ブログ記事1,662件
臨終の時の大切なる事「大罪がありながら告白の出来なくなった信者にとって、完全な悔い改めがなければ塗油の秘蹟は必要です。」「病者の周りにいる信者は、病人の為にこの事を配慮する事が大切です。死に臨んだ信者が、司祭がいなくて秘蹟を受けられない場合は、犯した罪について完全な悔い改めを起こし、全てを天主の御旨に任せなければなりません。また周りの信者も病人を助け励ます事が必要です。」(カトリック要理)<臨終の罪人の回心>1920年教会認可1901年のポーランドのクラクフで
煉獄の夜明け煉獄での初日の朝が明け始めました。その情景は次のように描写されています。陽はすでに水平線に姿を見せた、その子午線の頂点はエルサレムの上を通り、夜はそれと逆の空をめぐって、天秤宮(てんびんきゅう)の星を従えガンジス川から外へ去った、(この星は昼よりも夜が長い間は夜の手元を離れる)。こうして私がいた煉獄の島では、美しい曙の白くほの朱(あか)い頬が、時とともに燃えたつような柑子(こうじ)色に変わっていった。(『煉獄篇』第2歌1~9、平川祐弘訳)現代人
煉獄へ向けての旅立ち地獄の脱出に成功したダンテとウェルギリウスは、次の目的地「煉獄(Purgatoria)」に向けて旅立ちます。地獄に隣接して煉獄があるわけではないので、ウェルギリウスは、「さあ、立ち上がれ(Lèvatisù・・・inpiede)」と叱咤激励した後で、次のような謎めいた言葉を告げました。道は長く、道は嶮しい。それなのにもう日の出から1時間半経った。(『地獄篇』第34歌95~96)laviaèlungae‘lcamminoèmalv
ダンテという詩人を知っていますか。『神曲』という叙事詩を読んだことがありますか。こんな質問をすると、一昔前ならば「無礼極まりない」といってお叱りを受けたことでしょう。『神曲』といえば世界の最高傑作ですから、余程の無教養な人を除いて、知らない人はいませんでした。しかし今日では、大学の文化系の学生諸君に尋ねても、ごく自然な質問になっています。シェイクスピアを知っている人は多いのですが、ダンテを知っている人は驚くほど少ないものです。ましてや、日本語訳でも『神曲』を読んだことのある人は絶滅危
煉獄山煉獄が山であることは、疑う余地はありません。私のブログにお付き合いくださって『煉獄篇』第21歌(第5環道)まで読み進んでくだった読者の皆様は、すでに煉獄の色々な山の姿を見てきました。『煉獄篇』の中の山の記述は、枚挙にいとまがありません。しかし、山は目の前に聳えているのですから、地獄を脱出して煉獄に着いた巡礼者ダンテにも、上を見上げれば、その形は一目にして分かったに違いありません。一方、私たち読者がその事実を知るのは、そこで出会った管理人カトーが、「最も楽な登り道でこの山を登
炎の中のオデュッセウスダンテの要望に応えて、ウェルギリウスは火の中で燃えているオデュッセウスとディオメデスの側に歩み寄りました。そして、「二人して一つの火の中にいる貴君たち(voichesieteduedentroadunfoco)」と呼び掛けました。そして「その者は漂流して、どこへ行って死んだのか(dove,perlui,perdutoamorirgissi)、貴君たちのどちらでも良いから話してくれまいか(l'undivoidica)」と懇願しました
「クリミナル」と「イデア」これって、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」がモチーフみたい。テミンちゃんが、「THESTAGE」の中で、普通に言ってくれてましたねこの「デミアン」は、BTSのRMさんとかジョンくんの愛読書と言われています📕「2KID」は曲ではまだ子供の頃の恋愛の話だけど「デミアン」では、序盤はまだ10才だしデミアンと主人公のシンクレールの二人の子供という意味なのかな?ヘルマン・ヘッセ(1877
ダンテは、煉獄における浄化をすべて成し遂げ、第7環道からエデンに登る岩の階段で一夜を過ごしました。そして、夜明けと共に朝陽を正面に浴びながら、エデンの西側から楽園内へ入りました。さわやかな緑濃い神の林が、新しい日の光を目にも優しくやわらげていた。この深林(しんりん)の内や外を歩きたいという気分にはや誘われて、先生の言葉をそれ以上待たずに、この土手を離れると、私は野原をゆっくりとゆっくりと歩きはじめた。足もとからはいたる処(ところ)にふくよかな薫(かおり)が漂ってきた。(『煉