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2020/07/17(Fri)炭火で焼く肉(魚も)がメチャクチャ美味いんで七輪欲しかったんやけどね~。家の中で炭火焼肉したら怒られるし、庭でやるにも狭いしな・・・って感じやったんやけど、ガレージ出来たんで七輪買っちゃいました。夢のガレージBBQやで〜!!買うからには良い七輪が欲しいなーちゅうことで国産七輪について調べてみたんやけど。かつて七輪の三大産地と言われていたのが、愛知県の三河地方、石川県の能登半島、香川県なんやそうな。今では七輪の需要が減り廃業が相次いで、三河
「令和6年能登半島地震」の復興を祈念いたします。(2024.4.6追記:のと鉄道は全線で運転を再開しました)今回の投稿の前半部分は1995年11月23~24日に能登半島を旅したときの記事です。1995年11月当時のメモ書きの旅行記を、そのまま転記します。1995年ですのでフイルムカメラのNikonF90で撮っています。のと鉄道は、JR(旧国鉄)から第三セクタ-に転換した鉄道で、石川県の能登半島を走っています。和倉温泉から穴水を経由して輪島に向かう七尾線(48.4Km)と、穴水から蛸島に
その1の記事で、奥能登は人的余裕がなく支援のマッチングすら独自にできず、石川県の統括する支援ボランティアに頼っていると記した。たしかに石川県や全国社会福祉協議会に問い合わせたところ、ボランティアは石川県で1本化していることを確認した。前泊型、現地集合型、ボラバス型だ。ところが石川テレビの報道ではそうでもないらしい。【石川県内ニュース阪神・淡路大震災など経験…能登の被災地へ兵庫からボランティア乗せたバスが出発「4月中旬は数が谷間に」】と題して、特別な支援が行われていた。↑石川テレビ報
サクラですmimiケン地方の桜は散りはじめましたどこにもお花見に行けなかった代わりに、家のお向かいの桜をしっかり堪能この桜は私と同じくらいの歳お互いちょっとオババだけど、毎年冬を乗り越え綺麗に咲く桜に元気をもらってますまた来年楽しみにしてるよ~朝日当たりがいい流し台に座り込むケンちゃんふきんの上はやめて~石油ストーブを片付けたら朝はまだ寒かったかな?温風ヒーターよりストーブのぬくぬくが好きなんだよなぁストーブさんもまた来冬ねアルバム整理で出てきたくだらない写真達焼きた
昨夜泊まったゲストハウス建物が被災しながらも、営業してくれたおかげで、奥能登に来る事ができた。ここ以外に珠洲で一般に泊まれる宿は無いかもしれない。宿があるのは狼煙(のろし)という、半島の先端今日はこどもの日。一年前の今日、珠洲で震度6強の地震があった。地元の人は珠洲地震と読んでいるらしい。3日目はここからスタート珠洲の寺家という地区。目の前が海で、ここも津波被害があった。本堂が全壊隆起した海岸その後、前日にも行った津波被害のあった鵜飼地区へ。全壊の寺院を訪問寺は手付かずだ
2021年7月21日能登半島を一周するドライブのつづきです。窓岩ポケットパーク~曽々木ポケットパーク~真浦ポケットパークへと車を進めた後、道の駅、すず塩田村塩の資料館にやってきました。珠洲(すず)の仁江海岸では、昔ながらの製塩法の「揚げ浜式製塩法」を続けてきました。道の駅にもなっているすず塩田村には、体験型施設「奥能登塩田村」がありました。「揚浜式製塩法」とは、平安時代の終わりから江戸時代にかけて行われた製塩方法です。当時土木技術が未発達だったため、塩田は
今朝8時に七尾市を出て、下りのみ復旧したばかりの里山海道を通って穴水へ。穴水で1件訪問。お世話になったご主人は数年前に亡くなっていて、1人で寺を守る奥様が出てきてくれた。家の中はぐちゃぐちゃ。けど、本堂が建ってるだけでありがたいと、息子夫婦の説得にもなかなか応じずに穴水で生活している。足早に珠洲へ向かう途中、崩れた民家の隣お世話になった住職の寺巨大な本堂は何とか建っているが、全壊判定が出ている。手前の鐘楼は全壊。そして、掲示伝道にはこの言葉に勇気をもらった。珠洲に入って鵜飼