ブログ記事951件
急いで病院へ向かう車内の中、もしもの事が起きてしまったら・・・万が一、間に合わなかったら・・・抑えきれない悲しみの感情とゆうくんを失う恐怖で我慢が出来ず、後部座席に娘を乗せたまま大声で泣きました急な事に娘はわけも分からず、「ママどうしたの?」なんで泣いてるの」そう聞く娘に「ゆうくん死んじゃったら嫌だよぉやだやだやだ!ゆうくん死んじゃったら、ママどうしたらいいの。死なないで欲しい、間に合って欲しい、嫌だよゆうくん、ゆうくん。」涙で前なんて見えてるのか見えて
もう記憶が曖昧です。こんなブログを書いてる時間は勿体ない、ゆうくんに集中したい。でも、忘れたくないんです。ゆうくんが生きていた時間を、家族の思い、感情、言葉の一つ一つ。だから、忘れない内に残さないと。そんな思いで書いています。どうしても、記憶というのは薄れていって、忘れたくなくても、忘れてしまうものだから。ゆうくんとの最後の時間を家族だけで過ごせる様にと、ゆうくんに付いていた全ての医療器具が外されて、家族だけの時間。その時間をゆっくり過ごした後で心音を確認に来
朝に病院から帰宅したばかりですが、今度は13時~の姉弟面会に娘を連れてゆうくんの所へ娘は皆勤賞で私と一緒に毎日可愛い弟のゆうくんの所へ一緒に行きます。私がゆうくんに会いたい様に当然、なっちゃんもゆうくんに毎日会いたいし、会わないという選択肢は娘の中で全くありません沢山話しかけて、撫でて、歌を聞かせてあげて、保湿クリーム塗って、リップクリーム塗って、体をマッサージして。娘がどれほど弟のゆうくんを大切にしているか、どれだけ愛しているのかは見てて分かります。だか
1月2日朝起きて、ゆうくんのお家を開けておはよう!と声をかけてお家から出して、着替えから始まる朝。服を脱がせる度に体の色にショックを受ける自分と、見慣れた自分。それでも、破れた皮膚を見ると痛々しくて辛くなる優しくゆっくりゆっくり保湿剤を塗ってオムツ交換。新しい肌着に着替えるとゆうくんもスッキリした表情に今日はどの服着せようかな~?そんな、小さな幸せで始まります。ジュエルミネーションに行って撮った写真、ゆうくんのお顔の色が良くなくて。入院中の人口呼吸器を固定
1月1日朝起きると6時半でした。私がNICUにゆうくんの面会に行っていた時、朝まで居た時には仮眠ベッドで少し寝て、よくこの時間に目が覚めてはゆうくんの頭を撫でていました。体が覚えているのかな。昨晩も娘とゆうくんと3人で寝て何度も夜中に起きちゃったけど、いつ目覚めても隣に赤ちゃんのゆうくんがいてくれる事が嬉しかった。起きてしまう度に抱きしめて、キスして、娘が寒くないか確認したり、保冷剤で冷やしまくってるゆうくんと娘の間に娘が冷えないように幾つものタオルを挟んだり
ご訪問ありがとうございます。不安障害・うつ病・アルコール依存症から肝硬変に。そして肝不全で亡くなった夫の記録です。夫は食事を取れませんでした。点滴たけが栄養源でした。その点滴さえも受け付けなくなったのか点滴と同じ色の液体を吐きました。夫が亡くなったのはその翌日です。仕事は休みでした。朝、起きた私に夫は「先生を呼んでほしい。痛み止めがほしい」と言いました。医師が来たのは午後になってから。その間、夫は息苦しそうに「まだ?」と何度も聞いてきました。私も夫の様子に早く来
今日は友達が山梨まで代わりにお参り(完全に登山です)に行ってくれると言うのでソワソワして眠れず。「ガンジス川で沐浴してこようか?」と言われたのでもう少し現実的な山梨県へのお参りをお願いしたらしてくれると。本当にありがとう。朝5時前から友達とLINE。落ち着かないので7:20にハウスを出て歩いて空港まで行ってきました。海と飛行機が大好きで見ると落ち着くので。ポケモンジェットが見れた!さすがに帰りは電車に乗って戻り10時から面会。血小板が下がってるから輸血するのと感染がないか血培とると
4月12日から投与を開始した保険適用外の未承認薬オメガベン最初はオメガベンを週3日、大豆由来のイントラリポスを週3日、1日はお休みのスケジュールで投与していました。しかし、1ヶ月経っても血液検査の肝機能の数値は改善せずじわじわと悪化していきました。小児外科の先生とも相談して、イントラリポスを中止し、オメガベンを週6日投与することにしました。オメガベンを連日投与するようになってから、肝機能は改善していきました。黄疸も消え、徐々に体重も増えていきました。もしオメガベンを使っていなかったら
