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追記↓この時、旦那はかなりの腹水があり。毎日吐血していました。この時は病院に行ってなかったので腹水に対しても想像でしかありませんが、肝硬変による肝臓の昨日が低下して血液が心臓に回らず体中に溜まっていたように思います。体の中の血が止まらずありとあらゆる出口から血が出ていたのではないかなと。。血小板はかなり少なく7月の足の怪我の時から「怪我をしたら血が止まらないからすぐに救急車を呼んだ方がいいです」と医師に言われていました。
株式会社を経営していた旦那。とりあえずアルコール依存症だったけど従業員の子もいて仕事は問題なくやっていた。親方で現場に出ていた旦那は自分が休んだら仕事が回らないと肋骨を折ってからもすぐ復活してしばらくは元気だった。でも、肋骨を折ってから8ヶ月。去年の3月に初めて「腹が痛いから病院に行こうかな」と言った。私は正直チャンスだと思った。自分から病院に行くって言うなんて!!と。アルコール依存症からくる肝臓だと絶対思った。片っ端からアルコール依存症を診てくれる精神科を探した。そし
旦那がアルコール依存症からの肝硬変、肝不全で2024年1月に亡くなりました。旦那と出会って22年。結婚して17年。息子、春から中学生。娘、春から小学4年生。ねこ、4月で14歳。旦那が亡くなるまでずっとずっとずっと酒との戦いでした。酒が憎くて仕方ありませんでした。正直、亡くなってほっとしています。でも、「あの時こうしてたら助かってたのかな?」「もっと優しくすればよかった」など、思う事はたくさんあり時々めそめそしてしまいます。一つだけ言える事は、旦那が誰かに迷惑かける前に
精神科で紹介状を書いてもらいすぐに消化器内科を受診した。血液検査、尿検査、CT。結果は、「血液検査の結果は肝硬変でもおかしくない数値だけどCTではまだ肝硬変にはなっていない。硬くなりつつあるけどまだ大丈夫」「でも、いつなってもおかしくない状況」「吐血もあるとの事だから食道静脈瘤の疑いもあるし2週間後に胃カメラをしましょう。禁酒して来てください」との事。2週間禁酒?できるはずない!そう思った。その頃の旦那の症状は、毎朝の吐血、血便、倦怠感、顔つき。手の震えなんてもうずっと
仕事が休みの日が増えた。「現場が飛んだ」「延期になった」元々雨の日は休みになる外仕事。現場の状況で急な休みもあったけど月の半分くらい休みだったんじゃないか?と思うくらい。現場に入れないと言う事は売り上げも当然減る。でも、旦那にあまりあせりは感じなかった。そんな中、小学校の運動会。「絶対朝から酒飲まないで!泥酔状態で友達の親の前に現れないで!」と何度も何度も話していた。当日、朝、私たちの前では飲まなかったが夜中起きて飲んで、朝方また飲んで少し寝ただけ。息子は応援団長だった。
夜中アンちゃんの緊急措置が行われ、ICUに入りました。家族が面会できたのは朝の7時でした。心臓バクバクしながら、アンちゃんと対面。顔が腫れていてアンちゃんの顔じゃないみたい。酸素濃度100パーセント、かなりの圧がかかった人工呼吸器。いったい何が起こったのか、気が動転する。別室で話を聞くことに。「想定外のことが起こりました。昨夜心肺停止しかけて、肺に水がたまってます。」見せられた肺の写真は真っ白だった。「肺?」今まで聞いたことのないキーワードです。「なんでこんなことになっ
ですが、(これまでに何度も、このブログで説明してきたように)肝臓は、一つしかありませんが、ものすごい修復力を持っている臓器なので、移植後数か月経つと、元の大きさに戻ってしまうのです。そして、それ以上にすごかったのが、夫(レシピエント)の、それまでは絶望的だった、肝臓関連の検査項目の異常値が、移植によって、全て正常値になってしまったことです。私(ドナー)も、移植手術によって、肝臓が切り取られた直後~数か月の間は、以前よりも高い検査値が続く項目が、ありましたが
