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一昨日から1泊2日で山陰地方の出張に行ってきました。米子駅では、建て替えのため9月4日で現駅舎が廃止され、仮駅舎へ移転するらしいです。現在の米子駅今日は久しぶりにサノヤスへ行ってみようかと思いましたが、体力が…。年ですかね。今回は幻の航空母艦を取り上げてみましょう。その名は「翔鶴」といいます。「翔鶴」は幻ではないだろう。珊瑚海海戦や南太平洋海戦で活躍したではないか。と思われるでしょうが、帝国海軍では「翔鶴」の名は3代にわたって継がれています。3代目が大東亜戦争で活躍した航
大東亜戦争の初期、本土の東方の太平洋における敵艦隊等の監視を目的として、遠洋漁業を行う漁船を改造し「特設監視艇」として徴傭し展開していました。その中で有名なのは昭和17年4月18日に帝国本土爆撃を行う(ドーリットル空襲)ために接近中の米海軍の機動部隊を発見した、底引網漁船を改造した特設哨戒艇「第二十三日東丸」です。「第二十三日東丸」は軽巡洋艦「ナッシュビル」と航空母艦「エンタープライズ」所属のF4Fワイルドキャットの攻撃を受け撃沈され乗員14名全員が犠牲となります。しかし、この攻撃中に無線に
8月に国会図書館関西館でコピーしてきた資料を整理していました。コピーの中に雑誌「船の科学」昭和44年8月号に掲載されたに遠藤昭氏の「日本海軍建艦計画史」という連載の第4回が載っています。この中に「日本建艦の特長」という項があります。少し長いですが引用します。「この時期の日本海軍造船陣は、優れた二つのアイデアを示すことによりその高い独創性を世界に示すに至った。その一つは、戦艦薩摩の設計に示した単一巨砲主義への目ざめであり、迅速に巨艦を建造する工業力を持った英国に1年以上遅
先日、兵庫・竹野港の防波堤として使用された、駆逐艦「春風」を取り上げましたが、今回は浮桟橋となった軍艦について、取り上げてみます。その軍艦とは、巡洋戦艦「天城」です。結構ネット上では取り上げられていますので、ご存知の方も多いとおもいます。巡洋戦艦「天城」は、「八八艦隊」の5号艦として、また、巡洋戦艦の1番艦として計画され、大正8年7月に「天城」と命名され、大正9年12月に横須賀海軍工廠で起工されます。【要目】常備排水量:41,200トン、垂線間長:234.7m、水線長:249.9m
今回は、かなりマイナーになります。帝国海軍の類別では「特設砲艦」となっていたため、正式な艦艇ではありませんが、その姿は戦闘用艦艇そのものでした。その特設砲艦の名は「南海」および「南進」の2隻で、民間徴用船の特徴である船名の後ろに付く「丸」もありません。なぜなら、この2隻は当初オランダ海軍の敷設艦として建造されたものだからです。蘭領東インド政府に配備する敷設艦として、昭和16年にスラバヤで「ラム(Ram)」および「レグルス(Regulus)」の2隻が起工されました。しかし、昭和17年
引き続き、駆逐艦を取り上げます。前回の「吹雪」より少々時代を遡ります。大正中期、帝国海軍は主力艦の大量建造計画である「八四艦隊計画」を立案し、さらに「八六艦隊計画」に拡張していく中で、水雷戦隊用の一等駆逐艦として「峯風」型が建造されます。さらに建艦計画は「八八艦隊計画」へ移行し、一等駆逐艦も「神風(二代目)」型へマイナーチェンジされます。この「神風(二代目)」型は、「八六艦隊計画」で3隻、「八八艦隊計画」で2隻が建造され、3番艦以降は「ワシントン海軍軍縮条約」による計画変更の中で4隻が
以前、帝国海軍艦艇について、基礎資料となる書物を紹介しました。艦艇を網羅的に知る基礎資料の要素として、(1)艦艇の種類について知ることができる(2)艦艇の姿(写真等)がわかる(3)艦艇の変遷がわかる(4)艦艇の要目がわかるなどを挙げていましたが、今回は「商船」をテーマとしてみましょう。「商船」は「艦艇」ではないですが、特設艦艇や徴用船も含めると、「商船」の一部は「海軍艦船」籍に入っていた船として扱うことができるのでは、と思いこのブログでも度々取り上げています。それら商船に対
アメリカ海軍の艦船海岸で見かけた米海軍の艦を撮った写真です...米海軍までは判ったのですがそれ以上は詳しくないので艦船の説明は省略します...すみません...今回は「ミレニウム」(MILLENIUM)のアルバム「Hourglass」から「PowertoLove」です...とにかくカッコイイ曲です!Millenium-PowertoLove&amp
