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10:40発のスカイマーク飛行機に乗って気づいた行きの保安検査超えたとこで、割引手続きせなあかんかったすっかり忘れてた空の足跡神戸のパン特集やった懐かしいお店いっぱいイスズベーカリーとDONQが好きでした時間ぴったりなフライト神戸の町並みなかなか綺麗な海やな養殖の様子もよく見える明石大橋の真上瀬戸大橋も見えたけど遠い、かつ、霞んでて写真✖️やった佐田岬ドリンクは、茨城県のさしま茶をいただきましたカップが超かわいい沖縄首里城とジンベイザメ、シーサー名
こんばんは♪今日は仕事から帰ってきてから、ぼーっとしていたら、入って来た非物質の情報になります。-----5次元化の波(白)が、今のこの黒い世界に押し寄せてきているのですが、それがある時を迎えたら、閃光のような出来事があり、黒と白のマーブルが統合に向かうのだそうです。その閃光のような出来事っていうのは、それはこの世的に嬉しいことなのか、悲しいことなのか、どちらかわからないし、どちらでもあるのかもしれませんが、そのときに、人
本日は令和6年度神奈川県戦没者追悼式に参列するために神奈川県民ホールに行って来ました。私は祖父が硫黄島で戦死しているため遺族の1人です。ホールにて鎌倉市議会の池田議長が来賓としていらしたところに遭遇。のちに、永田県議が来賓としていらしたところに遭遇。さらに、松尾市長が神奈川県市長会の会長の肩書きで来賓としていらしたところに遭遇。なんだか…同窓会みたいでした🤪夜は青少年指導員の大船地区会に参加。普段はラフな格好が多いので、1日スーツだと疲れるなぁ…
8月、ご縁をいただき、硫黄島へ行ってまいりました。硫黄島島はご存知の通り、太平洋戦争後期に激戦地となった場所。日本兵およそ2万2000人、米兵およそ7000人、島民82名が亡くなったそうです。1泊2日のスケジュールで、初日は靖国神社で参拝し、遊就館へ。遊就館では、硫黄島についての事前研修を受けました。その後、埼玉のホテルへ移動し、結団式と再び研修。翌日は朝早くホテルを出発し、入間基地
硫黄島②の記事はここから。『硫黄島②』硫黄島①はこちらから。『硫黄島①』8月、ご縁をいただき、硫黄島へ行ってまいりました。硫黄島島はご存知の通り、太平洋戦争後期に激戦地となった場所。日…ameblo.jp続いては、日本軍の拠点となった摺鉢山へ移動です。摺鉢山は標高169mの山。山道は島の隆起によって、壊れては舗装の繰り返しだそう。山頂からは南海岸が一望できました。(米兵の上陸した海岸)こちらは、●第
硫黄島①はこちらから。『硫黄島①』8月、ご縁をいただき、硫黄島へ行ってまいりました。硫黄島島はご存知の通り、太平洋戦争後期に激戦地となった場所。日本兵およそ2万2000人、米兵およ…ameblo.jp史料館の次は、遺骨収集実施現場の見学です。こちらは、前日までの遺骨収集で発見された壕。今回の2週間の作業では17柱のご遺体が発見されました。日本人の骨なのか?アメリカ人の骨なのか?もしくは動物の骨なのか?と見分ける鑑定士が帯同し
●ターゲット:大型根魚、大型青物●乗船場所:姶良市重富漁港●乗合料金:乗合25000円(6人)35000円(4人)●貸切料金:140000円●エサ:生餌(アジサバ)は現地調達又は前日購入●時間:出船3時~帰港16時前日19時に船長TELまでお問い合わせください090-3738-2896●ハリス:50~100号●リール:ビーストマスター6000、シーボーグ800MJトルサタリカシーライン●ロッド:スタンディングスタイルを推奨中!ディープカバーの165Hまたは165Rがオ
大阪山砲台を後にし、医務科壕へ。たくさんの銃痕が残っています。この壕は入り口が広いので、負傷者を運び易かったのでしょう。壕に入ってすぐ右側には、皆が祈ったであろう観音像がありました。懐中電灯や携帯のライトでここまで鮮明に写っていますが、実際は真っ暗です。唯一の光といえば、天井に空けられた穴のみ。日中は米軍から攻撃を避けるために、壕で生活していたそうです。