亡くなってから知ったけど、仕事中にも飲酒問題で色々あったらしい。今までお世話になっていた元請け会社から仕事がほとんどもらえなくなった。「もう、あそこの会社は切る。〇〇と〇〇でやって行く」と、仕事をもらう会社が2社になった。仕事の量はまだまだ少なく旦那自身もどんどん不安になっていた。「もう、死にたい」しきりに死にたいと言うようになった。生きてる時は私には言わなかったけど本当に本当に飲酒問題で元請けの会社ともめてたみたい。従業員の子も巻き込んで。本当に、最後の最後までついて来てくれ
息子は成長するとともに父親の姿に不満を持ち始めた。仕事から帰ってきたらソファーを独占する旦那。雨なら仕事が休みの旦那は休みになる日もずっと酒飲んでテレビを見たりソファーで寝ていた。2023年の7月、脚立から落ちて怪我をし3ヶ月働かなかった事もあり旦那が家にいる事が増えた。飲んで寝てを繰り返す。息子がゲームをしたいからテレビを使いたいと言っても「今見てるだろ」という父親。「寝てばっかりのくせに」と息子が言い返すと「えらくなったもんだな、俺にそんな口聞いていいのか」と威圧的に怒鳴る
総合病院へ行ったのは、金曜日でした。🧑⚕️即入院!!!と言われたのにも関わらず、自分のことよりも家族のことを優先してしまう私は、週明け月曜日に入院することにしてしまいました💦(馬鹿です)なぜなら、主人にも息子にも何も伝えていなかったからです(本当に馬鹿です)いや、食欲がない・ご飯作るのがしんどい…ぐらいは伝えてたんですけどね💦「お母さん、家事やりたくない病なのかな~(笑)」なんて、大したことありませんよ~的に話してたんですね💧たぶん、私自身がそう思いたかったからなんですだから、家族
ブログネタも無く、ひまに任せて書いてきた過去記事の焼き直しまとめ系。静脈瘤シリーズも、あと2回で終了予定。内容は亜鉛欠乏編です。退院時点の血液検査では、体の亜鉛はからっからになっていました。処方されたのがポラプレジンクです。さまざまな慢性疾患で亜鉛不足は起こりますが、肝疾患はその代表クラス。中でもアルコール性ともなると、さらに顕著なのだとか。そもそも肝臓がやられると、体の亜鉛はどうなるか。①まず体に入ってこない。→食欲不振と、腸管からの吸収障害②せっかく入ってきても、す
足の浮腫は少し引き、仕事に戻った旦那。でも、明らかに体調が悪い。現場に出ても今までみたいに動けずいつもなら1日で終わる現場も3日くらいかかってしまう。元請けも仕事が前みたいに入れれず1日働いては2日空いてと1週間で3日しか仕事がないような状態。「他の元請けを探す」「このままじゃ会社を続けられない」旦那は仕事に対しては本当に焦りを感じていた。精神的にも辛かったと思う。「大丈夫だよ!父ちゃんがお酒やめて前みたいに働けるようになったら絶対仕事戻るから」励ました。でも、休んでいる日は
翌日、予定していた胃カメラをキャンセルし、総合病院の消化器内科へ…予約なしだったので、だいぶ待たされましたが無事に診察していただきました!先生🧑⚕️:数値が悪いですね、更に悪くなってます私:えっっっ!!一昨日の検査結果よりASTもALTも数値がプラス100ぐらいになっている怖い💦先生🧑⚕️:今日このまま入院できますか?私:きょ、今日ですか…??先生🧑⚕️:入院を先延ばしにした場合、最悪肝不全になる可能性があります。そうなったら命にかかわります!!…50年生きてき
旦那は息子を溺愛していた。息子を誇りに思っていた。運動神経がよかった旦那。何でもスポーツはでき誰からも慕われいつも周りには人がいた。そんな旦那の血を引く息子。小さい頃は喧嘩が絶えず友達のお宅に謝る事も多かったがみなさん「〇〇はいい子だから、知ってるから」と言ってくれた。いつも周りには人がいる。旦那は息子をスーパースターにでもしたかったのか、息子が保育園の頃から運動会ではリレー選手になって欲しい。小学校最後の運動会では応援団長になって欲しいととにかく運動に関しては力一杯アドバイスし
