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源実朝の上洛の思いは建保四(一二一六)年三月二四日に届いた知らせでさらに高まった。この日京都から届いたのは、一〇日前の三月一四日の夜に坊門信清が亡くなったという知らせである。坊門信清の死の知らせを受けた後鳥羽上皇はただちに石清水八幡宮から戻るとして周囲を当惑させたというのがこの書状に記載されている内容であった。後鳥羽上皇から見て坊門信清は、叔父であると同時に岳父でもある。慌てたとしてもおかしなことではない。この知らせを聞いた源実朝は上洛を求めた。坊門信清は源実朝の正妻の実父であり、また、朝
・・・・・・・っということで、船に多少興味がある人なら知っていることばかりです。北前船が代表例ですが、「和船」は四角い帆です。海外の船(洋船とします)は三角帆(四角い帆との組み合わせも)です。和船は基本的に「追い風」でしか運用できません。洋船は向かい風でもジグザグに風上に向かっても運用できます。もうひとつ和船の大きな特徴は船底が平で、箱のような形をしています。一方洋船は竜骨(キール)を基準に肋骨状にフレームを作り、それに板を貼り合わせて造られています。日