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昨日は浅草駒太夫さんお別れ会にご一緒した元・踊り子の有賀美雪さんから現役時代のことやお母様の浜みゆきさんのステージなどについてのお話を伺い、当時の新聞・雑誌記事をお預かりしてきました。
昭和の全日本女子プロレスには、二人のモヒカン刈りをしたミゼットレスラーがいた。モヒカン刈りに口髭のジョージ・岡部は全女初期に〝小人四天王〟の一人として活躍し、遅れてプロレス入りしたミスター・ポーンは当初、普通の七三分けだったが、岡部がリングを去るのと入れ替わりでモヒカン刈りになり、〝岡部二世〟と言われた。『8時だョ!全員集合』のコントで舞台を走り回り、志村けんに張り倒され蹴飛ばされて強烈なインパクトを残したのは、ミスター・ポーンのほうであった。
1967年5月の渋谷・東急文化寄席のプログラム。牧伸二が司会の『大正テレビ寄席』の収録も行われており、「てんぷくトリオ」や結成2年めの「コント55号」、「バラクーダ」の前身のコミックバンド「岡本八とダスターポット」、歌謡漫談の「スリートーンズ」(宮崎じゅんは、のちに『ビートたけしのオールナイトニッポン』で有名になったホラッチョ宮崎)、森繁久彌の物真似が売り物で議員になる前の八代英太、漫才のコロムビアトップ・ライト、晴乃ピーチク・パーチクが出演。
今日5/9(月)は浅草ロック座での上原亜衣さんストリップ復帰公演「Daydream」へ。6年前のロック座での上原さんの引退公演の時も物凄い混雑ぶりだったが、今日もGW明けの月曜午後の1回めから立ち見の出る大入り状態に。ショーとしてもバラエティーに富んだ構成で、上原さんは可愛いし、武藤つぐみさんのエアリアルも久しぶりに見ることが出来たし、出演者7名による「荒野の七人」風の映像も楽しかったな。
ストリップ界を引退する愛染恭子と〈ストリップ界のスーパースター〉影山莉菜が競演した渋谷・道頓堀劇場のチラシ。〈超ビック夢の対決‼〉。花岡舞・星ひかる姉妹も出演。3/30(土)西荻窪・BarHANA「西条昇と有賀美雪の昭和ストリップを語ろう」は1部2部とも残席わずか。お早めのご予約を。☆ストリップ誕生77年記念トークライブ☆「西条昇と有賀美雪の昭和ストリップを語ろう」企画・MC:西条昇(江戸川大学教授、大衆芸能史研究)ゲスト:有賀美雪(踊り子)日時=2024/3/30(土)第1
今日2日は大阪から京都へ移動してストリップ劇場の老舗であるDX東寺へ。若松劇場が閉館してからは芝居小屋の風情の残る外観を持つストリップ劇場は今やここだけか。1971年の開館21周年興行には初代・一条さゆり(当時の劇場前集合写真の中央列の真ん中)も出演。73年の開館23周年興行のポスターを見ると、40名を超す踊り子さんが出演し、空中ゴンドラ回転2台レスビアンも行われていたのだ。歴史ある劇場で観ると、友坂麗さんをはじめとする踊り子さんたちの醸し出すしっとりした情感がいつにも増して心に沁みた。
澤田隆治さんが演出した朝日放送の公開コメディ「スチャラカ社員」(1961年4月~67年4月)のスチール写真。海山物産社員役の中田ダイマル・ラケット、岡山弁で「おえりゃあせんのう」と言うのがウケた課長役の長門勇、事務員(二代目)役の藤純子(のちの富司純子)。藤が「スチャラカ」のレギュラーになったのは63年であり、緋牡丹博徒シリーズが始まる5年前のことだった。
「千鳥かまいたちアワ~」のランバダ特集に僕のランバダの先生である森佐和子先生が出演!海外のランバダのイベントにも参加するほどランバーダ大好きな僕としては、これがキッカケでランバダ再ブームが起きてほしいな。今、世の中にランバダが足りない!!
渡辺プロダクションの渡辺美佐氏の肝煎りで1963年に東京音楽学院が発足し、その生徒たちの中から選ばれたメンバーにより1964年に「スクールメイツ」が結成された。以来、布施明、森進一、平山三紀、野口五郎、キャンディーズ、太田裕美、高橋真梨子、あいざき進也らを輩出する一方、スター歌手のバックダンサーとしても活躍。とりわけ「ドリフ大爆笑」のオープニングとエンディングで、女子メンバーがドリフを囲み、ポンポンを持って白いテニスウェアで踊る姿は多くの人の脳裏に焼き付いているのではないか。そのスクールメ