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9日に旦那は緩和病棟に入院した。もしもの時に救命措置は取らない書類にサインした。肝臓移植の対象外の為、治る見込みはない。酒を今からやめても肝臓の数値が戻って来る事は期待できない。「だから言ったじゃん。飲み続けたらこうなるよ」と言うと、「うるさい」と言った。でも、お茶とかテレビカードを置いていた時「ありがと」と言った。今思うと旦那が私に言った最後の言葉だった。10日、朝通勤前に遅刻して病院に行く。目を瞑ったまま。返事もしない。ずっと寝てる。アンモニアが脳にまで回っ
ブログネタも無く、ひまに任せて書いてきた過去記事の焼き直しまとめ系。静脈瘤シリーズも、あと2回で終了予定。内容は亜鉛欠乏編です。退院時点の血液検査では、体の亜鉛はからっからになっていました。処方されたのがポラプレジンクです。さまざまな慢性疾患で亜鉛不足は起こりますが、肝疾患はその代表クラス。中でもアルコール性ともなると、さらに顕著なのだとか。そもそも肝臓がやられると、体の亜鉛はどうなるか。①まず体に入ってこない。→食欲不振と、腸管からの吸収障害②せっかく入ってきても、す
亡くなってから知ったけど、仕事中にも飲酒問題で色々あったらしい。今までお世話になっていた元請け会社から仕事がほとんどもらえなくなった。「もう、あそこの会社は切る。〇〇と〇〇でやって行く」と、仕事をもらう会社が2社になった。仕事の量はまだまだ少なく旦那自身もどんどん不安になっていた。「もう、死にたい」しきりに死にたいと言うようになった。生きてる時は私には言わなかったけど本当に本当に飲酒問題で元請けの会社ともめてたみたい。従業員の子も巻き込んで。本当に、最後の最後までついて来てくれ
その日は試合で遠征に出ていた。骨折している息子はキャプテンの為、骨折していてもベンチに座る。卒団も控えていて今のチームの仲間との時間も後わずか。旦那は相変わらず痛み、出血はあるが昼までは酒を飲まずに(自分で作れないのでお義母さんが作ってくれない)我慢して寝てるらしい。毎日LINEをするが返事はない。「今日は〇〇に行くからね」一応旦那にもLINEしてあった。試合中、旦那からものすごく久しぶりに電話がかかって来た。後から掛け直す。「家に帰りたい。迎えに来い」「試合の帰りに迎えに来
精神科で紹介状を書いてもらいすぐに消化器内科を受診した。血液検査、尿検査、CT。結果は、「血液検査の結果は肝硬変でもおかしくない数値だけどCTではまだ肝硬変にはなっていない。硬くなりつつあるけどまだ大丈夫」「でも、いつなってもおかしくない状況」「吐血もあるとの事だから食道静脈瘤の疑いもあるし2週間後に胃カメラをしましょう。禁酒して来てください」との事。2週間禁酒?できるはずない!そう思った。その頃の旦那の症状は、毎朝の吐血、血便、倦怠感、顔つき。手の震えなんてもうずっと
足の浮腫は少し引き、仕事に戻った旦那。でも、明らかに体調が悪い。現場に出ても今までみたいに動けずいつもなら1日で終わる現場も3日くらいかかってしまう。元請けも仕事が前みたいに入れれず1日働いては2日空いてと1週間で3日しか仕事がないような状態。「他の元請けを探す」「このままじゃ会社を続けられない」旦那は仕事に対しては本当に焦りを感じていた。精神的にも辛かったと思う。「大丈夫だよ!父ちゃんがお酒やめて前みたいに働けるようになったら絶対仕事戻るから」励ました。でも、休んでいる日は
酒の量がどんどん増える。家にいる時は焼酎を飲む旦那。4リットルの焼酎が4日でなくなる。決算の際に旦那の財布、領収証関係の物を整理して税理士さんに渡す際に知ったけど、コンビニのレシートにはいつも酎ハイ500。昼はもちろん、仕事終わりの帰りの時間にも酎ハイのレシート。現場が遠ければ遠いほど本数は多い。一体どれだけの量を1日に飲んでいたのかは不明。家族で休みの日に外食に行っても店に着く前からすでに酔っ払ってるから店の中でもポヤポヤしてる。眠たいのか泥酔してるのか。もう、私は旦那と外に