迎えた4月。旦那は相変わらず。顔つきも覇気がなく歩き方もなんだかしんどそう。やっぱり体の調子が悪いんだと実感させられる。子ども達もそれぞれ進級して、息子6年生。娘3年生。「運動会では選手リレーになれそうか?」とクラス替えした息子に聞いていた。6月にある小学生最後の運動会をとても楽しみにしていた旦那。「応援団長になれよ」息子への期待は大きかった。「頑張るけど、父ちゃんお酒やめてよ」息子が言うと、「急に0は無理だ。でも、少しずつ減らすように父ちゃんも頑張る」と、何度も息
7月の半ば。仕事で帰宅すると旦那が誰かと電話していた。「2週間くらい休むので、よろしくお願いします」?姿を見ると左足に包帯。「脚立から落ちて左足を捻挫した」「病院行ったけど折れてはいなかった。2週間くらいで治るらしい」との事。あーあ、また怪我した。それくらいにしか思わなかった。その時は。自分から病院に行くなんてよっぽど痛かったんだろうなとは思ったけど足が痛くて歩くのもやっと。這いつくばって動いていた。「もう寝るわ。2階まで登るのしんどいから下で寝る」とリビングのソフ
12月に入りいつ倒れてもおかしくない様子の旦那。毎日よろよろで帰って来る。トイレが間に合わない為、紙パンツを履いたり尿漏れ様のパット付きのパンツを履く。下着はいつも血液だらけだった。私は仕事から帰ってまずは旦那の下着を洗う。血液で汚れた床を拭く。玄関に脱ぎ散らかしてある旦那の作業着などを集める。そんな生活が続いた。12月22日。「しんどくて帰れない。今日はこのままコンビニで寝て行く」と連絡があった。この日が生前最後の仕事になる。23日。私は発熱の為子どものクラブをママ友
酒の量がどんどん増える。家にいる時は焼酎を飲む旦那。4リットルの焼酎が4日でなくなる。決算の際に旦那の財布、領収証関係の物を整理して税理士さんに渡す際に知ったけど、コンビニのレシートにはいつも酎ハイ500。昼はもちろん、仕事終わりの帰りの時間にも酎ハイのレシート。現場が遠ければ遠いほど本数は多い。一体どれだけの量を1日に飲んでいたのかは不明。家族で休みの日に外食に行っても店に着く前からすでに酔っ払ってるから店の中でもポヤポヤしてる。眠たいのか泥酔してるのか。もう、私は旦那と外に
2023.12.17夫が肝不全の為お空に旅立ちました享年41歳12/14色んな苦しさから首切ろうとしたからめちゃくちゃ怒っちゃったしかも私誕生日だったから余計に12/15入院日朝からお腹苦しいと言っていた(肝硬変の腹水でお腹パンパンだった薬飲んだか聞いたら飲んだって言ってた次の日の応援で実家行く予定だったけど寝てるから大丈夫って言ったから実家行った夜苦しすぎて救急搬送からの入院の連絡12/16他店応援後帰宅12/17仕事行ったら10時頃に急変の連絡駆けつけたらまだ
旦那の具合はますます悪くなる。足は全然、浮腫が治らず整形外科で水を抜いてもらうけどまた溜まる。そしてついに大きな病院の外科に行く。私は仕事で連れて行けないのでお義母さんに頼んで連れて行ってもらった。背中も痛いと言っていたのでCT、血液検査。結果、脾臓が亀裂していた。脚立から落ちた時に背中も打った時の物。整形外科では足しか診てもらってなかった。「もう、時間がたってるから血は止まってるけどよくこの血小板の数値で止まったなー。足の浮腫も水じゃなくて血液だね。内出血が止まらないから
仕事をもらえる会社が2社になった。でも、前からもらっていた会社が旦那の変化に気付き、「まずは体を治さなきゃ」と仕事の数を大幅に減らしてきた。そりゃそうだ。。。旦那は10月からもらい始めた会社1本で本格的に動き始めた。朝5時に起きすぐ出かける。現場が遠方ばかりで帰りも遅い。いや、仕事終わってからすぐ家に帰る力が残っておらずコンビニやSAで少し寝てから帰ってくる。正直飲んでいたと思う。帰って来て玄関で横になりゼーゼー言いながらしばらく休憩してほとんど夕飯を食べず寝る。また朝起き