先日訪れた「三菱重工長崎造船所資料館」には、艦船の進水時に使用される斧が複数展示されていました。その中でも「幸運の斧」と命名された斧に目が留まりました。「幸運の斧」「幸運の斧」の説明文この「幸運の斧」ですが、大正10年5月に三菱長崎造船所で進水した峯風型一等駆逐艦「夕風」の進水式で使用されたものです(説明文に書いてありますが…)。で、今回は一等駆逐艦「夕風」を取り上げます。「夕風」は先にも書いた通り、峯風型一等駆逐艦の10番艦で、戦艦「長門」などと共に「八八艦隊」を構成する
今回は、それまでの帝国海軍駆逐艦像を根本的に変えてしまった、「特型(吹雪型)」駆逐艦を取り上げます。「特型」駆逐艦は、それぞれ大東亜戦争で活躍しますが、その中で一隻のみ戦争に参加していない艦があります。「特型」駆逐艦4番艦「深雪」です。駆逐艦「深雪」は、昭和2年4月に浦賀船渠で起工され、昭和4年6月に就役しています。「特型」駆逐艦は、前級である「睦月」型駆逐艦から見て、主砲は12cm単装砲×4から12.7cm連装砲×6へ、魚雷兵装は61cm3連装×2から3へと重兵装になり、強力な駆逐艦とし
大東亜戦争後、防波堤として利用された艦艇が15隻あります。当ブログでも、以前兵庫・竹野港の防波堤となった一等駆逐艦「春風」(戦後に地味な武勲を讃えられた駆逐艦「春風」)と、福島・小名浜港の防波堤となった一等駆逐艦「澤風」(航空隊の訓練、対潜掃討、戦後は防波堤として活躍した駆逐艦「澤風」)を取り上げました。竹野港の防波堤となった「春風」の船体(引用:「京都府」HP、漁村・漁港の紹介京丹後市編)漁村・漁港の紹介www.pref.kyoto.jpなかでも有名なのは、北九州市の若松港
年始なので、派手な大型艦である戦艦の話題としてみたいと思います。ただし、実際に建造した艦ではありません。当ブログの中でも、多数アクセスいただいている記事に「歴史に二度?登場した戦艦「紀伊」とは」があります。「紀伊」型戦艦は、八八艦隊の「加賀」型戦艦に続く戦艦として建造が予定されていた艦で、巡洋戦艦「天城」の防御を強化した「戦艦」として建造が予定され、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに正式に命名されています。戦艦「加賀」の完成予定模型(引用:Wikipedia)(Kawa
本日はぼ~っと一日を過ごしてしまい、あまりお題が浮かんでこないながら、丸スペシャルなどをペラペラとしていたら、「未成航空母艦」が目に留まりました。終戦時に建造中のまま放置されていた航空母艦は、「雲龍型」の「笠置」「生駒」「阿蘇」と一等巡洋艦として建造途中に航空母艦へ変更され建造が続けられていた「伊吹」の4隻があります。航空母艦「笠置」(出典:Wikipedia)航空母艦「生駒」(出典:Wikipedia)航空母艦「阿蘇」(出典:Wikipedia)航空母艦「伊吹」(出典
今回は潜水艦です。帝国海軍では、昭和11年に海軍大学校により真珠湾に在泊する米海軍艦艇に対する航空機攻撃について文書「対米作戦用兵ニ関スル研究」をまとめています。後年の「真珠湾攻撃」に繋がる研究ですが、その中では「敵ノ不意ニ乗ジ航空機(空母(艦載機)並ニ中艇、大艇)ニ依ル急襲ヲ以テ開戦スルノ着意アルヲ要ス」として、襲攻撃には空母艦載機の他に航続力の大きい飛行艇(大艇、中艇)を使用する計画であるとされています。さらに、中艇および大艇はマーシャル諸島東端付近から出発、途中に配備した水上機母艦で
このブログを読んでる良い子の皆さんや紳士淑女の皆さんは戦車の数え方はもちろん解っているよね?日本語の助数詞はバラエティに富んでおり、一説には約500種類もの数が存在するが、今日一般に使用されるものはそれよりずっと少なく、「個」、「匹」(動物)、「本」(細長いもの)、「枚」(平たいもの)等の多数の語に充てられる助数詞を使う事が多いそうだ。これって外国語では珍しいらしいね。りんごは「1個」、にんじんは「1本」とものを数えることを助数詞といいます。英語やドイツ語にはないそうで、中国、韓国、
こんばんは日中はまだまだ蒸し暑いですね。ここのところご無沙汰しておりました初めて読者登録して下さった方がいて励みになります。前回に続き、出港中のお話です「出港中は連絡がとれないため、手紙をもらえるとみんなすごく嬉しいんだ」という話を出会って間がない頃から聞いていました。出港中に手紙なんてどうやって受けとるのと当初とても疑問だったのですが、そこはうまくできてるんですね~。給油や様々な理由で立ち寄る寄航地に配達され、個人個人に配られるそうです。それを聞いてせっかくだからと私も出しまし