連日、息子の面会の帰宅が深夜です。子供の父母は24時間面会可能ですが、兄弟児の面会時間が13時~17時と限られているので、娘が幼稚園の時は旦那が帰宅するのを待って、夕飯、お風呂と寝支度を済ませてから夜に面会に行く感じなのでどうしても帰宅は深夜になってしまいます。昨日は電車を乗り継いで午後から娘と行きましたが、娘の面会時間に合わせると少ししか息子と居られない折角、遥々来たのに、数時間で帰るのは後ろ髪が引かれる困った時の助っ人ばーたんに連絡。速攻快諾して、娘の面会終了
5歳の娘のグズり癖に拍車がかかってどうしようもない位にこちらもしんどくなっています。1日中不平不満、口を開けば文句ばっかり、何にでも突っかかって来てはいちいち怒ってくる。グズってない時はしつこい、アレして、コレして、アレしたい、コレしたい、私の返事の仕方にもいちいちいちゃもんつけてきて笑いながら答えて欲しい!こういう言い方で答えなかった事が気に入らない!息子の病気や面会なんて私にはなんの苦でもないんですが、娘と一緒に居ることが今、とても精神的にしんどいです。。
2日遅れの投稿です。一昨日、久々に自宅では1泊しました。色々と足りない物を補充したり、ワンコの手術後抜糸に行かなければ行けなかったり、そして、ワンコのお気に入りコースをお散歩したりとそして昨日の夜に実家に戻り、娘を実家に預けて夜21時、私一人、息子のもとに到着前日の夕方以来会っていなかったので気が気じゃありませんでした息子の顔を見るとアレ何か白い?手足も白いいつも色が悪く、浮腫みすぎて黒紫色に皮膚が変色しています今日は普通の肌の色々ってよりはもっと白く見えま
1月22日は息子の中学校の説明会だった。午後半休を取って中学校へ行った。説明会の最中、14時過ぎ、病院から電話があった。いつもの病状報告だと思い「今、学校で後からかけ直します」と言うと、「大量の吐血をしました。もしかしたらこのまま亡くなってしまうかもしれません」と先生から言われた。「ご家族も一緒に病院に来てもらった方がいいと思います」と。心のどこかでやっと終わるか!と。でも、きっと大丈夫だろうな。と。途中退席して子ども達の小学校に電話し、早退。病院に向かった。お義母さん
我が家は2人とも働いていた。旦那は旦那。私は私でそれぞれ貯金していた。旦那は自分が働けなくなってから自分の口座から足りなくなった分をまかなっていてそれも底をつきお義母さんに200万借りていた。私には貸して欲しいと一言も言わなかった。でも、8月から給料はもらってなかった。入院した事でこの先のことが不安になり旦那の15年かけていた個人年金を解約した。まだ生前だった為、本人でないと解約できないと言われた。旦那はもう話す事もできなくなっていた。寝たきりの状態で重篤者の方が入る個室に入院
8日に3人で旦那の様子を見に行った。もう、会話できない。ずっと寝てる。子ども達は冷静。「もう仕方ないよ」旦那は聞こえてたのかな?大事で大事で仕方なかった息子。息子も父ちゃんが大好きだった。酒ばかり飲んで私達家族の話を聞かず飲み続けた旦那。娘に至ってはもう、本当に厳しい。母として娘の将来が心配になるほどの厳しい意見。ここには書けないほどの冷静さ。これから先の事が心配で不安でたまらなかった。死ぬのか、生きるのか、一生このままか。そして、9日。朝、職場に着く直前お義母さ
旦那が亡くなった時1番困ったのが連絡する手段がないだった。何故ならLINEにはロックがかかっていて開かない。闇雲に数字を打ってみたけど開かない。そう。隠したい事が山ほどあった旦那はLINEにロックをかけていた笑昔、息子が旦那のスマホでゲームをしていた頃LINEを見てそれはもう大事件が起きた笑離婚だ離婚‼️‼️慰謝料払えー‼️‼️なんて。私としては浮気なんてどうでもいい所まで来ていたから旦那が100%悪くて慰謝料もらえるなら最高だった。正直、酒のこと以外どうでも良かった。酒
