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今回は、大和王朝に先興していた奴国王家の王や御子に付けられていた名前の「主」や「耳」が神武東遷以降、「根子」に変わっているという生野先生の考察です。生野先生は、「根子」とは「奴国王家の子孫」という意味ではないかと考えてあります。「記紀」では、奴国の「な」の名が消されているが、それを「ね(根)」に書き変えていると思われる。<その理由>まず、音韻上、ナ行の「な」と「ね」が相通(音便)することと、「魏志倭人伝」にある「次に奴国有り。此れ女王の境界の盡(つき)る所」の記事を利用して、そ
前回は後半部分で集中力が切れてしまい、今日仕切り直しです(長い文章の書き込みは、再訪者数が少ないような気がします)さて、言い訳は止めて、今回はダミー天皇の中で「倭根子(日本根子:やまとねこ)」が付く「孝霊・孝元・開化」の三人は、神武が東遷した時に倒した「奴国王家の人たち」だったという生野先生の考察内容です。奴国との戦いに勝利した神武は、彼らを迫害せず、むしろ積極的に彼らをヤマト王家の中に「根子」として迎え入れたと思われる。それは、奴国王家の権勢と影響力が大きかった為でもあり、また
今回は、生野先生が津田左右吉氏の説とは正反対の「神武こそ実在の人物で山幸彦はその分身だ」とされる理由の後半部分の説明です。④神武は天孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の御子で、その親子の間に記定されている「山幸彦と鸕鷀草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)」の親子は、「神武と綏靖」親子の分身と考えられる。つまり、「山幸彦=神武」、そして「鸕鷀草葦不合尊=綏靖」という関係です。なぜ、「記紀」は「瓊瓊杵尊❶と神武❷」親子の間に「山幸彦②と鸕鷀草葦不合尊③」親子を挿入したのか?それ