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4月7日、いわき市の「小川諏訪神社」を訪れ、樹齢650年の「シダレザクラ」を見て感動したことを書いた。その時、少し先に「いわき市立草野心平記念文学館」があると聞いて、せっかくだから行ってみることにした。いわき市立草野心平記念文学館www.k-shimpei.jp山の上に建てられた、眺めの良い素敵な建築で、周りも散歩しつつ、心地よく過ごすことができた。「草野心平」は、いわき出身の詩人。実は、僕は名前くらいしか知らなかったのだが、この機会にゆっくりと作品とか展示に触れ
東北大震災の福島原発炉事故が起きたとき草野心平の故郷に思いを馳せた。とくにモリアオガエルを詠じた川内村平伏沼(へぶすぬま)の放射能汚染の影響が気がかりだった。死を超える生の歓びと美を蛙に託して詠った『エレジー、あるもりあおがえるのこと』の詩が生まれたこの沼の保全が進んでいることに胸を撫で下ろしている。電気飴で白くなった水楢の枝先愛の結晶から生まれた奇跡の形逞しい母たちの体はボロボロに痩せ命のかけらを澄まし顔で他の命に繋ぐ卵膜を破った無数の蝌蚪たちは電気飴の泡を旅衣にして
『わが抒情詩』は、草野心平(1903-1988)の詩集『日本砂漠』に収録されている同名の詩を、千原英喜(1957-)が合唱曲として発表した作品です(『混声合唱のための「コスミック・エレジー」』収録)。草野氏は、『帝都日日新聞』の記者として満州に渡り、その後、中華民国国民政府の宣伝部顧問として終戦まで南京に滞在していました。この詩は、彼が終戦により無一文となって日本に帰国した際に目にした、瓦礫の山となった日本の姿と、一変した自身の生活を綴ったものです。詩は全体を通すと結構な長さになる