8日に3人で旦那の様子を見に行った。もう、会話できない。ずっと寝てる。子ども達は冷静。「もう仕方ないよ」旦那は聞こえてたのかな?大事で大事で仕方なかった息子。息子も父ちゃんが大好きだった。酒ばかり飲んで私達家族の話を聞かず飲み続けた旦那。娘に至ってはもう、本当に厳しい。母として娘の将来が心配になるほどの厳しい意見。ここには書けないほどの冷静さ。これから先の事が心配で不安でたまらなかった。死ぬのか、生きるのか、一生このままか。そして、9日。朝、職場に着く直前お義母さ
旦那がアルコール依存症からの肝硬変、肝不全で2024年1月に亡くなりました。旦那と出会って22年。結婚して17年。息子、春から中学生。娘、春から小学4年生。ねこ、4月で14歳。旦那が亡くなるまでずっとずっとずっと酒との戦いでした。酒が憎くて仕方ありませんでした。正直、亡くなってほっとしています。でも、「あの時こうしてたら助かってたのかな?」「もっと優しくすればよかった」など、思う事はたくさんあり時々めそめそしてしまいます。一つだけ言える事は、旦那が誰かに迷惑かける前に
2023.12.17夫が肝不全の為お空に旅立ちました享年41歳12/14色んな苦しさから首切ろうとしたからめちゃくちゃ怒っちゃったしかも私誕生日だったから余計に12/15入院日朝からお腹苦しいと言っていた(肝硬変の腹水でお腹パンパンだった薬飲んだか聞いたら飲んだって言ってた次の日の応援で実家行く予定だったけど寝てるから大丈夫って言ったから実家行った夜苦しすぎて救急搬送からの入院の連絡12/16他店応援後帰宅12/17仕事行ったら10時頃に急変の連絡駆けつけたらまだ
海のシーズンが終わると休みの日は朝からよく旦那と言い合いしていた。「朝から飲まないでよ!」「休みの日に飲むのが何がいかんのだ」「おかしいでしょ!朝から酒飲むお父さんなんて普通じゃない!」「普通って何?何で朝から酒飲んじゃいかんの?」何でいけない?何でだ?「常識じゃん!」。。。「子ども達バスケで俺、やる事ない」「、、、一緒に練習見に行こうよ」こんなやり取りを繰り返す。なぜ酒を朝から飲んではいけないのか?そう聞かれてはっきり答えが出せなかった。もう、私は何が常識で何がおか
旦那は息子を溺愛していた。息子を誇りに思っていた。運動神経がよかった旦那。何でもスポーツはでき誰からも慕われいつも周りには人がいた。そんな旦那の血を引く息子。小さい頃は喧嘩が絶えず友達のお宅に謝る事も多かったがみなさん「〇〇はいい子だから、知ってるから」と言ってくれた。いつも周りには人がいる。旦那は息子をスーパースターにでもしたかったのか、息子が保育園の頃から運動会ではリレー選手になって欲しい。小学校最後の運動会では応援団長になって欲しいととにかく運動に関しては力一杯アドバイスし
株式会社を経営していた旦那。とりあえずアルコール依存症だったけど従業員の子もいて仕事は問題なくやっていた。親方で現場に出ていた旦那は自分が休んだら仕事が回らないと肋骨を折ってからもすぐ復活してしばらくは元気だった。でも、肋骨を折ってから8ヶ月。去年の3月に初めて「腹が痛いから病院に行こうかな」と言った。私は正直チャンスだと思った。自分から病院に行くって言うなんて!!と。アルコール依存症からくる肝臓だと絶対思った。片っ端からアルコール依存症を診てくれる精神科を探した。そし
仕事が減ったように思った6月。梅雨の時期だし仕方ないのかなくらいに思ってたけど違った。旦那が亡くなってから従業員の子に聞いた話。「飲酒問題でかなり元請けからクレームが出てた」そりゃそうだろ。「状況が改善されないならもう取引できない」と仕事をくれていた元請け一社から言われて仕事が減った。それでも会社経営している以上、社会保険、労災保険、諸々の支払いもある。やりくりする為にお義母さんに200万借りたらしい。全部全部後から知った。「もう、無理だ。本当に無理だ。離婚したい」離婚届を
7月の半ば。仕事で帰宅すると旦那が誰かと電話していた。「2週間くらい休むので、よろしくお願いします」?姿を見ると左足に包帯。「脚立から落ちて左足を捻挫した」「病院行ったけど折れてはいなかった。2週間くらいで治るらしい」との事。あーあ、また怪我した。それくらいにしか思わなかった。その時は。自分から病院に行くなんてよっぽど痛かったんだろうなとは思ったけど足が痛くて歩くのもやっと。這いつくばって動いていた。「もう寝るわ。2階まで登るのしんどいから下で寝る」とリビングのソフ
