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B型肝炎キャリア肝細胞がん2021年春に食道がんと診断され、不安と期待で入院。私のプライマリーナースは若い女性看護師。彼女はとても優しくて、私にとても親身になってくれました(私の思い込み)そのうちいろいろ話しをしてくれるようになりました。ある日のこと、「私、実はB型肝炎のキャリアなんです」と。私、「えっ!」いきなりそんな告白されても…彼女「実は父親がB型肝炎だったんです。父は私をとても可愛がってくれていて、それで感染したんだと思います。父親は肝がんで亡くなりました。その時初めて
闘病生活の中での日々のことを、ご紹介していけたらと思い始めてみました。気紛れでUPするので、良かったらお時間のある時にでも覗いてみて下さいhttps://www.instagram.com/toubyou_seikatsu?igsh=ZTZhMTRldm01ZDhw&utm_source=qr
夫が2020年10月に、ガンの告知を受けてから、私は夫を置いて、家をあけたことがありません。夫は告知後も、何度も海外、国内旅行と、友達と行ってました(笑)レンビマ飲みながら。私は、告知前は、友達と泊まりがけで旅行とか行ってたけど食事の支度とか今はウォーキングとかあるし。でも思いきって近場の温泉に友達と1泊で行ってきました。めちゃくちゃ楽しかったしストレス発散出来ました。旅館の晩ごはん、私だけ申し訳ないなあと思ってたら夫から自分が食べる晩ごはんの写メが送られて来ました。うん。とりあえ
今日は前回12月の治療結果を聞きに受診して来ました🏥結果から言うと、効果大‼️でした入院時→治療後→今日PIVKA2640→207→128AFP6352→2431→1610肝臓の数値も落ち着いてるし、肝臓と肺の腫瘍は目で見ても分かる程造影CTで見ても小さくなっていました‼︎リンパは小さくなっていたけど1ミリ程…。副作用がキツくて、年明けからやっと毎日カボメティクスを1錠飲める程に回復してきた体力💪治療嫌だなぁ…なんて思ってしまったりして
今週は3週間ぶりの受診🏥もう腹水も溜まらなくなり、先生もCARTをする気は最初からなくエコーすら見ません(笑)やっぱり貧血のための輸血と血小板の輸血が必要で、おととい改めて輸血をしに行って来ました🏥輸血は2本、その後に血小板の輸血で1日かかりで今日は朝からグッタリです輸血は前回も2本入れたのに6代まで下がってしまい、貧血が止まらない状態です血小板は入れた前回の数値より低いながらも若干上がっていたので下げ止まりぽいです貧血は食事で改善できても血小板はそうはいかないようで課題です…昨日
一昨日の夜、家族も呼ばれ主治医の先生からお話がありました。結論から言うと、今の私の肝臓の状態では先生の治療は受けられないという事でした。私の肝臓は肝硬変のような状態で、治療をする事で肝臓に負担が掛かり、逆にリスクが高くなってしまうとのお話しでした。肝動注はもう今の私の身体では受けられないのは自分でも分かっていたけれど…点滴の抗がん剤治療も、飲み薬さえも。全ての抗がん剤治療がもう受けられる肝臓ではないことにショックでした今後は症状が出てきたら、痛み止めを飲んだり症状緩和の薬を使ってい
去年の11月の始め、初めてN先生の診察を受けました。前の病院からの紹介状を持って、診察の順番を母と待ちながらギリギリの体力の中すごく緊張していたのを今でも鮮明に覚えてる。念願のN先生の診察を受けることができ、初めに「セカンドオピニオンではなく、診察で良いんですね?」と聞かれた。当時の私と母はよく分からず、でも「診察でお願いします」と答えた。するとN先生の肝動注化学療法を受けることができること、早速翌週と翌月のそれぞれ2週間ずつの入院治療の計画と治療内容の説明を受けた。私は手帳を取り
今日は旦那ではなく、実家の母について。母は身体障害者手帳1級です。大動脈弁閉鎖不全症で、弁置換術を受けました。それも、2回・・・同じやつを・・・今は、車椅子乗って、軽く心不全で、重度の貧血で、胸水&腹水あり、黄疸も軽くある私たちを出産後、30代くらいからかな?原因不明の貧血でずっと通院していました。そして40代から糖尿病。若い時から、仕事の付き合いで好きではないけど雰囲気でお酒を飲んでいる時期があって、アルコール性の肝硬変です。原因不明の貧血は、数年前にマルクを受け、骨髄異形成
