど歩き、三笠ターミナルへ🎶9:30から1時間ごとにフェリーが出ていて、10分で島に着きます🏝️想定外の人が並んでいて、定員236名の船がいっぱい🈵😳10:30の便にギリギリ乗れました💦目指すはココ↓島はこんな感じ↓東京湾を守る「要塞の島」でした💣今は無人島🏝️トンネルがあったり、砲弾庫、砲台があったり、、、。横須賀市がジブリにチカラを入れているの
◆参考リンク:「豊予要塞の概略」はこちら→→→大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)になると、本土決戦に備えて洞窟陣地を構築し、火砲を移設する作業が各地で行われました。「佐田岬穹窖砲台」もその一つで、鶴見崎第二砲台から移設された三八式十二糎榴弾砲4門を配備する穹窖砲台(洞窟砲台)が構築されました。佐田岬の地図でその場所を示します。佐田岬の先端、灯台下と御籠島に2門ずつ砲台が作られました。現在御籠島の砲台は見学できるように整備されていますが、灯台下の方は外観を見るだけとなりま
◆参考リンク:「豊予要塞の概略」はこちら→→→大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)になると、本土決戦に備えて洞窟陣地を構築し、火砲を移設する作業が各地で行われました。「鶴見崎穹窖砲台」もその一つで、鶴見崎第一砲台から移設された七年式十五糎加農砲4門を配備する穹窖砲台(洞窟砲台)が、鶴見崎半島の東端に構築されました。鶴見崎半島の地図です。現在この場所は遊歩道が整備されており見学が可能となっています。ではまず1つ目の砲座から。だいぶ前面が埋もれてしまっているので
2024/03/03-17:00撮影のWTWウォーターワールドヒデセイジフルピーターライニックリアンマリナーゆりヘレン国旗ディーコンたくやラッキーマギーヴァーノンジミージェットホワチャックなんとリアンマリナーが真後ろの席に座ったので・・・いつもとどこか違う!と思ったらリアンさんのラスト回でした気が付けば、周りは新旧関係者がいっぱい覚えている限りで2015年から出演されていていつでも会える存在だと思っておりましたこうやって誰でもラスト回は存在するんですね今
いつかの週末、いつものように朝ごはん屋さん🍳のブランチからスタート。サルイェルの海沿い、ルメリ・ヒサルの並びのエリアは、朝ごはん屋さんが軒を連ねています。もう結構あちこち入りましたが、今回はこちらに。食後に何しようかってことになり、外から見るばかりで実はオットも未訪だったルメリ・ヒサルRumeliHisarıに入ることにしました。ルメリ・ヒサルは、ルメリ(バルカンなどトルコ人から見たヨーロッパ方面)の要塞という意味で、1452年にメフメット2世に
「その4」では砲座に関する疑問を考察していきますが、この疑問については史料の砲台平面図を見れば瞬時に解決するのでしょうけれど、まぁ見ていないのでああだこうだと考察するわけで(^^;そもそも史料に平面図があるかどうかは未確認ですので分かりません。矢筈山堡塁に配備された火砲は九糎加農砲4門と十五糎臼砲4門で、写真で示すとこんなヤツです。右は12㎝加農砲ですが、9㎝も形状は同じです。1.4つの砲座の用途は何か?矢筈山堡塁には砲座が4つ残っています。いずれの砲座も胸墻に半円