さらに黄疸が悪化してしまいましたもう、治療は断念です。肝不全の状態になっているので、最期の時のことを考える時期になった。と、医師から説明がありました。って、旦那から報告があった私は医者から呼ばれてないえ・・・まだ、家族呼んで話しなくて大丈夫???しばらくはまだ外来でフォローして、いづれ緩和病院へ転院って感じかな???旦那は意外と落ち着いてるまだ、そんなに苦痛がないからなのかもしれない。倦怠感とか、胸が悪い(吐き気???)とか、股関節が痛い、くらいかな。腹水がまだそこまで多く
【肝不全・末期・金バエ速報】かなり苦しんでいます野田草履
こんばんは!もきゃぴです。寝れない寝れない明日仕事なのに眠気が来ないということでブログを書きます前回から15日が経とうとしてます。母、頑張って生きてますあんなに声が通る母寝ていることが大半なので話すことが減り、声がほぼ出なくなりました。前回腹水や肝不全、浮腫があったのですが、前回の時よりかは、よくなっている気がする。けど前回より、寝てる時間格段に増えました。今日夜ご飯を食べている時、ふと弟が『ママってさ、年内もつのかな』と余命宣告は、年越しは厳しいと言わ
中路正恒も腹水やばいです。死ぬのかな?喜ぶ人多いだろうね【金バエ。肝不全・末期】金バエ「闘病生活つらい・・・」野田草履ニュース
7月12日(水)ペット検査日ブドウ糖に放射能が入った注射をする。腕に針を刺したらレントゲン室のようにガラス張りの別室に避難する看護師さん💦身体にブドウ糖が行き渡るまで1時間待機室で待機…その後検査に30分…その後も待機室で放射能出すために水たくさん飲んでおしっこ出して30分待機してからのやっと帰宅。。。長かった💦お腹も空いたし💦転移があまりありませんようにと祈るばかり💦7月14日(金)検査結果の日…今日は確定診断😣初めての告知…原発乳がんでした〜多発リンパ節転移多発骨転
食道静脈瘤の破裂した時、どうだったのか。の続きの続きの続きの続き。入院中の(主に内視鏡手術後の食事の)話です。ドクターから最低2週間といわれていた入院期間は9日で終了しました。治療関連については大きく以下の3つ・消化管内での出血の確認(うん〇の色チェック/自己申告、内視鏡による確認1回/入院5日目)・貧血対策(追加の輸血、鉄剤の静脈注射)・栄養と水分補充の点滴(最初は絶飲食)ひたすら地味な内容です。一日24時間、ほぼ何もしません。入院中は食い物のことばかり考えていまし
【万波誠先生を送る会】(宇和島)11月28日付愛媛新聞記事宇和島市の病院で、数多くの腎移植手術を手掛け、10月に81歳で死去した、万波誠氏を「送る会」が、27日、同市住吉町の葬儀場であった。万波氏が執刀した患者や、親交のあった病院関係者らが、全国から訪れ、功績や人柄をしのんだ。式典は実施せず、参列者は、祭壇の前で手を合わせ、会場に飾られた、万波氏の生い立ちや白衣姿の写真に、静かに見入っていた。16年前に、万波氏の執刀で腎移植手術を受けた、
海のシーズンが終わると休みの日は朝からよく旦那と言い合いしていた。「朝から飲まないでよ!」「休みの日に飲むのが何がいかんのだ」「おかしいでしょ!朝から酒飲むお父さんなんて普通じゃない!」「普通って何?何で朝から酒飲んじゃいかんの?」何でいけない?何でだ?「常識じゃん!」。。。「子ども達バスケで俺、やる事ない」「、、、一緒に練習見に行こうよ」こんなやり取りを繰り返す。なぜ酒を朝から飲んではいけないのか?そう聞かれてはっきり答えが出せなかった。もう、私は何が常識で何がおか
再手術が終わり、小児外科の先生たちが戻ってきました。前回の手術のときと先生たちの表情が全く違うことに気が付き、嫌な予感に胸騒ぎがしました。前回は疲労感の中にも、やり遂げた達成感のある満足気な表情でしたが、今回は苦渋に満ちていたのです。術後の説明を受けたときの衝撃と絶望感は一生忘れません。「前回温存した小腸が壊死して穿孔を起こしてしまいました。非常に残念ながら小腸を全摘せざるを得ませんでした。」※息子は十二指腸と大腸は残りましたが、栄養を吸収する主役の小腸(空腸、回腸)を全て失いました