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酒列磯前神社から車で約15分、那珂湊の反射炉にやって来ました。☆駐車場すぐ脇の山上門はひたちなか市の指定建造物。もともとは水戸藩江戸小石川邸正門右側の門。反射炉とは繋がらないけど、現在残存する唯一の建築物。当時の陸軍省から払い下げを受け移築。反射炉は9年前に行った韮山の反射炉以来です。那珂湊の反射炉は1855~57年に建造されたものの、1864年に元治甲子の乱(げんじかっしのらん)(*1)で破壊されました。現在の反射炉は、1937年に復元された模型。
征夷大将軍の徳川家は江戸に幕府を置いたが、親藩の徳川御三家の紀州家、尾張家、水戸家をそれぞれの地に創設したのか?疑問に思っていた。実は、紀伊の和歌山、尾張の名古屋、常陸の水戸あたりは、徳川家のルーツである東国の武士と気性と価値観が合わない人々が特に集中し、争いが多発する恐れがあったので、徳川家自ら支配せざるを得ない地であったと考えられる。その他、一向宗の本山の石山本願寺の砦であった豊臣秀吉の大坂城は幕府直轄にしたのであった。また、前田利家に加賀100万石と言う大藩を任せたのも、反幕府勢力に常
小塚原回向院に「寒緑先生」と刻まれた墓がありますが、寒緑先生とは水戸藩の尊王攘夷派の志士で安政の大獄で処刑された茅根伊予之介の事です。文政7年(1824)に生まれた茅根は、藩校弘道館の館長や奥右筆頭取などをつとめ、主君徳川斉昭が幕府により隠居させられた際にも私塾を開き多くの人材を世に送り出しています。茅根は「戊午の密勅」事件において勅書が朝廷から水戸藩にくだるように画策したとされ、安政の大獄により捕らえられると安政6年8月27日に処刑されています。享年36歳。小塚原回向院: