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おはようございます!なんか、、年の瀬も近づき、だんだんと慌ただしくなってきましたかネ?いや、気のせいかな(笑)いやはや、、何かとバタバタしておりますが(⌒-⌒;)さて、チト、アニメに出てくる宇宙艦艇の大きさ比較でもと、、宇宙戦艦ヤマト、、やはり、実在した戦艦大和と近い大きさでしょうから、、こんなもんですよね(⌒-⌒;)で、ガンダムに出てくる連邦軍のサラミス、、ヤマトより小さいのか、、一体、モビルスーツを何機収納できるのかしら??確か、ジムが上下に立ってい
護衛艦いずも見学のあとは、タグボートによる港内クルーズ!!昨年も乗る予定があったのですが、風の影響で中止に。リベンジ成功です雨が降りそうな空模様。この日は、きり型が3隻もいました。(映っていないけど)Y1:あまぎりY2:たかなみ左から、Y3:ときわ・ゆうぎりY4:もがみ・やまぎり先ほどの護衛艦いずも。やっぱり海から見てもド迫力!!潜水艦
ここのところ、コロナウイルスによる外出自粛要請のため、家の外に出る気にもならず、なんとなくダラダラとしてしまいました。ブログのネタも思いつかないので、船の大きさの話でも書いてみようと思います。船の大きさとして使用される単位に「トン」があります。この「トン」ですが、このブログでも「常備排水量」「基準排水量」「総トン数」などで「トン」を使用していますが、この「トン」は大きく2つの異なる内容を示しています。一つが「重量」を示し、もう一つは「容積」を示しています。大別すれば、「重量」を表わ
昨日は神戸・ポートアイランドに巡視船「せっつ(PLH-07)」を見に行きましたが、帰りに尼崎に寄り道しました。難波八幡神社という神社に行くためです。令和3年3月27日・尼崎・難波八幡神社本殿の前は桜が満開でした。難波八幡神社・本殿前の桜この神社にはこんなものがあります。「國光宣揚軍艦榛名」と書かれています。これは、戦艦「榛名」のマストであったものです。「國光宣揚軍艦榛名」と記された国旗掲揚柱この柱は13メートルの檜の丸太で、第二次改装時に戦艦「榛名」から取
今日は少し早く帰れたので、先日Amazonで注文していた雑誌「丸」2021年3月号をめくっています。この中で「秘話発掘日本海軍幻の巨大艦計画300メートル空母」なる記事があります。どうも、帝国海軍の航空本部による試案と、マル五計画の45,000~50,000トン級の航空母艦・仮称「第800号艦」型2隻建造計画によるもののようです。この「第800号艦」は、計画番号を「G-14」と名付けられていますが、概略設計すら不明な机上計画のみの艦であったようです。「丸」には、不思議な航空母
前回の「やっちまった」で登場した「写真日本の軍艦」から、とも思いましたが、まだじっくり中味を見ることができていませんので、別の書籍から。今回の書籍は「改訂船体各部名称図」なる書籍です。この書籍、海文堂から出版されており、池田勝氏の著作です。初版の発行は昭和54年9月で、手元にあるのは平成12年7月の7版でした。実はこの書籍、今年の7月に紀伊国屋書店梅田本店で購入したので、発行から私が購入するまで20年近くの時を経たようです。私は専門が重電系なので船舶は素人です。下手
今回は、「宗谷」を取り上げようと思います。非常に有名な船ですね。帝国海軍の運送艦として運用された「宗谷」は、帝国海軍の運送艦から海上保安庁へ、そして南極観測船となった長寿艦です。「宗谷」は海軍が建造したものではなく、商船として建造されます。昭和11年9月に川南工業がソビエト連邦通商代表部から砕氷型貨物船3隻を受注した内の1隻で、昭和11年12月に香焼島造船所で起工され、昭和13年2月に進水し「ボロチャベツ」と命名されます。しかし、第二次世界大戦直前の情勢に鑑み、ソ連への引渡はなされず、
先日、兵庫・竹野港の防波堤として使用された、駆逐艦「春風」を取り上げましたが、今回は浮桟橋となった軍艦について、取り上げてみます。その軍艦とは、巡洋戦艦「天城」です。結構ネット上では取り上げられていますので、ご存知の方も多いとおもいます。巡洋戦艦「天城」は、「八八艦隊」の5号艦として、また、巡洋戦艦の1番艦として計画され、大正8年7月に「天城」と命名され、大正9年12月に横須賀海軍工廠で起工されます。【要目】常備排水量:41,200トン、垂線間長:234.7m、水線長:249.9m
