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「中津川」と言うと岐阜県中津川市を連想するが、これは東海道の鈴鹿峠南方にある鈴鹿川の支流のことである。この付近に多くの滝があることは「鈴鹿の山と谷6」西尾寿一著でわかるが、この大滝が注目されるようになったのは「三重の滝紀行」の記事と思われ、もう20年の時が流れた。私は今回で3回目となる。駐車場所は今も小屋付近が無難であるが、工事が終了すれば、あと1km奥まで行くことも可能かもしれない。この日は雨後であり、大迫力であった。多くの方は手前から写真を撮られるが、もちろん、猛者は上段に行っています
新静岡から静岡鉄道に乗っとります。柚木を出発。並走する国道1号線も交通量が多いですね。その向こうには富士山。長沼車庫には一編成だけ残る1000形がいました。この車両も2024年6月30日で引退が予定されています。静岡鉄道は土休日の終日と平日の昼間は8分間隔で運転されていて、複線なのでよく電車がすれ違います。古庄~県総合運動場間で東海道新幹線と東海道本線を乗り越えます。富士山。何度見ても素晴らしいと思います。狐ヶ崎~入
五反田という街は江戸時代は花街でした。江戸に入る前に参勤交代の大名行列が、藩の下屋敷に到着して休憩し衣服などを整えてから上屋敷に赴き、江戸城に挨拶にあがるのであります。五反田には中原街道があり、すぐそばの東海道には品川の街があります。江戸の手前の下屋敷に到着した諸氏は、休憩しとりあえず遊びに行くのでした。国元に帰る際も同じで、江戸を離れるので遊びに行くわけです。五反田は未だに怪しげな一角があり、デリヘルなどが盛んなのであります。五反田駅の近くの賑やかな通りにはそれを商いにして
息子紹介✨不器用でマイペース。生活全般スローリー。3月末生まれ。ゲームと漫画大好き。学習の遍歴小1の1月から浜学園最レ算数をWEBでスタート。2年からマスター国語もとるが数ヶ月でリタイア。小3夏から公文算数スタート、小4秋から国語も始め2科継続中。小5現在、浜学園最レ算国、マスター理科。Z会中学受験講座社会スタート。習い事現在スポーツ週1×3、ピアノ週1、隔週で文化系一つ。ゴールデンウィーク終了✨久しぶりに長めの旅でしたが、怪我も病気もなく無事に済みました帰りの飛行機もあ
🌿🌿🏡🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🏡⑤鎌倉街道下道から東海道に合流する当初の予定では、横浜市南区の南太田駅を出発してドンドン商店街のある南太田保土ヶ谷線という道をすすみ、その道を使って山を越えて保土ヶ谷に入るつもりであったところが商店街は、保土ヶ谷区の直前にあったY字路を左方向に続いていたので、南太田保土ヶ谷線を離脱して商店街があったと思われる麓道を選択したきっちりと計画を立てて散策する人間からしたら、あり得ないようなテキトーな路線変更だが、僕
ネタが枯渇し始めてきてやばめでとりあえず近場で・・・。あと一部タグ追加し見やすくしました。ZG15Bです。ZG15B5向日町駅このコンテナどこかで見た・・・って思ったあなたはもう常連の人です。UG15D-25新鶴見信号場過去のリンクも張っておきます。その1『UG15D』今回はUG5Dです。ジャンル的に新タグ作るものなのですが、とりあえずで…。UG15D-16南武線浜川崎駅雨で、かなりブレブレですみません・・・。所有者は…ameblo.jp
東海道池鯉鮒(現在の知立)宿。知立神社の境内社。親母(うばがみ)神社。主祭神のウガヤフキアエズさんの母神・豊玉姫命。↓↓合祀殿。アマテラスさん。↓↓小山天神社。オオクニヌシさんと共に出雲の国造りをした、薬学の達人でもある「少彦名命(スクナヒコナノミコト)」。↓↓以上の三社は拝殿&本殿の並びに。↓↓日本書紀(上)全現代語訳全現代語訳(講談社学術文庫)[宇治谷孟]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}日本書紀(下)全現代語訳全現代