↓症状が出た時にはもう遅かった母の肝臓の状況を書いた記事です↓『沈黙の臓器肝臓が悲鳴をあげた時』肝硬変の末期で肝不全という診断を受けて入院中の母ですが、血小板の数値も極端に少なくなってしまい些細なことで出血するようになってきてしまいました。出血と聞…ameblo.jp前回母の肝臓についての記事を書いた数日後に母は旅立ってしまいました。。もう少し一緒に居れるかな?と思っていたのであっさり逝ってしまって悲しい気持ちです。今後は療養型の病院に行くことになる
埋葬料、遺族年金の手続きについて。旦那が亡くなって仕事を忌引きで7日間休んだ。その間、市役所に行ったり取引先の銀行の方、保険会社、カードローン会社、車の売却先の方、水上バイクの売却先の方、諸々連絡をしてやれる事はやった。年金事務所に電話して「遺族年金の手続きをしたい」と言うと予約制の為来てもらっても対応できないと言われた。「仕事が休めない。休める状況じゃないの分かりませんか?お願いします」と言うと淡々と説明してきた。亡くなってまだ1週間もたってない。年金事務所以外の方はかなり
よくドラマとかで言いますよね、どんな赤ちゃんにも必ず生まれて来た理由があるって。息子の生まれた理由はなんだろう?私、1秒で答えが出たんです!そして、何と私と同じ答えを娘も持っていたんです!幸せになるためなーんて、定番な答えじゃないんです答えはとってもシンプルなものでした。逆にそれ以外の答えなんてないんです。私たち家族が望んだから生まれてきてくれた、それだけの事ですそう私は思ってて、そしたら今日、ゆうくんの面会の時に一緒に行った娘が看護師さんに話しかけていて、
2日ズレての投稿です。朝方帰宅して、また朝に起きてワンコの散歩に行ってから娘を連れて息子のもとへ恐怖の定期面談今日はどんな話をされるのか。前回同様、穏やかな時間だといいな。そんな気持ちで面談室へ旦那と娘と行くと初めての部屋でとてもこじんまり。主治医と担当医の先生2人と看護師さんだけ。渡された計画報告書は今回も短くシンプルでした。むくみが強い事と、肝機能が戻っていないこと。呼吸サポートはかなり強めになったこと。消化がとにかく良いこと。引き続き、一緒に頑張りましょ
ご訪問ありがとうございます。不安障害・うつ病・アルコール依存症から肝硬変に。そして肝不全で亡くなった夫の記録です。2回目の食道静脈瘤の破裂で意識不明に陥った夫。奇跡的に意識を取り戻し、一週間と経たないうちに、喋ってLINEを送ってくるようになりました。前回ブログ↓『2回目の食道静脈瘤の破裂②』ご訪問ありがとうございます。不安障害・うつ病・アルコール依存症から肝硬変に。そして肝不全で亡くなった夫の記録です。前回『2回目の食道静脈瘤の破裂』ご訪問ありが…ameblo.jp退院の話
病室に着くと呼吸は止まっていた。救命措置、心配蘇生をしない選択をしていた私。「心臓マッサージしたら心臓は動くね」お義母さんは言った。「。。。」息子は泣きじゃくった。なんて声をかけていたか覚えていない。私も自然に涙が溢れた。「酒との戦いがやっと終わった」「誰かに迷惑かけなくてよかった。誰かを轢かなくてよかった。」そう思った。そう思ってしまった。20年以上一緒にいた旦那。もちろん悪いことばかりじゃなかった。アルコール依存症になる前(もういつからアル症なのか分からないけ
再手術が終わり、小児外科の先生たちが戻ってきました。前回の手術のときと先生たちの表情が全く違うことに気が付き、嫌な予感に胸騒ぎがしました。前回は疲労感の中にも、やり遂げた達成感のある満足気な表情でしたが、今回は苦渋に満ちていたのです。術後の説明を受けたときの衝撃と絶望感は一生忘れません。「前回温存した小腸が壊死して穿孔を起こしてしまいました。非常に残念ながら小腸を全摘せざるを得ませんでした。」※息子は十二指腸と大腸は残りましたが、栄養を吸収する主役の小腸(空腸、回腸)を全て失いました
