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長澤七右衛門という武士の名が伝わるのは、慶長19年(1614)、牢人だった彼が家族を連れて大坂へ入城したことに始まります。彼のそれまでの経歴は不明ですが、このとき大坂へ入城した多くの牢人衆と同様、関ヶ原の合戦(慶長5年:1600)で没落した大名の家中だったか、その前後の騒動で禄を失った侍だったでしょうか。いずれにせよ、妻子を抱えて浪々のすえ行き場を失っていた、いわゆる「食い詰め牢人」の類とみて間違いはなさそうで、当時、好条件で牢人を集めていた大坂城は、彼らのような人々にとって願ってもない
豊臣秀頼は、大坂冬の陣の結果、なんで堀を埋めたかっていえば、アレは和議ではなく、事実上の降伏だからです。城方が「勝った」というのは幻想です。局地戦で侵入を阻んだからといって、永久に籠城することなど不可能です。いくら頑張っても「徳川を裏切ってくれる豊臣恩顧の大名」なんて、もう誰もいない、という現実が分かったんです。だから、大坂城は武装解除する。もう幕府には決して逆らわない、だから武装は全部捨てる。これしかありません。であれば、堀を埋めるのもあたりまえ。当然、「牢人の召し放ち」も条件に含まれ