医務科壕の次は、兵団司令部壕。ここは、日本軍守備隊の最高指揮官・栗林忠道中将が指揮を執っていた壕。残念ならが中には入れず。奥まった場所に壕の入口があります。慰霊祭に向かう途中に八八式七糎野戦高射砲が見えました。地中から発見されたそうです。そして天山慰霊碑へ。本土から持参した、●お水4本●線香●砂糖菓子●日本酒をお供え致しました。最後になりま
ようこそお越しくださいました!このブログは、ただひたすらに日本一知られていない絶景の国アイスランド🇮🇸(私調べ)のことを書いているブログです。よかったらどうぞゆっくりしていってください今回もアイスランドがロケ地の映画紹介です(ええ、まだまだありますよ〜)今回の映画は硫黄島からの手紙父親たちの星条旗です戦闘シーンはアイスランドで撮影クリント・イーストウッド監督のこのいわゆる『硫黄島2部作』第二次世界大戦で激戦地
2018年6月24日おそらく、このクワガタの動く姿を見ることは、この時代の人間にはありえないと思われていたのですが、縁あって、史上初の公開です。「イオウマメクワガタ」です。硫黄島は、一般人は立ち入ることができない島ですが、常駐する某大手建設会社と、基地に駐在する少数の自衛隊員のみがこの島の地を踏むことができます。たまたま、その中の一人が私の友人であり、このクワガタの姿を拝めることができました。果たして、このクワガタを採集していいのか!?
Yahoo!ニュースより。なぜ「手榴弾と遺骨」が一緒に出てくるのか…硫黄島「全長50メートルの地下壕」での困難1/21(日)6:48配信写真提供:現代ビジネスなぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸友軍ハ地下ニ在リ』が発売たちまち7刷と話題だ。【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」普段ノンフィクションを読まない人にも届き、「
※度々お知らせしておりますが、当方のPCの不具合につき、皆さまの全てのアメブロ記事でタイトル部分と本文以外が欠落し表示されません。「いいね」「フォロー」をしていただいてもお返しすることも出来ません。見返りを期待して押される方は申し訳ありませんが、ご遠慮下さい。当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。硫黄島は、海上自衛隊硫黄島航空基地が設置され、海自隊員が常駐してるのと、各種設備の保守・点検を行っている防衛省北関東防衛
今日は僕が海自の任務で行った硫黄島と南鳥島の話です。硫黄島は、第二次世界大戦(太平洋戦争)で最も重要で最大の戦いがあった場所です。東西8K南北4Kの小さな火山島島の左端にある山が摺鉢山です。(記念のテレホンカード)摺鉢山に彫られている星条旗を立てる米海兵隊員です。僕が行った昭和58年当時のジャングルの中は島の柔らかい土中に撃ち込まれて爆発しなかった不発弾でいっぱいです。地下壕(日本軍が掘った穴)の中には実弾が残されていました。硫黄島の戦いは、沖縄戦とともに
10月号の『祖國と靑年』のテーマは、祖国のために戦う若者たちということで、8月15日に靖國神社境内で開催した靖國の心を未来へ!感謝の心をつなぐ青年フォーラムの特集を組んでいます。同フォーラムは、平成27年の「終戦70年の若人の集い」の精神を受け継ぎ、若者から英霊顕彰の気運を高めようと企画され、今回が第8回目となります。当日は日本の青年、世界の青年からの提言に加え、特別に高須クリニック総院長の高須克彌氏、前統合幕僚
皆さま当ブログでは、これまで何度かに分けて転生型事例の研究について取り上げてきました。「前世を記憶する子供たち」の事例は、世界中で報告されていますが、このような事例報告に対して、超心理学の研究者は地道に調査研究を行い、輪廻転生思想の影響が弱いと考えられる西洋諸国からの事例も集めています。これについて、懐疑論者や物質主義科学の側に立つ人からは痛烈な批判も浴びせられてきた歴史もあります。今回は、転生型事例の信憑性を巡って繰り広げられてきた議論について深掘りします。よろし