ご訪問ありがとうございます。不安障害・うつ病・アルコール依存症から肝硬変に。そして肝不全で亡くなった夫の記録です。手術を諦めたことでもう入院中の急性期病院にはいられなくなりました。もうこれ以上前向きな治療は望めない。そして入院して3ヶ月が経とうとしていました。病院は3ヶ月ルールがあるので3ヶ月以上の入院は難しいようです。前回ブログ↓『治らない、延命でもない手術を受ける?』ご訪問ありがとうございます。不安障害・うつ病・アルコール依存症から肝硬変に。そして肝不全で亡くなった
9日に旦那は緩和病棟に入院した。もしもの時に救命措置は取らない書類にサインした。肝臓移植の対象外の為、治る見込みはない。酒を今からやめても肝臓の数値が戻って来る事は期待できない。「だから言ったじゃん。飲み続けたらこうなるよ」と言うと、「うるさい」と言った。でも、お茶とかテレビカードを置いていた時「ありがと」と言った。今思うと旦那が私に言った最後の言葉だった。10日、朝通勤前に遅刻して病院に行く。目を瞑ったまま。返事もしない。ずっと寝てる。アンモニアが脳にまで回っ
夜中アンちゃんの緊急措置が行われ、ICUに入りました。家族が面会できたのは朝の7時でした。心臓バクバクしながら、アンちゃんと対面。顔が腫れていてアンちゃんの顔じゃないみたい。酸素濃度100パーセント、かなりの圧がかかった人工呼吸器。いったい何が起こったのか、気が動転する。別室で話を聞くことに。「想定外のことが起こりました。昨夜心肺停止しかけて、肺に水がたまってます。」見せられた肺の写真は真っ白だった。「肺?」今まで聞いたことのないキーワードです。「なんでこんなことになっ
ご訪問ありがとうございます。不安障害・うつ病・アルコール依存症から肝硬変に。そして肝不全で亡くなった夫の記録です。亡くなる数日前から夫が私を呼ぶ回数は更に増えました。身体を起こしてほしい。起こしたら、今度は身体を寝る体勢にするのを手伝う。それを何度も繰り返すのです。深夜、呼ばれる度に布団から抜け出し疲労と眠気でフラフラになりながら夫の元へ行く。私もそして、夫もいったいいつ休めるのだろう?だけどそれは長く続きませんでした。数日後に夫は死んでしまったから。亡くなる前
昨夜9時くらいから手をバタバタしていてフラッシュを相談するけど様子見。3時くらいからうめき始める。7時半、FDr.採血。「ちょっとしんどそうなのでフラッシュしますね」フラッシュしても落ち付かず、0.3mlに戻す。昨日から尿は大量に出ていて浮腫もかなり改善。体重を測ってみると19.8kgで昨日の21.0kgから1.2kg減。多分今は17kg位のはずだからまだ3kg位浮腫んでいるけど。呼吸状態もかなり良くなり、肩枕しなくても呼吸は大丈夫そう。お昼担当さんが中堅クラスの人になる。
2024年12月28日、司法書士さん(パパ友笑)から連絡があり、相続の手続き、、全て完了しましたー‼️‼️‼️長かった。。。やっと終わった。。相続、不動産の登記が終わり、残すは旦那名義の口座の解約で終わり。保険金が多少入った事、年金型保険を月にもらってる事で確定申告が必要だとは思うけど、もう頭が回らずなるようになれって感じです。。誰か教えて欲しい。。確定申告に必要な書類は何?保険会社からの書類が来るのかい?ネットでできるのかい?お世話になった会社の税理士さんはもうお仕事一緒
病院に着くと旦那は救急処置室で点滴をしていた。腹水の検査など(何をしたか覚えてない)があるから色々な書類にサインをする。しばらく待合室で待ち先生に呼ばれる。「肝硬変末期です。肝不全も起こしています。このままだとかなり危険な状態です。入院が必要だけど本人が絶対入院しないと言っています。本人が入院の意思がなく暴れたりしたら(アルコール依存症なので)結局迎えに来てもらわなくてはいけないのですがどうされますか?」こんな内容だったと思う。。やっぱりな。末期か。。。入院したくないと言うの
銀行の借入金の他にあったローン。スマホ本体のローン→2台とも旦那の物で合わせて6万ほど社用車のローン→1台残り12万ほどそして、、、水上バイク→1台目残り8万ほど2台目もう廃車になっているが残り50万ほど3台目、、残り150万ほどおよそ230万円くらい。まじかよ。この事を調べ始めた時点で旦那はもう自分で話す事はできなくなっていた。取引先の銀行以外は本人以外残金がいくらかなどそう言った問い合わせは受け付けてくれないのが