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その1の記事で、奥能登は人的余裕がなく支援のマッチングすら独自にできず、石川県の統括する支援ボランティアに頼っていると記した。たしかに石川県や全国社会福祉協議会に問い合わせたところ、ボランティアは石川県で1本化していることを確認した。前泊型、現地集合型、ボラバス型だ。ところが石川テレビの報道ではそうでもないらしい。【石川県内ニュース阪神・淡路大震災など経験…能登の被災地へ兵庫からボランティア乗せたバスが出発「4月中旬は数が谷間に」】と題して、特別な支援が行われていた。↑石川テレビ報
サクラですmimiケン地方の桜は散りはじめましたどこにもお花見に行けなかった代わりに、家のお向かいの桜をしっかり堪能この桜は私と同じくらいの歳お互いちょっとオババだけど、毎年冬を乗り越え綺麗に咲く桜に元気をもらってますまた来年楽しみにしてるよ~朝日当たりがいい流し台に座り込むケンちゃんふきんの上はやめて~石油ストーブを片付けたら朝はまだ寒かったかな?温風ヒーターよりストーブのぬくぬくが好きなんだよなぁストーブさんもまた来冬ねアルバム整理で出てきたくだらない写真達焼きた
4月10日今日のお客さんは常連さんの大阪からの矢野さん。先月13日にも来てもらって赤野井沖でシャッドドラッギングで引いてもらったが「相変わらず渋いですよ(笑)」でスタートしたが、南東強風で南湖へは入らず風裏の、、、、しばらくして「下野さんボートが違いますやんか」と顔見知りのバス釣り大好き若い漁師さんが、ウナギの筒を上げに来られて世間話ジジイガイド。ホントに北の漁師さんは南湖の漁師と違って真面目に働かれる。ジジイが死んでからでもエエから琵琶湖の漁師さん達がこの若い漁師君達の様な柔
宮城県東松島市からやってきた『おのくん』『おのくん』は東日本大震災で被災した東松島市「小野駅前応急仮設住宅」で、お母さんたちが復興を願って一つ一つ靴下で手作りしたことから誕生しました。東松島市の支援を続けた「災害ボランティア愛・知・人」とのご縁で、飯田町の愛・知・人ベースに届いた『おのくん』を見ると和みます。「がんばろう珠洲」とエールを送っています。その飯田町のベースから歩いて飯田小学校に向う途中で見かけます。達筆で力強い。気持ちが伝わります。ガソリンスタンドで。
2021年7月21日能登半島を一周するドライブのつづきです。窓岩ポケットパーク~曽々木ポケットパーク~真浦ポケットパークへと車を進めた後、道の駅、すず塩田村塩の資料館にやってきました。珠洲(すず)の仁江海岸では、昔ながらの製塩法の「揚げ浜式製塩法」を続けてきました。道の駅にもなっているすず塩田村には、体験型施設「奥能登塩田村」がありました。「揚浜式製塩法」とは、平安時代の終わりから江戸時代にかけて行われた製塩方法です。当時土木技術が未発達だったため、塩田は