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小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.com↑歴史研究の成果を公表しています。このタイミングで何故、蘇我と物部の話題になるのか?実はしばらく前から気付いていた事ではありましたが、書くのが今日になっただけなんで、深い意味はありませんでした〜。↑生成AI「蘇我氏と物部氏の戦い」蘇我氏は「大臣(おとど)」と呼ばれる
今回も引き続き袖ケ浦市の神社です。袖ケ浦の神社ってそれぞれかーなーり個性豊かなのですが、この神社も非常に濃い特色を持っております。率土神社ソットジンジャ袖ケ浦市神納字宮ノ本3382道路沿いの鳥居ものすごい階段!ひいいいいいぃぃぃぃーーーーーー!!!登っても登ってもっ!!(ゼーハー)や、やっと・・・台地上に・・・到着・・・そして振り返ると・・・この景色!絶景!疲れも吹っ飛びますね!下に見えるのは県立袖ケ浦高校の体育館とグラウンドです遥か彼方に鹿野山も見えます
ウガヤフキアエズは神武天皇の父親として記紀には書かれているが、一人の神様として書かれている。しかし、ウエツフミの中では数十代ものウガヤフキアエズ王朝として複数の王を記している。宮下文書やその他の古史古伝でも性別や代数など異なってはいるが、ウガヤフキアエズ王朝が存在している。実は、ウガヤフキアエズ王朝とは海人族安曇氏の王朝であり、日本列島周辺の漁労民達の王朝であった。彼らは縄文時代から陸上の縄文人達と共存していた。彼らは、中国大陸からの渡来人(弥生人や秦氏など)を船に乗せて日本列島に運んだ。彼ら
この日、S夫妻と近鉄奈良駅で10時過ぎに合流し、向かったのは……あの『蘇我氏』の末裔が宮司を務められているという……【宗我坐宗我都比古神社】(そがにますそがつひこじんじゃ)奈良県橿原市曽我町1196住所にまで『そが』の文字がココロは二回目の参拝だ通称を「入鹿宮(いるかのみや)」ともいわれ、古代豪族の『蘇我氏』に関係する神社として知られる。延長5年(927年)成立の『延喜式』では、【宗我坐宗我都比古神社】すなわち「宗我(=地名)に鎮座する宗我都比古を祀る社」と記載されていた。創
みなさんは次のような伝説を耳にしたことがありますか?「天智天皇の御代に薩摩国から献上した采女の一人に玉依姫(開聞姫・大宮姫とも)がいた。景行天皇の御代に一夜にして噴火し出来た頴娃郡開聞岳の山頂の岩穴で鹿の口から誕生したのが玉依姫だった。仙人に育てられた姫は美人であったので13歳で宮中に上がり天智天皇の寵愛を受けていた。他の后たちはこれを嫉んで、ある時、雪の路を素足で歩かせたところ足跡が鹿にそっくりだと悪口をいった。姫はこれを恥じて、15歳の時、郷里の頴娃に帰ってしまった。天皇は表向きは薨去
蘇我氏の先祖は海人族の安曇氏であり、縄文時代から日本列島沿岸で漁撈生活をしており、日本列島と周辺海域の所有者と考えても不都合はない!国際情勢は熟知し、当時の最先端技術を持っており、自ら陸上の土地開発も行っていたようだ!そして、入居者として弥生人達を中国大陸から連れて来た!と理解すると、腑に落ちる!ところが、呉系弥生人や越系弥生人は自給自足の稲作弥生人であった為に、海人族の安曇氏のお魚を期待した程には消費してくれないので、山陰海岸沿岸に入植した新参のお魚食100%の斉系弥生人と入れ替わってもら
3-5ヤマト政権の動向6世紀、ヤマト政権は地方支配の拡大を進展させる一方で、深刻な危機・混乱にも直面した。第1の危機として朝鮮半島からの撤退があげられる。ヤマト政権が半島南部の加耶諸国(かやしょこく)に保持していたと考えられる影響力は、百済・新羅の圧迫をうけ、新羅が加耶諸国を併合した562年には完全に失われることになった。ヤマト政権が直面した第2の危機は、半島情勢にも刺激されて豪族間の対立・抗争が高まったことである。➊筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)の乱
物部氏の祖はニギハヤヒとされる。ニギハヤヒは謎の多い存在だと言われているが、それは意図的に隠されてきたからだろう。ニギハヤヒは大国主だ。大国主はサナンダ・クマラという宇宙の存在が転生した人物。サナンダは複数の意識次元に存在している。そのうちの一つの存在が、シリウスの龍族のニギハヤヒになる。ニギハヤヒという名を名乗って地球に存在したことがあるのかはわからないが、祭神名として出てくる饒速日は、このシリウスの龍族のニギハヤヒからとったものだと思われる。一つ前の記事
奈良国立文化財研究所(奈文研)飛鳥資料館で購入した『蘇我三代』における興味深い内容を以下のとおり記す。・蘇我氏が歴史の舞台に登場してくるのはずいぶん時代がくだってからで、同じ飛鳥の大貴族といっても、物部氏や大伴氏などのように、神話・伝説の時代から様々な場面にエピソードを残し、連綿とした系譜を誇る諸豪族とは異なる。・蘇我氏の起源について、①それまで目立たなかった日本在来の一族が次第に力を蓄え、飛鳥時代の直前になって政治の表舞台に躍り出たという見方と、②朝鮮半島から日本にやってきた渡来人
スタジオジブリSTUDIOGHIBLI@JP_GHIBLIA:設定上はカタカナ表記ですが、「ニギハヤミ」という名前は、飛鳥時代に蘇我氏と争って破れた物部氏の祖先といわれる饒速日命(ニギハヤビノミコト)や、川の神で龍の化身でもある速秋津彦(ハヤアキツヒコ)など複数の神を合成したものだそうです。2022年01月07日23:22こちらも気になりました。東北のことや「もののけ姫」のことも書かれており今この時代にとても大切な言葉が記されていると思いました。↓国常立命(金龍)また