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8月12日から2、3日間、黒川孝一さんたち尾道の医師が袋町国民学校で被爆者の治療にあたっている。鉄筋コンクリートの建物は窓が壊れ内部も焼けてしまったが、夏の強い日差しは遮ってくれるから、多くの負傷者が逃げ込んだり、軍隊や警防団が動けない負傷者を運び込んだりしたのだろう。それがそのまま臨時の救護所ということになった。八月十二日、吉本良槌先生等と共に、袋町小学校に至り、一、二泊した。ここで吾々は始めて原爆症の実態に直面した。重症被災者が、ぎっしり収容されて居り、オレフ油の臭が立ち込めていた
広島平和記念公園の「マルセル・ジュノー博士記念碑」ジュノー博士は9月8日に岩国に着くと翌日府中町の東洋工業に間借りしていた県庁に向かった。途中瓦礫だらけの街を眺めながらジュノー博士は案内役の松永勝さんたちにこう言った。医大を出たばかりの松永さんは英語ができた。「…たった一発の爆弾で何万という人が殺され、あれから一か月も経っているというのに、毎日のように傷ついた人々が死んでいますね。ひどい人殺しです。人間のどこにこんなことをする権利があるのでしょうか。これは悪魔がやったとしか思われませ
当時県の衛生課に勤めていた松永勝さんの回顧談にも大田萩枝さんとマルセル・ジュノー博士の出会いの場面が出てくる。それは9月10日のことだった。焼けただれて外形だけになったビルは、一昨日の雨で地階が水浸しになっており、一階の病室になっている各教室にも水たまりが点々とあった。被爆前まで県病院の眼科に勤務していた若い女医の大田先生が、階段横の診療所で外来患者を診ており、年輩のふたりの看護婦は、蚊帳が吊ってある病室で患者の面倒をみていた。銘仙のブラウスと黒っぽいモンペの下に海軍の長靴を履いた小柄