今日はリアルタイム投稿です。旦那は今、急性骨髄性白血病で入院中です。肝細胞がんで一通りの治療を経験し、スチバーガという分子標的薬を使っていました。ところが、7月終わりから極度の貧血(Hb6.0g/dl前後)と下血で精査入院し、先月の終わりに急性骨髄性白血病と診断されました。↑↑↑この経過については、またおいおい投稿していきます。早く追いつきたいのですが、なかなか2年ほど前から、働ける状況にはなかったので、傷病手当金を受給していました。でも、これって最長1年半なんですよね今年の6
続けての投稿✏️暇?確かに入院中は暇だけど、結構今回は元気なんです💪とは言っても、熱も出たし、輸血もしたし明日からアルブミンの点滴3日間、怠さもあり、ピンピンしてる訳じゃないですでも「もう歩けないなぁ…」って院内のコンビニ帰りに思うことも少なく、更に屋上庭園を歩いたりする体力の余裕もあったり‼︎今まで5回の治療の中で1番元気です💪振り返って思えば、入院前1週間位からプロテイン製品を多めに取っていること。前から飲んでいるプロテインドリンクに加え、オイコス(ヨーグルト)を食べ始め
先週から急に足の酷い浮腫が出てきました👣浮腫が酷過ぎて重くて足が上がらず動けずにいたら、1週間で一気に手足の筋力がなくなり…また振り出しに戻ってしまいました…往診の先生に診てもらったところ、利尿剤を増やすというよりは、ふくらはぎの筋力を付けて足先から心臓へ血液を戻す筋力を付けることの方が大切と言われ昨日のリハビリはふくらはぎの筋力強化の運動を中心にやりました。また外出までの道のりが遠のいてしまいました…【10%OFF!さらにP10倍】【楽天1位】アマニ油個包装朝日3g×
10ヶ月ほど前から始まった分子標的薬のスチバーガ。前回記事にも書きましたが、副作用が強く。。。みるみる痩せて、奪われていく体力。スチバーガが始まる前、こうなるとは思わなかったけど、もしかして最後になるかな???と覚悟して去年の夏に家族旅行に行きました。結果、正解もう、旅行なんて行く体力ないだろうな。もし、今治療中の急性骨髄性白血病が無事に寛解に至ったとしても、ベースに肝細胞がんがありますからね。これはどう頑張ったって、もう治らん去年の夏、急に思い立って旅行会社に駆け込んだ。そし
私が勝手に気になっていた、ひとり親家庭の経済事情シングルって、大変そう〜って思っていたのですが。うちは死別なので、国のありがたい制度(こういう時だけありがたがる)のおかげで、野垂れ死にすることはなさそう今日はさらけ出してみようと思います旦那はB型肝炎からの肝硬変・肝細胞がんで、治療中に急性骨髄性白血病を併発しました。なので、3年ほど前から無職自営業をしてましたが、働けなくなり退職後、傷病手当を受給していました。傷病手当は最長1年半までしかもらえないんですよねそれが終わってからは
昨日は7回目の肝動注の治療でした。つい1ヶ月半前にもやったから緊張感はそんななく挑む始まって1時間位経った頃かな…心臓がバクバクしてるのが身体中で分かって、その心臓の音に合わせてアラームのような音が鳴る。ちょっと辛いなぁ〜と思いながらCT撮影の為に「息を吸ってー、吐いて」と先生の合図に合わせて呼吸するけれど上手く吐けない…。何かアラームが何個か鳴ってると思ったら先生が「顔が赤いね。マスク取って」と。マスクを取ってもらうと首に湿疹が出ているとか…。気がつくと唾が飲み込めない程喉の中
『がん』と言えばステージは?と気になる方は多いと思います。ステージはがんの種類によっても変わりますが、0~IVまでの5段階で、がんの大きさや浸潤の有無、リンパ節への転移の有無、遠隔転移の有無などの進行状況によって分類されます。肝細胞がん(肝臓がん)の場合はⅠ~IV(IVAとIVB)で、それに加え肝障害度というものがあります。肝障害度は脳症や腹水の有無、ビリルビン、アルブミン、プロトロンビン活性値で判断しA、B、Cに分類されます。旦那の場合、肝細胞がんの標準治療を経て、最終的に分子標的