屋根瓦の一部の大工事を半年かけてやっています~その工事にかこつけて・・・なにかとぶっそうなご時世なのでこの度新たに防犯カメラを10台増やすことになりましたTVカメラ数を正式に書くと良くないので台数は書かないですが50台以上設置!と言うことにしておきます死角があって・・・どうしても映り込まない部分がありその部分の補強になりましたどこかの要塞みたいな感じになっています入ってきた人の動きが全部TVカメラで追いかけてくれます全カメラの保存は1か月分コンピューターに保存されて
4年ぶりに渡良大島砲台を再訪しましたので、ブログ記事を書き直します。渡良大島(わたらおおしま)は郷ノ浦港の沖合に浮かぶ島で、近隣の長島、原島とともに「渡良三島(わたらみしま)」を構成しています。なお現地では単に「大島」と呼ばれています。地図で島の位置を確認します。大島に上陸するためにはまず壱岐島に渡ってフェリーを乗り換える必要があります。つまり二次離島と言うわけですね。壱岐島の郷ノ浦港から定期船が1日4便就航しており、原島、長島を経由して大島までは50分の船旅となります。
こんにちは!ゆっきーなです前回のショッピングモール多すぎる説〜紹介編〜をご覧いただいた方、ありがとうございます!みなさま、夏休みはどうお過ごしですか??こちらは7月末にトルコ旅行と8月に最初で最後の一時帰国が控えていてそろそろお土産の準備を本格的に始めていかないとな〜〜なんて思いつつ子どもたちやお友達と毎日楽しく過ごしています♫さて、今回は渡航から1ヶ月間の記録をお届けしようと思います。2022年のラマダンは3月末くらいに
「その3」では赤丸の所から砲座群を見ていきます。左上に前回見た砲側庫①が見えますが、ココから右を見ると...棲息掩蔽部に下る階段があります。掩蔽部は最後に見るのでスルーして進むと、南東の角っこに石垣で囲われた空間があります。見取図では(d)としました。端にある階段を上がって撮っています。床面にブロックや土台が残っていますが、おそらくキャンプ場の施設跡でしょう。この(d)のスペースには砲側庫①の階段が直結していることから、十五糎臼砲の砲座として使われたのではないかと
前回に引き続き今回も2年前の記事を書き直していきます。矢筈山堡塁は北九州門司区大里に聳える矢筈山(標高266m)の山頂部に築城されました。現在は北九州市のキャンプ場になっていますが、当時の遺構を取り入れた造りとなっていますので、破壊の多い下関要塞砲台群の中では非常に良好な状態であり見応えがあります。堡塁の簡単な履歴です。◆起工:明治28年(1895年)8月21日◆竣工:明治31年(1898年)3月31日◆備砲:9㎝加農砲4門、15cm臼砲4門、機関砲2門◆設置標高:25
2024/02/11-15:15撮影のWTWウォーターワールドですヒデセイジフルピーターたくやニックリアンマリナーゆりヘレンサプディーコンだいきラッキーあべやすヴァーノンホワジェットマギーチャック主人撮影分
その3では赤丸の所からスタートします。排水溝のある道筋を辿ります。段差があります。コンクリートの瓦礫が残っているので階段だったのかも。段差を上がった先の平坦地に横長の建物基礎が2棟残っています。まずは建物跡Aです。鉄のボルトがことごとく削られています。続いて建物跡Bです。建物基礎を後にして東に進むとまた破壊された段差があります。段差を上がると沢に架かる橋になっていました。見取図で軍橋④です。この橋、アーチ状になっているんですよね。分かるかな?
今日は壱岐島の南西に浮かぶ長島に構築された長島電燈所をレポートします。**************************長島は大島、原島とともに渡良三島を構成しています。3島を巡るフェリーが壱岐の郷ノ浦港から出ていますが、長島と大島は珊瑚大橋で繋がっています。地図で場所を示します。壱岐島から見た渡良三島です。長島から大島に架かる珊瑚大橋を見ています。*********************************長島電燈所は射光機(探照灯、サーチライト)によ
こんにちは!ゆっきーなです約3ヶ月ぶりの更新になってしまいました・・・笑7月にトルコ旅行、8月は日本に一時帰国をして、9月からは娘が息子と同じ学校に通えるようになったりと、いろんなことがあった3ヶ月でパソコンを開くということすら忘れてしまっておりました😂学校の時間が伸びて一日の自由時間がかなり増えたので、更新頑張っていこう!!と思っています✊そしてそして、大変ありがたいことに・・・最近バーレーンで出会った方々から、ブログみました!という声をいただくことが
その3では穹窖砲台をレポートします。昭和20年(1945)になると本土決戦が現実味を帯びてきたため、露天砲座に配備されていた沿岸砲台の火砲を洞窟に移す作業が各地で行われました。壱岐要塞界隈でも作業が進められましたが、『壱岐要塞兵備資料』には「十五加砲台(名烏四、渡良四、生月ニ)は火砲を洞窟内に収容し射撃準備を完了し附属坑道を構築中にして九月十旬完了の予定なり」と書かれています。洞窟砲台=穹窖砲台は第4砲座周辺に2つ現存していますが、上記史料では渡良大島砲台の4門すべてを洞
森の洋館からの帰り拠点まじかのネザーでマグマに抱かれてしまいました全ロスから武器や防具を揃えていざネザーへ新しく森の洋館へのルートを開拓しようと思ったら攻撃してくるや~つ金装備を付けてなかったようです全ロスして皮装備になってたのを忘れてました改めて座標を頼りに森の洋館まで開拓していきますあの柱はっネザー要塞っ?うかつに中に入るとウィザスケが待ち構えてました大勢で襲ってくるのは卑怯だぞ~遠くから弓で倒していったので安全でしたこれはっアイテ
遺構探索は陸海軍の砲台・見張所に絞って行っています。◎陸軍…要塞の砲台・堡塁・関連施設、北九州の防空陣地◎海軍…警備隊/防備隊所属の防空砲台・見張所・防備衛所・関連施設◆目次◆~クリックで各ページが別ウインドウで表示されます下関要塞(明治/大正期)[概略]砲台:[田ノ首*][筋山*][老ノ山*][田向山*][笹尾山*][古城山*][門司×]火ノ山砲台*:[概略][第一][第二][第三][第四][補助施設][低観測所]堡塁:[戦場ヶ野×][一里山×][金比羅山×][龍司山*]
室蘭臨時要塞小橋内砲台および観測所<米軍撮影>室蘭臨時要塞は、室蘭港周辺にある工場群と港湾の防衛と津軽要塞の背面防御を目的として、1945年(昭和20)に建設工事が開始された。絵鞆半島にある小橋内砲台は敵艦を迎撃するため、96式15センチ加農砲×1門と92式10センチ加農砲×1門の計2門据え付けて防備につく予定で、同年6月に第1砲座、翌月7月に第2砲座を完成させる。<掩体を擬装するための土を取り除いたまま>室蘭市近郊には噴火湾一帯の砂鉄、虻田(現在の洞爺湖町)の鉱山
第81話回廊の戦い・後編〜大親征の終幕〜<あらすじ>帝国軍がいったん退いたのを見計らいヤン艦隊もイゼルローン要塞へと戻り、しばし休息をとっていた。帝国軍の圧倒的な物量の前に薄氷の勝利を重ねるヤン艦隊にとっては、先手で有利を取るしかなかった。出撃したヤン艦隊の前にはミュラー艦隊が控えていた。彼は後方のブリュンヒルドを守るかのように布陣してヤン艦隊と果てしない撃ち合いに応じた。事態は一進一退となり、状況は動かなかった。数に劣るヤンは地形を上手く使って敵を出来得る限り分散し、各個撃破に努めた
その2では赤丸の所からスタートします(・∀・)トンネルに入っていきますがその前に...入口上部に銘板の跡が残っています。たぶん竣工年や工事責任者が刻まれた銘板だったと思われますが、文字は読み取れませんでした。彫られていた字は掠れてしまったのか剥がれてしまったのか、、、。参考までに田向山砲台の銘板を載せておきます。トンネル内部には両サイドに部屋(掩蔽部)があります。南東側の部屋の顔。灯り置きのような小窓が2つ付いています。内部は奥行がなく狭いです。次は北
クロアチア続けます8日目・・9/16コトルの町散策・・・狭い町なので1時間もあれば回れてしまいますやっとねこちゃん見っけ♪この時間はお昼ねかな?アドリア海を隔ててイタリアと向かい合うバルカン半島西部の国モンテネグロ。その海岸線が陸地に入り込み、複雑な入り江となったコトル湾の最奥部にある港町がコトル