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今日はさ、お昼ぐらいから仕事だっちゅうのに朝早くから家を出て一通り遊び、遊ぶときだけ元気な私↓😜今日のお昼の↓『道の駅→風景印→歴史資料館♪』遊んでます岐阜県加茂郡富加町にいますまずは道の駅風景印もらってー郷土資料館を見ていたらー、おそらく子ども向けに用意されているクイズをやっちゃって、全問正解した…ameblo.jp風景印をいただいた郵便局の向かいにお酒の資料館を偶然見つけて入ろうとしたら…休みっ!!!!!!!!しゃーない…調べてない私が悪いそのまま予定していたこちらへ
米子駅から広域生活バスに乗車して安来市立歴史資料館に向かいます。運転手の方が安来市立歴史資料館に行くならここで降りて道順まで教えてくれました。うーん、逆光とりあえず、安来市立歴史資料館玄関にスタンプがありました。日本百名城65.月山富田城です。ここからはバスで安来駅へ向かいました。が、バスが遅れ気味でギリギリで安来駅の駅を楽しむ時間がありませんでした。安来(12:56)発JR山陰本線浜田行きで松江(13:19)までの乗車でした。松江駅で昼食(4)へ続く
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。豊橋市小松原町字坪尻にある、小松原山東観音寺(とうかんのんじ)です。飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧であった行基(ぎょうき)がこの地を訪れた際に熊野神社のお告げを聞いて馬頭観音像を刻み天平5年(733年)に開山したと伝えられています。境内には国の重要文化財の多宝塔があり、また旧暦2月の午の日には「馬頭観音二の午祭」が開催され牛馬の飼い主らが祈願を行います。絵馬は「駒曳き猿」。馬の轡(くつわ
日本100名城の一つ広島城別名は鯉城豊臣五大老のひとり毛利輝元が築城秀吉の側近で築城の名人と言われた黒田官兵衛も関わったそうな二の丸の表御門原爆で石垣を残して倒壊しましたが復元されていて平櫓の中を見学することができます狭間と呼ばれる穴ここから火縄銃や弓矢で攻撃したんですね天守に飾られているのと同じ鯱広島針ニードルセットフランス刺しゅう針縫い針9本、待ち針6本、スレダー(糸通し)1枚入MR57|つくる楽しみまち
資料館では、江戸時代の旅人が持参していた品々を陳列しています。その一部をご紹介します。「小田原提灯」コンパクトに折り畳みできるように工夫された提灯です。川越富洲原駅西にあるまちかど博物館「小田原提灯参考館」からお借りしているものです。高級品から普及品までさまざまなものがありました。「煙草入れと煙管(キセル)筒」金具の細工などが見どころです。「印籠」腰に下げる三重または五重の長円筒形の小箱。箱には蒔絵(まきえ)、堆朱(ついしゅ)、螺鈿(らでん)などの細工が施され、緒には緒
資料館の近現代コーナーには懐かしい(昔見たことのあるような)品々が展示されています。今回登場するのは、「ホーロー看板」です。ホーロー(琺瑯)看板とは、主に屋外で使用される金属製の看板で、光沢のある塗装や印刷が施されています。明治21年(1888年)から明治22年(1889年)頃に誕生し、明治・大正・昭和中期まで商品宣伝手法の主流として活躍しました。しかし、商品サイクルの加速化や住宅事情、新聞やテレビなどのメディアの発達に伴い、昭和50年(1975年)頃より徐々にその姿を消して
野干平(やかんべい)この鶴は、妹背山と同じ紙の切り方で、同じ様に折り、頭の向きを左右反対に折ります。【狂歌】野干平つれて狐の嫁入りかな時雨もしたり日も照りにけり<注>野干…狐の意味狐の嫁入り…日が照っているのに雨が降っている天気の事を言う
妹背山(いもせやま)固く結ばれた夫婦や恋人同志の象徴として折られた形です。<狂歌>結びては妹背の山の中に折れる吉野の紙のよしや離れぬ<注>妹背…男女、夫婦、兄妹、姉弟の意味吉野の紙…吉野地方で作られる極めて薄く柔らかい紙
戸塚元町別道画面の右端、柏尾川の上にかかる橋の手前には、「左りかまくら道」の文字が書かれた道標が見えます。江戸から10里半(約41キロ)の宿場である戸塚は、鎌倉に至る道への分岐点でもあったのです。一方で、「こめや」と書かれた看板がかかる茶店の軒端には、参詣者の集団が旅の途中で残していく印「講中札」が下がっています。ひょいと馬から飛び降りる男と、それを迎える茶屋の店員、馬の傍らで笠の紐を解こうとしている女性など、長旅の合間に人々が見せる一瞬のひと
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。東京都江東区亀戸3丁目にある、亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)です。菅原道真公をお祀りする亀戸天神社は下町の天神さまとして親しまれています。古くはご本社にあたる九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されていましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称されました。絵馬には、春と夏を分けるといわれている藤の花房が描かれて