先日、大阪・千早赤阪村の建水分神社へ参拝したことを取り上げましたが、この日はせっかく外出したので一か所で帰宅する訳はなく、もう一か所回っています。千早赤阪村から羽曳野市・柏原市を経てJR関西本線(大和路線)と併走し大和川を渡り、奈良県生駒郡三郷町へ。ここには二等巡洋艦「龍田」の艦内神社として分祀された「龍田大社」があります。「龍田大社」境内入口の大鳥居綺麗に整備された境内で、この時は一部工事中の部分もありました。「龍田大社」の石柱も新しいようです。「龍田大社」の拝殿
2020年2月2日に護衛艦「たかなみ」が中東海域に向け出航したことがニュースになっていましたね。約3週間かけてアラビア海北部やオマーン湾に向かい、2月下旬をめどに現地で情報収集活動を開始、活動期間は12月26日までだそうです。無事に帰還されることを祈ります。この護衛艦「たかなみ(DD-110)」は、汎用護衛艦「たかなみ」型5隻のネームシップで、平成12年5月にIHIマリンユナイテッド・浦賀工場で起工され、平成15年3月に竣工しました。前型である「むらさめ」型の改良型で、大型のラティスマ
遅ればせながら「ゴジラ-1.0」を観てきました。今年映画館で観た作品の59本目です。いつもなら公開後1週間以内に観るのですが、当初は(この作品は別に観なくてもいいかな)と思っていました。が、11月末で期限が切れる優待券が余りそうだったので…内容については割愛し、ここでは「海上自衛隊」が協力した(と思われる)部分である旧日本軍の戦闘機、艦艇についてお伝えさせていただきます。作品内容や出演者情報、感想等を期待している方には申し訳ありません。主役のゴジラについては、尻
今回は帝国海軍初期の艦艇について書いてみようと思います。大日本帝国に海軍省が設置されたのが明治5年2月でした。この時に帝国海軍の艦船として登録されたのは、下記の艦船となります。「軍艦」「運送船」東1,358噸大阪440噸龍驤2,530噸春風885噸(明治6年5月・肇敏と改名)筑波1,978噸快風155噸富士山1,000噸春日1,269
今日は艦艇について書こうかと思います。昭和20年8月15日、大東亜戦争終結時に「浮いて」いた軍艦は殆どありませんでした。【昭和20年8月15日に「浮いて」いた軍艦】戦艦:「長門」航空母艦:「鳳翔」「葛城」「龍鳳」「隼鷹」一等巡洋艦:「妙高」「高雄」「八雲」二等巡洋艦:「北上」「酒匂」練習巡洋艦:「鹿島」潜水母艦:「長鯨」敷設艦:「若鷹」「箕面」このうち、「妙高」「高雄」はシンガポール、「若鷹」はスラバヤ沖にあり内地にはいませんでした。特に「妙高」「高雄」の2
昨日は神戸・ポートアイランドに巡視船「せっつ(PLH-07)」を見に行きましたが、帰りに尼崎に寄り道しました。難波八幡神社という神社に行くためです。令和3年3月27日・尼崎・難波八幡神社本殿の前は桜が満開でした。難波八幡神社・本殿前の桜この神社にはこんなものがあります。「國光宣揚軍艦榛名」と書かれています。これは、戦艦「榛名」のマストであったものです。「國光宣揚軍艦榛名」と記された国旗掲揚柱この柱は13メートルの檜の丸太で、第二次改装時に戦艦「榛名」から取
さて、前回は戦艦「陸奥」の大改装までについて書きました。今回は、「陸奥」の大改装の内容から続けます。この大改装工事では、水平防御および垂直防御の強化、主缶換装による出力増大、艦尾の延長、各種機器の近代化および主砲・副砲の仰角引上げなどを主体とするもので、昭和9年9月から昭和11年9月までの2年間に渡って行なわれました。艦容も前楼の重層化、第一煙突の廃止など大きく変貌します。【要目(大改装後)】基準排水量:39,050トン、公試排水量:43,400トン水線長:221.07m
今回は、帝国海軍の魚雷艇について書いてみたいと思います。魚雷艇については、南太平洋・ソロモン諸島付近における米海軍魚雷艇の運用が比較的有名かと思います。後の米国大統領ジョン・F・ケネディも魚雷艇「PT-109」に乗り、昭和18年8月2日にソロモン諸島のニュージョージア島の西で、帝国海軍の一等駆逐艦「天霧」に衝突され沈没したものの生還した話は有名ですよね。米国海軍魚雷艇「PT-109」上のジョン・F・ケネディ(引用:Wikipedia)(不明-http://www.jfklib
サイコロきっぷで呉が出たので行った広島旅行2日目は呉に行きました呉と言えば海軍でしょう!鉄のくじら館と大和ミュージアムは履修済みなんで申し込みましたよ一般公開の抽選に呉地方総監部第一庁舎見学こちらの総監部は月に2回一般公開されてるんです見学には事前申請が必要で申し込みが多いと抽選になるんですよ当選して良かった…!私、これに合わせて旅行の日程組んだからねこの素晴らしい建物が海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎レンガと御影石で作られた近代洋風建築正面入り口も素敵ですええわぁ