娘は私の生き写し。天邪鬼で少しめんどくさい。保育園の時はまだよかった。「父ちゃんのお迎えがいい」と言う事もあった。でも、息子より先に父親を諦めた。「父ちゃん嫌だ。お酒ばっかりだもん」小学生になると早い段階で父親を嫌がるようになった。「〇〇は父ちゃんの事嫌いなんだな」と、父親が言うと「嫌いじゃないけどお酒ばっかり飲んでるから嫌だ」と言っていた。私と旦那の口喧嘩を聞いている子ども達。娘は「離婚してもいいよ」と何度も言っていた。それでもまだ旦那がしっかりしている時は何
息子が骨折の手術が終わり退院したけど手首の尺骨、橈骨両方ポッキリ折っていた為痛みがひどく天井の柱から長い三角巾を引っ掛け腕をつっていた。そんなこんなで年末は旦那は自分の実家で過ごしてもらった。旦那には毎日励ましのLINEを入れる。お義母さんは何日か自分の息子と過ごすうち、やっと旦那の病状を把握。何度も電話で説明してたけど年末までは旦那も自分の親の前では頑張って普通を装っていたらしくなかなか信じてもらえなかった。「もう、入院しないとダメだね」「〇〇ちゃん(私)は〇〇くん(息子)を
結婚する前から旦那は酒好きで外食時はいつもビール。家族で出かけた時も昼からは飲むからいつも運転代わっていた。結婚してからも色々あったけど元気で仕事も頑張ってた。女関係は色々あったけどもう夫婦の間は家族愛しかなかったのでそれが原因でどうのこうのはなかった。結婚する前から正社員で働いていた私は産後も8ヶ月、6ヶ月で仕事に復帰して働いていた。それでも夫婦で協力してお迎えや家事をやって過ごしていた。6年前、息子が小学校に上がってから始めたミニバス。バスケの練習に土日に行くようになって、家族
1月4日から私は仕事が始まった。娘の学童の迎えを19時までに行かなくては行けないので旦那の様子を見に義実家に5分ほど立ち寄った。旦那は黄疸とむくみ、腹水、足はパンパンに腫れていた。「ちゃんと薬飲んでる?お酒飲んじゃダメだよ」と言うと何やらか細い声で返事する。もう、しっかり会話する事もできない。12月22日までトラック乗って仕事に行っていたのにたった2週間でこんな風になっちゃうの?信じられない気持ちと仕事の為に相当無理していたんだなと思う気持ち。警察を呼ばれてもおかしくないくらいの
迎えた4月。旦那は相変わらず。顔つきも覇気がなく歩き方もなんだかしんどそう。やっぱり体の調子が悪いんだと実感させられる。子ども達もそれぞれ進級して、息子6年生。娘3年生。「運動会では選手リレーになれそうか?」とクラス替えした息子に聞いていた。6月にある小学生最後の運動会をとても楽しみにしていた旦那。「応援団長になれよ」息子への期待は大きかった。「頑張るけど、父ちゃんお酒やめてよ」息子が言うと、「急に0は無理だ。でも、少しずつ減らすように父ちゃんも頑張る」と、何度も息
食道静脈瘤の破裂した時、どうだったのか。の続きの続きの続き。救急搬送→緊急手術までの話です。※2回あった吐血を一つのケースにアレンジしています。■病院到着まで①救急車到着(連絡終了後、ものの数分で来る…早い!!)②車内のベッドにて救急士による問診・バイタルチェック③救急士による受け入れ病院への連絡~確定※これ、けっこう断られます。私は1度、嫁さんの時は2度断られました。救急体制は都道府県などによって差がかなりあるようです。結局、救急車に乗って病院に向かうために発車
そして、もうお一人、強力な援軍になって下さる医師と、知己を得ることが、出来ました。それが、西光雄医師です。西先生は、74歳の現在も、香川県坂出市にある、聖マルチン病院の名誉院長として、患者の診察を、続けていらっしゃる、現役の泌尿器科医です。そればかりではなく、ベテランの腎移植医として、はるばる、東京へも遠征して、移植手術の現場で、応援・指導に入っている方です。ところで、このブログでもよく登場する、「瀬戸内グループ」という言葉…実は、この謎めいた言葉は、
