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昨夜、日テレの番組を観て、長女の発症の最初の1ヶ月を深い部分で私自身の記憶が蘇って来た。激しい顔面の不随意運動がステロイドパルス療法を投与してから起こってた。眉や目、口を中心に普通では動かない筋肉を激しく動かしてた。ぎょっと見開いたり、口を変な形で連動させたり…。狼人間が狼に変身するかの様な形相をしたり…。ただ悲しい迄の変貌ぶりに先の不安だけを感じてた。右手と右足だけが、不自然に暴れまくってた。左半身は全く動かず反応も無かった。動かないのを利用して輸液を送る為に主に左側は使用した。右手は
窒息事故から37日目。退院して1週間がたった。大きく変わったのはやはり目の動き退院した直後はまだ左に引っ張られるように左を見続けていたのだが今日に至っては自然に目をキョロキョロさせて首ごと見たい方向を見ている。しかし、追視はまだない父のアドバイスに沿って見えてるかの検査をした。懐中電灯🔦に布を巻いて眩し過ぎないようにした物を餅男の顔の遠くからゆっくり近づける。顔の前で少し止まり目がこちらを向いたら少しずつ外側へ懐中電灯を動かす。それに目が付いてこれば追視
次の日から面会が楽しみになりました。朝早くから行き同じ時間を過ごしました。息子は目覚めた時のように話さなくなってしまいました。イェーイ…ワァァオ…イェーイ…の繰り返しで意味がない言葉を一人で天井を見ながらずっと言っていました。私はとても不安になりましたが先生達は逆に目覚めた時の会話ができた方が異常で今の方が脳が落ち着いてきているように見えるとおっしゃっていました。元々お喋りな息子だったのでそんな性格が出ていたのかなと思います。ステロイドパルス治療という
以前の記事がアメトピに掲載して頂いたようでビックリするようなアクセス数になっており思わず携帯を落としそうになりました(笑)脳症や脳炎の認知に繋がれば嬉しく思います。picuで息子が眠っている間毎日保育園へ行くときに大好きで車で観ていたペットというDVDと仮面ライダーのアルバムをプレイヤーで流していました。本人に聞こえていたかは分かりませんがスタッフの皆さんもわたしが面会する前からDVDやCDを流してくださっていました。アラーム音と呼吸器の空気の音だけが鳴
病院に向かう車の中ではなるべく暗い雰囲気にならないように二人で多くの希望や将来の話をしていました。主人とは出会ってすぐ結婚したので5年近く一緒にいるのに二人きりで出掛けた事が2~3回しかありませんでしたインドアな主人とアウトドアなわたしは基本別行動で主人が休みで家にいてもわたしが子供を連れて出掛けるそれが当たり前でした。時々、周りになんで旦那さんは一緒に出掛けてくれないの?一人で子供二人大変じゃん!って言われていましたがわたしからすると遠出慣れしていない
息子の回復を少しまとめてみました。よろしかったらご覧下さいpicuにいる時です。点滴がない時間にリハビリを入れてくださるようになりこのときは首が座っておらず自分で体を動かすことも出来ませんでした。人工呼吸器も付けています。リハビリ用の椅子です。少しづつ小さなリハビリを重ね首はまだ座ってないですが椅子に座るリハビリもはじめました。椅子に座るだけで全身に力が入り熱が上がってしまい常に冷やしながら一時間ほど頑張りました。このときは大好きなペットのDVDを観なが
昨日から小学生の甥っ子と姪っ子が家に泊まりに来ていました(*^^*)長男は二人が大好きすぎて毎回別れ際は大号泣です車で10分の距離に住んでいるのにまるで遠距離恋愛の恋人のようなハグをしているので可愛いなあと毎回そっと見守ります(笑)大きくなっても仲良くしていて欲しいものです前回の入院生活のブログから間が空いてしまいましたが今日からまた少しづつ続きを書いていきたいと思います🌸いつもいいねを押して下さる皆様本当にありがとうございます(>_<)皆様のいいねがすご
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)夫と付き添いを交代した翌日は、食料品の買い出しや家の掃除・整理整頓をした。外食ばかりにならないよう、冷凍ご飯を用意したり、温めるだけで食べられるレトルト食品などを準備した。娘とはショッピングモールへお買い物に行ったり(私の付き添い入院の準備に付き合わされただけ?)家でたくさん遊んだりした。息子はというと、ステロイドの点滴が始まり、ストレスなのか夫のことを噛みまくっていたらしい。投与2日目は一日中大変だったそうだ。夫の報
今日は少しお出掛けしてきましたうちの必需品はこちらこれ、本当に開発者の方に感謝します!元々、主人の仕事が忙しくどこか遊びに行く時は一人で二人を連れてレジャー施設へ行っていたので長男が疲れた時に抱っこをしながらベビーカーを押すなんて無理!と思い発売日前に予約購入しました(笑)当時は遠出する時に使う程度でしたが体力が完全に戻っていない長男はやはり疲れやすく無理もさせられないので7ヶ月のおっきい次男も連れて近所のイオンなどに行く時でも使うようになりました!折り
