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スカステで2000年宙組を見たのだ芝居は、『望郷は海を越えて』ショーは、『ミレニアム・チャレンジャー』波線上は、和央ようか花總まり湖月わたる樹里咲穂大劇場のトップコンビお披露目公演でしたかねたかこ(和央ようかサン)が退団サヨナラショーでもミレニアムは歌ってはったわいもこ的には、樹里ちゃん(樹里咲穂サン)の芸達者ぶりとわたる(湖月わたるサン)の男っぷりがお好みでした出雲綾さんの妖怪もね(笑)※ミニスカートでエトワールもしてた!映像はN
香寿たつきの退団発表後、次の星組トップは“新専科”以前に星組にいたことのある湖月わたるか彩輝直のいずれかと言われたが、某演出家先生お気に入りといわれた彩輝が有利との見方が大勢だった。ところが蓋を開けてみると意外にも次期トップは湖月に決まり、相手役はやはり専科の檀れいとのこと。この人事はかなりの衝撃をもって迎えられ、誰もがこのコンビは短期で退団し彩輝か安蘭けいが次のトップになるだろうと考えた。現にある新聞社系の宝塚評コラムでは、『このコンビは長くは見られないので、ファンは心して観るべし。
和央ようかは雪組時代に二番手時代からトップにかけての一路真輝の役を新人公演で数多く演じて雪組の御曹司として順調に路線に乗り、轟悠トップの時の二番手になっていた。そして新設宙組トップの姿月あさとに次ぐ二番手として横滑りし、姿月の退団によって次のトップに昇格した。大劇場披露は2000年(H12年)「望郷は海を越えて/ミレニアム・チャレンジャー!」で、相手役としてコンビを組んだ花總まりにとっては、一路真輝、高嶺ふぶき、轟悠、姿月あさとに次ぐ5人目のトップとなったが、長身の和央と花總は舞台映えのするコ
昨日は私の大好きな真琴つばさ(マミ)さんのTV出演が嬉しかったな。ひなまつりパーティーも楽しかったのう。ということでブログをほったらかして寝ちゃったRicoですが。いやいや宝塚ファンって大変ですね。まず最も人数の多い天海祐希さんのファンだけでも分裂していてその中で一番大きな派閥がたぶん60歳前後の『保守的な雪組ファン』かな。歴代で最も宝塚歌劇団に優遇された天海さんを崇拝しながら同期の姿月あさとさんや、天海ファンを公言した後輩や成績のいい人たちのみを支持する層だよね。天海ファンと
昨日の記事にもちらっと触れた宙組発足25周年記念スペシャルコンサート「明日へのエナジー」、チケット一般発売日。秒殺にて撃沈…。当時のトップ3、姿月あさと、和央ようか、湖月わたるらが出演。まぁハナフサさん(花總まり)がいれば完璧だったのですが、さすがにそれはないよね、っていう。朝日新聞のインタビューでズンコ(姿月)が「(このコンサートは)私の生前葬でもある」と言っていて、「じゃあ生前葬常習犯の構成・演出/岡田敬二氏と『W生前葬』だねww」なんて思って楽しみにしていたのですが…。あえなく撃沈…
町田くんの世界加齢なる一族、シアタークリエにミュージカル「町田くんの世界」を観に行きました♪物静かでメガネ。そんな外見とは裏腹に成績は中の下。アナログ人間で不器用。なのに運動神経は見た目どおりの高校生、町田一(川崎皇輝)。弟と妹4人の世話をしながら間もなく出産する母親(湖月わたる)を支え、家族全員から愛されている。ある日、授業中に怪我をしてしまった町田くんが保健室に行くと、そこに授業をサボっていた同級生の猪原(長澤樹)さんがいた。猪原さんは彼の傷の手当てしてくれたにも関
雪組編で述べたように、旧東京宝塚劇場では1年の半分しか宝塚歌劇を上演しておらず、大劇場の全公演を東京では上演できない状態だった。そのために新宿歌舞伎町の(現在ゴジラが屋上にいるビルのところにかつてあった)新宿コマ劇場で公演したこともあったのだが、当時の歌舞伎町は今とは比べ物にならないほどに猥雑で危ないエリアだったため、若い女性が主な観客となる宝塚歌劇にはふさわしくないとして1981年で終了となった。しかし東宝劇場も老朽化が進んできたため、1993年の大劇場建て替えの後に今度は東宝劇場を建て替え