病院に着くと旦那は救急処置室で点滴をしていた。腹水の検査など(何をしたか覚えてない)があるから色々な書類にサインをする。しばらく待合室で待ち先生に呼ばれる。「肝硬変末期です。肝不全も起こしています。このままだとかなり危険な状態です。入院が必要だけど本人が絶対入院しないと言っています。本人が入院の意思がなく暴れたりしたら(アルコール依存症なので)結局迎えに来てもらわなくてはいけないのですがどうされますか?」こんな内容だったと思う。。やっぱりな。末期か。。。入院したくないと言うの
再手術が終わり、小児外科の先生たちが戻ってきました。前回の手術のときと先生たちの表情が全く違うことに気が付き、嫌な予感に胸騒ぎがしました。前回は疲労感の中にも、やり遂げた達成感のある満足気な表情でしたが、今回は苦渋に満ちていたのです。術後の説明を受けたときの衝撃と絶望感は一生忘れません。「前回温存した小腸が壊死して穿孔を起こしてしまいました。非常に残念ながら小腸を全摘せざるを得ませんでした。」※息子は十二指腸と大腸は残りましたが、栄養を吸収する主役の小腸(空腸、回腸)を全て失いました
旦那の具合はますます悪くなる。足は全然、浮腫が治らず整形外科で水を抜いてもらうけどまた溜まる。そしてついに大きな病院の外科に行く。私は仕事で連れて行けないのでお義母さんに頼んで連れて行ってもらった。背中も痛いと言っていたのでCT、血液検査。結果、脾臓が亀裂していた。脚立から落ちた時に背中も打った時の物。整形外科では足しか診てもらってなかった。「もう、時間がたってるから血は止まってるけどよくこの血小板の数値で止まったなー。足の浮腫も水じゃなくて血液だね。内出血が止まらないから
仕事をもらえる会社が2社になった。でも、前からもらっていた会社が旦那の変化に気付き、「まずは体を治さなきゃ」と仕事の数を大幅に減らしてきた。そりゃそうだ。。。旦那は10月からもらい始めた会社1本で本格的に動き始めた。朝5時に起きすぐ出かける。現場が遠方ばかりで帰りも遅い。いや、仕事終わってからすぐ家に帰る力が残っておらずコンビニやSAで少し寝てから帰ってくる。正直飲んでいたと思う。帰って来て玄関で横になりゼーゼー言いながらしばらく休憩してほとんど夕飯を食べず寝る。また朝起き
12月に入りいつ倒れてもおかしくない様子の旦那。毎日よろよろで帰って来る。トイレが間に合わない為、紙パンツを履いたり尿漏れ様のパット付きのパンツを履く。下着はいつも血液だらけだった。私は仕事から帰ってまずは旦那の下着を洗う。血液で汚れた床を拭く。玄関に脱ぎ散らかしてある旦那の作業着などを集める。そんな生活が続いた。12月22日。「しんどくて帰れない。今日はこのままコンビニで寝て行く」と連絡があった。この日が生前最後の仕事になる。23日。私は発熱の為子どものクラブをママ友
夜中アンちゃんの緊急措置が行われ、ICUに入りました。家族が面会できたのは朝の7時でした。心臓バクバクしながら、アンちゃんと対面。顔が腫れていてアンちゃんの顔じゃないみたい。酸素濃度100パーセント、かなりの圧がかかった人工呼吸器。いったい何が起こったのか、気が動転する。別室で話を聞くことに。「想定外のことが起こりました。昨夜心肺停止しかけて、肺に水がたまってます。」見せられた肺の写真は真っ白だった。「肺?」今まで聞いたことのないキーワードです。「なんでこんなことになっ
総合病院へ行ったのは、金曜日でした。🧑⚕️即入院!!!と言われたのにも関わらず、自分のことよりも家族のことを優先してしまう私は、週明け月曜日に入院することにしてしまいました💦(馬鹿です)なぜなら、主人にも息子にも何も伝えていなかったからです(本当に馬鹿です)いや、食欲がない・ご飯作るのがしんどい…ぐらいは伝えてたんですけどね💦「お母さん、家事やりたくない病なのかな~(笑)」なんて、大したことありませんよ~的に話してたんですね💧たぶん、私自身がそう思いたかったからなんですだから、家族
2部に分けて投稿しています本文はこちらです非がん患者に行う緩和ケア❶肝不全①⑴気づきたい!"終末期"のサイン・肝不全は、肝臓の機能が大きく低下した状態であり、肝炎や肝硬変、肝傷害(肝臓が薬剤などで傷つく)など、さまざまな肝疾患により生じます。・合併症が表れていなくても、肝不全が進行していることがあります。・なかでも、肝硬変は代償期(腹水、静脈瘤出血、肝性脳症などの合併症が出現していない状態)と非代償期(合併症が出現した状態)に大別されます。