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2月の末に佐賀の縄文遺跡について書かせていただきましたが、『佐賀歴史探訪1〜東名縄文遺跡』ママさんの郷里は佐賀です。結婚するまで佐賀で暮らしてました。私は埼玉生まれの埼玉育ちですが、実は私の両親は2人とも佐賀出身です。今回佐賀に1週間滞在しまして、…ameblo.jp実はそのひと月前にも埼玉で縄文と触れる機会がありました。オッサン4人で大宮をブラブラ徘徊していた際、『伝説の「いづみや」@大宮』母校・蕨一中テニス部の同期会のお店を探そうと、大宮駅周辺をウロウロしました。同期会1回目はイタリ
👆標高差を極端に色分けした地形図です。この図を一目して、ある女性は「グレーの部分は海なの?」と言いましたが、そういうわけでなく標高は1.5〜7mの立派な陸地です。「お茶の水」から「上野・不忍池」まで歩いてみました。上の図の舌状台地の先端部は人工地形改変の跡(下の写真:神田川と電車が通っている)です。この人工開削は家康命と云われているが、実際の工事は江戸時代初期の元和ニ年(1616)秀忠の時代に行われた。開削の際、湧き出した水は将軍の茶立ての専用水とされ、幕府所縁ということで
バヌアツで大地震発生!12/1710時47分頃バヌアツの法則17日にバヌアツでM7.32週間以内に高頻度で日本でも「バヌアツの法則」に注意を(デイリースポーツ)-Yahoo!ニュース2018(平成30)年9月6日の木曜日、午前3時7分、北海道胆振(いぶり)東部地震が発生しました。最大震度7、地震の規模はM(マグニチュード)6.7でした。土砂崩れによる40人以上の犠牲者と、北海news.yahoo.co.jpデータ的に、3日後から2週間以内は注意とあります地震プレート状に
『近畿の地質的景観』第1回<河内湖>古代大阪は、海岸線が平野部まで深く入り込み、上町台地が半島のように突き出し、その東に河内湾と呼ばれる内海が広がっていました。古墳時代になると、河内湾は淡水化し、潟となってやがて河内湖へと姿を変えました。淀川や大和川の度重なる氾濫により、土砂が堆積し形成された河内湖は、変遷を重ねて出来た地形でした。●約1万~7000年前(縄文時代草期)1万9000年前から始まった「縄文海進」のピーク時(6500年前)は、大阪湾の海水が淀川沿いに京都市
『関東の地質的景観』第1回東京湾●<12万5千~12万年前>最終間氷期始まる:温暖化氷河が溶けて海面が上昇(下末吉海進)13万年前にリス氷河期が終わり、エーム間氷期が始まりました。約12万5000年前から12万年前までを下末吉期(しもすえよしき)ともいいます。下末吉は神奈川県横浜市鶴見区の模式地の名です。世界中で気温は現在より高くなり、氷河が溶けて海水面が上昇し、海水が陸地に入り込む海進が始まりました。この海進を下末吉海進(しもすえよしかいしん)といいます。東京湾から川越市、渡良