新年明けましておめでとうございます。まずは、能登半島地震で被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。まずはお身体を大切にして下さい。これからが大変かと思います。そばに行ってお手伝いすることが出来ないので、少なからずですが寄付させて頂きました。どうか一日も早く生活が安定しますように…___________新年から悲しいニュースが飛び込んできてテレビを見ながら涙が出ました。沢山の方が亡くなられてしまい我が家の子供達も衝撃を受けていました。_____________
フォローやコメントありがとうございます同じような経験をされたことがあるお子さんをお持ちの親御さんに当時の辛い記憶を思い出させてしまったりしていたらすみません(..)入院中の息子の姿と退院後の息子の姿を見て頂き脳症や小児病気について少しでも多くの方に認知して頂きたいと思いブログをはじめました。わたしもあの時の息子の姿は今でも目に焼き付いておりブログを書きながら胸が苦しくなる時があります。でも、今目の前にいる息子はあんな状態だったのに後遺症というものが何な
次の日も主人と一緒に面会に行きました。いつものように感染チェック手洗い消毒を済ませ病室へ入ると息子の目が開いていました。驚いて二人で駆け寄り何度も息子の名前を呼びました。勝手に全身に力が入ってしまうような感じで先生達はその状態を緊張と呼んでいました。脳症後に見られる症状らしいです。緊張のせいで目はずっと右上を向いた状態で呼びかけても反応がなく点滴に繋がれた手を主人と交互に握りずっと話しかけていました。ふと、マリオカートが好きだったのを思い出して「マリオ
はじめましてwishと申します私の息子はある日突然、痙攣し原因不明の急性脳炎、脳症と診断され10日間PICU(小児集中治療室)で壮絶な治療を乗り越え脳へのダメージが広範囲に出てしまいどんな症状が出るのかも分からないし後遺症は避けては通れないと断言されましたが一般病棟へうつったのち奇跡的な回復力を見せてくれ1ヶ月ほどで退院し自宅へ戻ってきました。このブログでは当時、脳炎、脳症などに全く知識がなく毎日色んな方の記事を読んで勇気を貰った日々を思い出して
ダンナと娘帰ってきました。私が仕事から戻るとダンナは腹痛。昨日からジワジワ腹痛があったみたい。新幹線の駅でなぜか柿の葉寿司買って帰ってきたけど、食べられないって。病院に行くか聞いたけど今日は我慢するらしい。明日、午後診あるからとりあえずは様子を見ることにしました。この間便が出ないと脳症になるって話を気にしているらしく、まだ出てないと。前は一日下痢してたけど、このところ1日か2日に一回らしい。手を伸ばして羽ばたき振戦を確認するけど、それはない。でもろれつが回りにくくて言葉が出にくいって。
発症から2ヶ月との比較です発症から3ヶ月(リハビリ入院退院時)・喜怒哀楽→良く笑い、泣く病後も変わらず人懐っこくニコニコ、怒らない・嚥下→離乳食後期くらい舌でもぐもぐ出来る煎餅など前歯で噛み取れる自宅に戻ったらコップ飲みとストロー飲みも練習してみていいというお話でした母は疲れたので練習やってません(笑)・定頸→長時間保持出来るように・腰5割くらい座った→数秒なら椅子に座れるが前に折れる重力に負けてしまう・寝返り→ほぼ成功する腕が抜けて寝返りから仰向け
痙攣で脳が萎縮してしまった息子理解することができなくなってしまったのです鼻のチューブからもカニューレからも解放されたとはいえ自由にトイレにも行けないストレスやこの狭い病室での息子の介護本当にストレスしかなかったのですそして介護の中で一番厳しかったのが便のオムツ交換部屋中をウロウロする息子をベッドに寝ころばせておしりを拭いて新しいオムツを履かせるという赤ちゃんの時にやっていたことでも赤ちゃんの時の
よく分からない発熱のある患者さんに対して、「何だかよく分からいけど抗菌薬いっとくか」と処方されたことのあるドクターはいると思います(指導医にゲンコツを落とされるので、若い先生はマネしてはいけません)。「診断を外しても副作用はないから問題ない。念のため投与しておく」というのが処方するドクターの言い分ですが、実のところ抗菌薬には副作用が結構あります。有名なところではアレルギーや肝障害や腎障害、腸内細菌叢の乱れによる下痢でしょうか。他にも「えっ、こんなのあるの!?」という副作用があります。筆
長女が、1、2歳位からよく立ち止まり手を合わせた事をキッカケに、子供達が必ず拝んでから通る場所があります。その事をきっかけにそのお寺のお子さん方とも、子供達は仲良くさせて頂いています。今日久しぶりに輝空が去年、お祭りでつけていた鈴が出てきて。先日こどもの日に、記事にしようとしていたのですが、そこのお寺の一切を仕切られ守ってくださっていたお母様が倒れられ記事に出来ませんでしたが、何故か今日も背中を押され書いています。以前も同じように、一昨年フェイスブックに記事にした内容です。防災まなぶ不動