このブログを読んでる良い子の皆さんや紳士淑女の皆さんは戦車の数え方はもちろん解っているよね?日本語の助数詞はバラエティに富んでおり、一説には約500種類もの数が存在するが、今日一般に使用されるものはそれよりずっと少なく、「個」、「匹」(動物)、「本」(細長いもの)、「枚」(平たいもの)等の多数の語に充てられる助数詞を使う事が多いそうだ。これって外国語では珍しいらしいね。りんごは「1個」、にんじんは「1本」とものを数えることを助数詞といいます。英語やドイツ語にはないそうで、中国、韓国、
さて、前回は戦艦「陸奥」の大改装までについて書きました。今回は、「陸奥」の大改装の内容から続けます。この大改装工事では、水平防御および垂直防御の強化、主缶換装による出力増大、艦尾の延長、各種機器の近代化および主砲・副砲の仰角引上げなどを主体とするもので、昭和9年9月から昭和11年9月までの2年間に渡って行なわれました。艦容も前楼の重層化、第一煙突の廃止など大きく変貌します。【要目(大改装後)】基準排水量:39,050トン、公試排水量:43,400トン水線長:221.07m
年始なので、派手な大型艦である戦艦の話題としてみたいと思います。ただし、実際に建造した艦ではありません。当ブログの中でも、多数アクセスいただいている記事に「歴史に二度?登場した戦艦「紀伊」とは」があります。「紀伊」型戦艦は、八八艦隊の「加賀」型戦艦に続く戦艦として建造が予定されていた艦で、巡洋戦艦「天城」の防御を強化した「戦艦」として建造が予定され、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに正式に命名されています。戦艦「加賀」の完成予定模型(引用:Wikipedia)(Kawa
今回は潜水艦です。帝国海軍では、昭和11年に海軍大学校により真珠湾に在泊する米海軍艦艇に対する航空機攻撃について文書「対米作戦用兵ニ関スル研究」をまとめています。後年の「真珠湾攻撃」に繋がる研究ですが、その中では「敵ノ不意ニ乗ジ航空機(空母(艦載機)並ニ中艇、大艇)ニ依ル急襲ヲ以テ開戦スルノ着意アルヲ要ス」として、襲攻撃には空母艦載機の他に航続力の大きい飛行艇(大艇、中艇)を使用する計画であるとされています。さらに、中艇および大艇はマーシャル諸島東端付近から出発、途中に配備した水上機母艦で
今回は、帝国海軍の魚雷艇について書いてみたいと思います。魚雷艇については、南太平洋・ソロモン諸島付近における米海軍魚雷艇の運用が比較的有名かと思います。後の米国大統領ジョン・F・ケネディも魚雷艇「PT-109」に乗り、昭和18年8月2日にソロモン諸島のニュージョージア島の西で、帝国海軍の一等駆逐艦「天霧」に衝突され沈没したものの生還した話は有名ですよね。米国海軍魚雷艇「PT-109」上のジョン・F・ケネディ(引用:Wikipedia)(不明-http://www.jfklib
大東亜戦争後、防波堤として利用された艦艇が15隻あります。当ブログでも、以前兵庫・竹野港の防波堤となった一等駆逐艦「春風」(戦後に地味な武勲を讃えられた駆逐艦「春風」)と、福島・小名浜港の防波堤となった一等駆逐艦「澤風」(航空隊の訓練、対潜掃討、戦後は防波堤として活躍した駆逐艦「澤風」)を取り上げました。竹野港の防波堤となった「春風」の船体(引用:「京都府」HP、漁村・漁港の紹介京丹後市編)漁村・漁港の紹介www.pref.kyoto.jpなかでも有名なのは、北九州市の若松港
前回に続いて、レイテ沖海戦に参加した戦艦を取り上げます。レイテ沖海戦では、戦艦「大和」「武蔵」を中核とした「栗田艦隊」、好悪空母艦「瑞鶴」「瑞鳳」を中核とした「小沢艦隊」、戦艦「扶桑」「山城」を中核とした「西村艦隊」、一等巡洋艦「那智」「足柄」を中核とした「志摩艦隊」が参加しています。その中で、南側からレイテ湾を目指したのが西村祥治中将率いる「西村艦隊」でした。今回は西村艦隊の旗艦であった戦艦「山城」を取り上げてみたいと思います。戦艦「山城」は、「扶桑」型の2番艦として大正2年度の