旦那のB型肝炎は垂直感染、出産時の母子感染です。結婚前から、B型肝炎でインターフェロンなどの治療をしても効果がなかった、と聞いていました副作用が辛く、通院も止めたり、転院したり、仕事が忙しいなどと言って、ちゃんとした治療を継続してなかったみたいです。どこから感染したのか?義母さんに聞くと「私もお父さんも違うはずや」とそれならB型肝炎訴訟をしてみようと思い、弁護士に相談に行きました。既に肝硬変になっていましたからね。もしかしたら3600万円が貰えるかもと不謹慎な期待を胸にまずは、
マルク(骨髄穿刺)の結果が出て「家族の人と一緒に説明を・・・」と、言われました。部屋に通され、座ったとたん私より少し若めの小柄な女医さんが、優しい口調で、こちらをうかがうように「かなり厳しい話もしなければなりませんが、奥さま、大丈夫ですか?」と聞かれました元々良くない話だとは思っていたけど、まずそうやって聞かれるって事は、よっぽどなんだな・・・サーッと血の気がひくような、ゾワゾワっとした感覚、お腹の中に大きな玉が出来て下から突き上げてくるような吐き気今まで、医者から良くない話は
過去を遡って、結婚後の肝硬変・肝細胞がん発症時からブログを書いています。インフォームド・コンセントの内容など記憶が曖昧な部分もあります。手術の説明を受けに行きました。肝細胞がんは今のところ1個なので部分切除の予定。肝硬変が進んでいるようで、通常は握りこぶし大の脾臓が、子どもの頭ほどの大きさになっている。そのため、血小板が通常15万~40万のところ5万程度しかないので、脾臓も摘出する。ついでに、胆嚢も予防的に取る。食道静脈瘤もある。その他、疾患による合併症や危険性など。まぁ、わり
大きな手術をして、あんなに大変な思いをして乗り越えたと思ったのに。。。再発は一年経たずにやって来ました。2012年の10月に手術をして、2013年の6月に再発。3番目が生まれてまだ1ヶ月半でした。肝細胞がんは次から次へと再発を繰り返します。その再発の間隔はどのくらいかは分かりませんし、個人差もあるでしょう。でも、正直『もう!?』って思った旦那はそりゃショックだったでしょう。もう二度とイヤだと思う経験をして、体調もやっと戻りかけているのに。。。でも、私にはそれを労う余裕はありませ
先月の入院治療直前にコロナに罹り、入院治療延期その後も陽性反応が消えず、更に2週間延期3度目の正直で、今日やっと入院出来ました‼︎明日から治療です💉昨日の夜から急に右脇下の肝臓が痛み出した去年5月に癌が判る直前のあの痛みを思い出す…。あの時の痛みはこんなもんじゃなかったけど、恐怖が蘇る毎晩長男とマッサージのし合いっこをしてるけど、昨晩は長男が腰の上に乗っただけで肝臓が痛み…マッサージを諦めたコロナのせいで1ヶ月半程治療が伸びてしまっただけで、また癌は大きくなって私の身体を蝕んで
最近、旦那の様子を書いてないですね書くことがないということは、大して変わりがないということで・・・風邪から復活しきっていないようで、夕方にかけて熱を出すのは変わりません。食欲もほとんどないなぁ。子どもの食事量の半分も食べられていないそう思うと、そのわりに動けている雪かきもしてたし、雨どいの掃除もしてたしやっぱり基礎体力はあるんだわそして、そんなにやつれてないんだよね日中、なにかをどこかで食べてるんだろうか・・・母屋で義母さんになんか作ってもらってるんだろうか・・・なぜ分から
肝細胞がんの治療として、ラジオ波焼灼、塞栓術、肝動注と標準治療を繰り返して行きました。もう、何度繰り返したでしょうね1回の入院は1週間から10日程で、2ヶ月に1回くらいのペースだったように思います。最初は1つや2つの単発の再発で。そのうち砂状に散らばり、上記の治療は出来なくなりました。年末あたりから、分子標的薬のスチバーガと言う薬を始めることになりました。これが結構、副作用が強く。。。手足症候群(手足の痛み、はれ)発疹高血圧(血圧の上昇)下痢発声障害(声がかれる)食
