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皆様おはようございますダス!昨夜もワシは水戸黄門を見とったダス!📺水戸黄門にしては珍しく登場人物がキルされてもたダス!💦お話の内容は、お殿様のお子様が毒を盛られてキルされそうになるという話だったダス!写真は毒消し飲んどるとこダス☆最後は何事も無かったかのように笑って終わるダスwその後は芸能人格付けチェックを見たダス!朝が来たダス!アマタツ~!いつもの日課をこなすダス!昨日までゴッツイこと雨が降っとったので今朝のバラの水やりは無しダス!🌹🌹🌹では占いダス!と行きたい
お久しぶりね~な阿麻美許曽神社を後にして開運松原六社参り最後の神社我堂八幡宮へレッツラゴー距離的には2キロ弱なので気分的にはラクチンなのですがちょっと空模様が気になってきました雨・・・降らないと良いけれどそんな1月7日(火)大風そんな雲の様子を気にしているとすぐ近くの森の中に大きな社っぽい屋根がチラチラと見えるのですあれは何だ!!かなり気になる大きな屋根。何か会館とかかないや・・アレは神社系の屋根だぞっこんな近くに有るのに行かない手は無いですよねっ雨が
こんばんは、mmm(まーママ)です。3月17日(日)早朝5時30分、大阪南港に到着。途中、チョウジョをピックアップして、向かうは奈良県。道の駅飛鳥で休憩。駅のある道の駅でした。ちょうど電車来た最初の観光は、こちら。石舞台古墳奈良県高市郡明日香村島庄254拝観料:300円横穴式石室をもつ、方形墳です。古墳上部の封土は失われ、巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬者は
☆一須賀古墳群(近つ飛鳥風土記の丘)河内国石川郡南河内郡太子町葉室、河南町一須賀・東山(「大阪府立近つ飛鳥博物館」P利用)南河内郡太子町葉室、河南町一須賀・東山に渡る群集墳。23支群、総数262基。国史指定。「近つ飛鳥風土記の丘」として整備され、麓には「大阪府立近つ飛鳥博物館」が建てられています。築造時期は6世紀中頃~7世紀前半頃。大半は径10~20m程度の円墳。太子町のサイトは以下の通り。━━副葬品に舶載品と考えられる金銅製の沓や垂飾付耳飾、ミニチュアの炊飯具などがみられる
この記事は2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...富士山最古の登拝道「村山道」は、春夏秋冬様々な姿を見せてくれます。ふじ爺はこれまで何度も歩いていますので、これまでのベストショットを織り込みながら綴っていきます。7月30日...7月29日PM17:34に海抜0mの田子の浦鈴川海岸をスタートして、村山古道「御室大日堂跡・一ノ木戸跡」で、約22時間30分が経過しました。これから、村山古道と宝永山遊歩道分岐点へと歩を進めます。↑PM16:10..御室大日堂
諏訪湖周辺の古墳探訪記、まだまだ続きますよ↑姥懐(うばがふところ)古墳、南側より名前の「姥懐」・・由来がわからないんですよね不思議な名称です。↑開口している石室ここにたどり着くまで、大変でした他の方のブログを見ていたら「山火事注意」という看板横から入ると・・・・という文章を見かけていたので、まずは看板を探してみたのですが、見当たらずやむを得ず、道のない所から山に踏み入り、しばらくの間、ウロウロしていました東側の道路からアプローチするのは、
この記事は2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...富士山最古の登拝道「村山道」は、春夏秋冬様々な姿を見せてくれます。ふじ爺はこれまで何度も歩いていますので、これまでのベストショットを織り込みながら綴っていきます。7月30日...7月29日PM17:34に海抜0mの田子の浦鈴川海岸をスタートして、「村山古道と宝永山遊歩道分岐点」で、約23時間50分が経過しました。これから、富士宮口新六合目(村山口旧四合目)へと歩を進めます。↑PM17:35..10
3月11日に訪れた茨城県桜川市の古墳、続きです。桜川左岸、筑波山塊西麓の台地上にある古墳。↑仙原塚(せんばらづか)古墳、南西より昨日アップした北原古墳近く、「つくばリンリンロード(旧筑波鉄道)」から撮影。↑仙原塚古墳、南側より左側の建物が地区公民館。こちらの建設によって大きく変形を受けています。前方部は消失。現存の後円部は径10メートル、高さ3メートル、推定墳長20メートルの前方後円墳。場所はこちら:36.257015,140.074618↑墳
朝日山古墳群2(四国中央市金田町)2023年6月16日立派な石組で設えられた横穴の薄暗い開口部では、蜘蛛巣と藪蚊の襲来という大穴牟遅を試すスサノオのような手荒い歓迎です。縦横1.5mほどの四角い横穴式石室は、背中を丸めれば無理なく潜入でき、3ⅿ近い羨道部は高さ2mほどの両袖式で、玄門は柱石とまぐさ石で区切られている。見事なまぐさ石は一段低い位置に張られて、内部の玄室を妖しくいざないます。奥行き4.5m、幅2m、高さ2.4m玄室は完存する横穴式石室で、玄
北岡山古墳群(四国中央市上柏町)2023年6月16日三島公園を松山道側道まで下り、川之江iC方面に500ⅿほど戻り端華の森古墳館の対岸辺りを南方斜面に登れば北岡山地区です。北岡山の集落から北側の畑地の上に広がる丘陵地の中に古墳群が潜むとされます。細道を下り畑で一服している小父さんに尋ねるも「古墳なぞ聞かんなあ。」との返事。止む無くGooglemapで当りをつけたエリアに分け入ります。畑地の北端に車を停め、ミカン畑の斜面を進めば大判焼きの看板が目に入り、古墳の
こんにちは、スタルペスです。小正西古墳を後にして、同じ飯塚市の「川島古墳」に向かいます。川島古墳は、装飾古墳である11号墳のことを直接指す名称のようですが、一方では古墳群全体を指す言葉のように使われていることもあるようです。※馬の親子埴輪の奥に川島1号墳(奥)と2号墳(手前)まずは「川島古墳公園」に向うことにします。思ったよりは小さい古墳公園ですが、5~6台が停められる駐車場とトイレがあります。説明板は、日焼けしてほとんど真っ白の状態です。※川島1号墳(草がボーボーで