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曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明氏の心に響く言葉より…《言葉の多き》(しゃべりすぎてはいけません)現代社会を特徴づけているのが「言葉の軽さ」ではないかと思います。そのこととコインの裏表になっているのが、言葉の多さ、しゃべりすぎです。軽い言葉が縦横無尽に、有り体にいってしまえば、野放図に交わされている。良寛さんには嘆かわしい時代風景でしょう。この戒めはいかにも禅僧らしいものといえます。禅には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉が
修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…修養団で三泊四日の研修を終えられた最後の日に、「帰ったら弟にごめんなさいってお詫びをしたいと思います」と言ってくださった方がおられました。「私の弟は耳が聞こえません。そしてしゃべることができません。その弟と、おふくろと私と三人暮らしなんです。親父が早く死んで、私が父親代わりで今まできました。おふくろや弟を大事にしてやらなきゃいけないってことは、いやというほどわかっていましたが、なかなかできませんでした。
人は生きていると、病気や災難に遭遇することがあります。私も、過去を振り返って、よく生きてこれたなぁ💕と感じることもしばしば。辛くて、自殺したい😢と思ったことも何度かありますよ。でもね、その時、残された家族のことを思ったら、そんなことできない…😢と思ったり、私の苦悩を知って、自殺したいという思いを察してくれた人から、「死んだらだめだよ」の一言で思いとどまったり…そんな経験をしながら、人生を歩んでいると、「下り坂」から「平坦な道」になって、「上り坂」になる時もあるんですね。もし、あの時、自
私がブログのタイトルにもしている「見えない弦」というのは、良寛和尚の言葉にある「没弦琴(もつげんきん)」から来ている。私の尊敬する野坂惠子先生が、良寛さんのファンで、よくこの「没弦琴(もつげんきん)」のことについてもお話されていた。「弦のない琴を奏するって、どんな感じなんだろう・・・」とワクワクしながらよく想像したという話を目を輝かせながらされていた。曲を頭に入れて指を動かせば、その楽器を演奏したことになるけれど、それだけでは音楽とは言えない。では音楽の本質とは何かと考えた時に、この良寛さ
最後に国領神社の千年の藤を追記してます新潟国上山この前とんぼ返りで江戸時代晩期の禅僧ででも世間一般の枠組みにはまったく囚われずお寺などもたず内なる声にしたがって仏の道を精進し目の前のひとりに寄り添い仏の心を生きた良寛さん観る・学ぶ|新潟県燕市の観光スポット情報なら燕市観光協会燕市観光協会TSUBAMETRIP(ツバメトリップ)では、新潟県燕市の観光情報を紹介します。工場見学や体験スポット、良寛の芸術、桜まつりおいらん道中をはじめとしたイベントなど、