世の中コロナ騒ぎがまだまだ沈静化しませんねその影響は、私たち家族の、最期の時間を奪って行きます。ずーっと、8年にわたり通院・入退院を繰り返していた病院は、コロナ対策を徹底しており面会制限はほとんどありませんでした。週明けに、市内の車で10分の病院に緩和目的で転院したのですが、ここが面会全面禁止「はぁ?こんなターミナルのもう1週間持つか分からん患者も面会禁止???」って突っかかるよね「ここの病院は緩和ケアしてないの?」って聞いたんですけど「苦痛を取ったり、なるべく穏やかに過ごせるよう
・化学療法を受ける・対症療法で苦痛を取るこの二択を提示されたら、化学療法を受ける方を選ぶでしょだって、まだ40代だよ?3人の子どもはまだ小学生だよ。体力は落ちて働けないけど、緩和ケアなんて頭の片隅にもないでしょ私に選択する権利はない。旦那が、こうしたい、と思うならそれを支えるしかないよ。治療を受けたいって言ってるのに、多分どうやったって無理だから緩和にしようよ。そんな事なにがあっても言えない。化学療法を受ける事になりました。3日後、今までいた消化器内科の病棟から、血液内科
10/16(月)初回肝動注化学療法。1クール目金曜日に入院し、初めての肝動注でドキドキしていたが、先生自ら土日で病院お休みなのに体調どうですか?とか腕にしるしをつけたりに来てくださった。心配そうにしている私に、先生頑張ってくださいくらいの気持ちでいいですよ…と言ってくださりちょっと落ち着いた。16日は4時からなので昼食はなし。のんびりしていたら、急に3時半に呼ばれたとのことで15時から吐き気止めの点滴がはじまり着替えをする。痛み止めはオキシコドンを飲んでいるのでなし。トイレをすませ血管
数日後にマルク(骨髄穿刺)の結果が出ました。旦那から電話がかかってきて「まだ詳しくは聞いてないけど、どうも白血病らしい」って。はぁ???こいつは何をすっとぼけたこと言ってんだって思いましたよだって予想のはるか斜め上を行く病名だったから「家族の人と一緒にお話を・・・」はい、出ました。こう言われて、いい話なわけがないPart2病気が病気なので、旦那の両親も一緒に行く事に。でも、当日に・・・ってか、病院に着いてから義両親は来ないことを知りました怖くて話を聞きに来る勇気が出なか
ひとりでも多くの患者がお金の心配と体の負担が少ない治療を受けられQOLを保てたらと願います。新しい治療は治験や自由診療を頑張って下さった方からのエールだと思うし、生きる希望です。
2019年10月頃首都圏の病院に重粒子線治療を2泊3日の入院で4回照射しました。この前フォローしている方から今度の4月から肝内胆管がんの重粒子線治療が保険治療になると教えていただきました粒子線治療、4年ぶり保険適用拡大へ肝内胆管がんなど厚生労働省は18日の医療技術評価分科会で、放射線の一種である粒子線治療を巡り、肝内胆管がんなど5つのがんについて保険適用が妥当だとまとめた。これまでは高額な医療費が患者負担となっていた。月内にも中央社会保険医療協議会の総会で最終決定し、4月から全額保険
1/19.今年初めて、そして2回目肝動注退院後の診察。前夜は23時に造影剤アレルギー予防のプレドニゾロン6T服用のせいもあるのか…12時くらいにベッドに入るが3時前くらいからほとんど眠れなかった😥朝ご飯もやっと食べたが、あまり調子良くなく、朝からリボトリールやオキノーム飲んだ。緊張してるのかな?病院は娘が一緒に来てくれるのでとりあえず安心😊病院までも主人の車で送ってもらえた。そして、血液検査、ペインクリニック、造影CTと順調に。最後は消化器科の診察。血液検査の結果、腫瘍マーカー
4月14日未明に永眠した旦那の事を振り返ります。『4月14日2:05』コメントいただいているのに、お返事もせず更新することをお許しくださいご報告です。9日の金曜日に入院したのですが、そこが家から車で1時間以上かかるので、市内の1…ameblo.jp病院に着いてドアを開けた時に見えたのは既に心拍0になっているモニター(え!?早っ!もう逝ってしもたん!?)「あれ?ゼロやし💦」って言ってしまうよね旦那の顔を見ると、普通に寝顔なんか、起きそう呼吸をしてないって見て分かるんだけど、あま