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蔦屋重三郎は「脚気」に罹って若死にする、という史実を、「べらぼう」はやるのかな、それともそこはやらずに明るく終わる手もあるのかな、と思ってたんですが。最終回、やるようですね臨終シーン、おもいきりがっつり、感動的に。横浜流星さん、今年は大役で二度も、病気で若死にするわけだ。(以下、あの大作映画のネタバレを含みます。公開から半年経ってるし、まあまあ、もういい加減、お許しいただきたく)。映画の「国宝」の終盤最大の盛り上がりは、「あの病い」で脚が壊死した俊介(横浜流星さん)が、それでも踊り続け、
大河最終回含むネタバレあり。視聴予定の諸君は注意されたし。今年の大河『べらぼう』が最終回を迎えた。いや、大変面白かった。歴代トップ3に入るのではないかってくらい面白かった。個人的には馴染みのない時代だというのが何より嬉しいかった。戦国や幕末だと、どんなにドラマチックに描かれてもネタバレ(?)済みなんだもの。どれほど前向きで魅力的な登場人物でも「ああ……もうすぐ死ぬんだったな……。」となるでな。そういう意味では『光る君へ』や『鎌倉殿』も最近だとかなり楽しめたな。今回は田沼時代
さてさて…江戸時代から明治時代にかけて…脚気は結核と並び、我が国の二大国民病として恐れられていました🆖二つの病に共通することは…①当時は不治の病であった❗②効果的な治療法の開発により、現在では不治の病ではなくなったものの、未だ根絶には至っていない❗上記の通りであったのですが…①の期間における、脚気と結核による死亡率は高く…万一罹患した場合…遠からずの死を覚悟しなければなりませんでした🆖特に、徳川幕府の大名統制の一環として実施されていた参勤交代により…諸大名は国許と江戸を一年
「べらぼう」では蔦屋重三郎が最期を迎えました。死因は脚気と伝えられています(享年46歳)。江戸時代、脚気には地方での療養が効果的とも言われていました。江戸に長期滞在した大名や武士の中には体調不良を訴える者も多かったそうです。故郷に帰ると自然に治ったそうですから「江戸わずらい」とも呼ばれました。江戸の人々は白米食を好みました。玄米の胚芽に含まれるビタミンB1が、白米では不足するため脚気が流行。日露戦争では、白米を食べていた陸軍(森鴎外が軍医)では2万7千人が脚気で死亡。麦飯を主食
新板橋クリニックの『逆流性食道炎』知恵袋R7年vol.3みえない不健康リスク🍀『くすりがきかない逆流性食道炎では現代の脚気を疑え』#脚気って耳にしたことある人が現代ではどれぐらいいらっしゃるでしょうか?#栄養状態の悪かった昔の病気#そんな病気きいたことない診察をしていて、10代、20代、30代ぐらいの世代に「脚気って知ってる?」ときいてもほとんどの人は首をかしげます医学辞典をひらいてみると#脚気はビタミンB1が不足して発症します症状は初期には#つかれやすい#