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1979年新球団・西武ライオンズは、一軍班の2次キャンプをアメリカ・フロリダ州で行いました。54日間という長期に渡る海外でのキャンプ総経費は5,000万円とも言われ、プロ野球の常識を破る大規模なものだった。また、球団発足後にアメリカ大リーグ「ピッツバーグ・パイレーツ」との間に5年間の交流契約を結んでいた為、キャンプではパイレーツと合同練習を行う機会もあり、コーチ、選手から直接指導を受けるなど本場のベースボールを体感しながら学んだ。【1979年当時の記事写真】パイレーツのサイドスロー投手・
タイガースファンには『どこでも甲子園』という目論見があるのをご存知ですか?神宮球場で試合がある時なんてまるで東京甲子園ですからね。乗っ取られないように気をつけましょう😁そんな気配を察してか、埼玉県のご当地キャラが集合してます。この子が一番人気でした。タイガースファンが集まるのは今日が交流戦だからであります。勝つのはセか?パか?今年も開幕、日本生命セ・パ交流戦!今朝の『ZIP!』のイントロでは交流戦の開幕より、大谷翔平の活躍の方が伝えられてましたが…。今更ながら、水卜麻美さん、ご
私は、このブログで、大投手・江夏豊の「伝説」を、いくつか書いて来ている。例えば、1968(昭和43)年、江夏が「シーズン最多奪三振」を更新した時の「江夏豊VS王貞治」の名勝負や、1973(昭和48)年の、江夏の「延長11回ノーヒットノーラン達成&サヨナラ本塁打」という、江夏の「独り舞台」、そして、1979(昭和54)年の「広島VS近鉄」の日本シリーズでの所謂「江夏の21球」などである。だが、江夏豊の極めつけの「伝説」と言えば、やはり「オールスターゲームでの9連続奪三振」に尽きるの
「野球と恋愛の両立は俺には無理だ」そう決意した飛雄馬は、美奈に別れを告げるために日南海岸へ出向くだがそこで飛雄馬は美奈の恐ろしい秘密を聞かされ完全に野球への情熱を失ってしまったついに二軍落ちが決定してしまったが、飛雄馬にはそんな事もどうでもよくなっていた翌日、飛雄馬の二軍落ち決定は容赦なく報道されたしかも何故か美奈との交際の事までマスコミに知られていたその新聞を読む花形「何をやってるんだ・・・あいつっっっっ」「野球以外の事に気を取られ、隙だら
本日(10/22)は、今から47年前の、1973(昭和48)年10月22日、川上哲治監督率いる巨人が、9年連続優勝を達成した日である。しかも、この日(1973/10/22)の甲子園球場での阪神-巨人戦で、阪神と巨人のリーグ最終戦で、「勝った方が優勝」という、文字どおりの「最終決戦」を巨人が制し、巨人がセ・リーグ「V9」を達成した。だが、1973(昭和48)年10月22日の、阪神-巨人の「最終V決戦」は、巨人が9-0で阪神に大勝するという、予想外の大差となり、「ドッチラケ」となっ
1977年のドラフトで東京メッツは、女子選手水原勇気を1位指名した様々な難関を乗り越えてプロ野球史上初の女子プロ野球選手が誕生しかし女子選手だけに球威やスタミナでは男子選手に劣る水原そんな中、水原の教育係武藤は夢からヒントを得た新魔球ドリームボールの開発に乗り出すだが、メッツの至宝岩田鉄五郎はそれに難色を示すのであった「よし、調子が出てきたぞ」バッティング練習に励む帯刀「ドアホ何が調子が出てきたじゃ帯刀っ」い・・・岩田さん・・・「わしはお前に水原の教育係やれと言
本日(10/21)は、今から40年前の、1980(昭和55)年10月21日、巨人の長嶋茂雄監督が、突如、監督退任を発表した日であり、巨人の「第1期長嶋監督時代」が終焉を迎えた日である。ここ最近、私はこのブログで、何度か書いている事であるが、この時の長嶋監督の「退任」とは、事実上の「解任」であった。つまり、長嶋茂雄は、巨人の監督をクビにされたのである。これも、何度か書いて来ている事ではあるが、この時、長嶋監督は、腸が煮えくり返るほど、悔しい気持ちでいっぱいだったが、長嶋監督は、