資料館に入っていただくとあちらこちらにたくさんの連鶴たちが出迎えます。これらは、指先の器用な語り部横田さんの作品の数々です。連鶴は、江戸時代お隣り桑名の長円寺の住職であった魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)によって考案され、その折り方は桑名市の無形文化財に指定されているほど奥の深い作品です。<連載予告>今回、横田さんにお願いして、新たなシリーズとして「桑名の千羽鶴49羽とその鶴に詠まれた狂歌」をブログにてご紹介させていただく運びとなりました。どんな鶴たちと出会えるの
楽々波(さざなみ)四羽繋がった鶴の頭の折り目や、背中の折り目など山の形の折り線がいくつも重なって、波のように見えます。【狂歌】唐崎の松は花よりおぼろにて晴れぬ思いの心さざなみ〈注〉唐崎…琵琶湖西岸の景勝地で、大きな一本松があり「唐崎の一本松」と呼ばれている。楽々波…細波、楽浪とも書き、細かく立つ波を言う。
愛知県の豊田市もしくは知立市にあったとされる慶雲廃寺(けいうんはいじ)。3月中旬でしたが、クルマでの用事のついでに、慶雲廃寺の候補地のひとつである豊田市駒場町朝日の「今上駐蹕之所(きんじょうちゅうひつのところ)」と、慶雲廃寺の後身寺院であるという知立市八橋町の無量寿寺を訪れてみたことがあります。早咲きの桜と今上駐蹕之所の石碑両方とも初めて訪ねた場所でしたが、早咲きの桜が青空に映えて春の到来ムード満点。さらにこの辺りは鎌倉街道が通り、在原業平にまつわる史跡が点在していて、なかなか
前日は大井川鐡道を堪能し、その後は静岡鉄道にも乗って、ホテルマイステイズ清水で一泊しました。さて、旅の最終日ですがまだ東海道を楽しみながら、最終目的地の舞浜に向かいます。旅三日目、5月15日。朝7時に起床。どんよりとした空模様ですが、天気予報では雨は降りそうにないらしいです。ホテルはバイキング形式の朝食。味はまぁまぁで良かったんですが、スタッフのオバハンの喋り声がうるさかったのが残念でした。コロナ禍で宿泊客は静かに食べてるのにね。朝食を食べてからかなりゆ
武将名・行動力・能力・家臣団クエスト必要か否か◎×廻国異能の者や限定武将などは色分けしてあります。限定武将はイベントや合戦時に出現した武将、姫で、基本的には現在入手不可です。東海道1(常陸、下総、上総、安房、武蔵、甲斐)常陸25人蘆名義広・52・63・◎江戸忠通・63・52・×小田氏治・31・38・×小田友治・33・49・×小田守治・26・25・×岡本顕逸・20・69・×岡本禅哲・12・77・◎小貫頼久・30・61・×車斯忠・63・51・◎佐竹貞隆・46・
東海道。池鯉鮒宿の知立神社。その境内社へ。こちら、人神人(ヒトシンド)君が参拝しようとしているのは、秋葉社。ホノヤギハヤヲさん(=カグツチさん)。(火防)↓徳川家康の側室の1人・“於万の方(おまんのかた)”の像。↓↓↑↑家康次男・結城秀康の母。知立は於万の方の生まれ故郷だそうだ。こちらは、神馬(しんめ)。↓↑流石にこの中には、本物の馬はいなかった。日本書紀(上)全現代語訳全現代語訳(講談社学術文庫)[宇治谷孟]楽天市場${EVENT_LA
武将名・行動力・能力・家臣団クエスト必要か否か◎×廻国異能の者や限定武将などは色分けしてあります。限定武将はイベントや合戦時に出現した武将、姫で、基本的には現在入手不可です。東海道2(相模、伊豆、駿河、遠江、三河)相模21人安藤良整・20・51・×石巻康敬・31・42・×板部岡江雪斎・12・84・◎上杉景虎・42・24・×太田氏房・28・34・×梶原景宗・58・49・×内藤綱秀・39・41・×垪和康忠・36・69・◎風魔小太郎・79・15・×北条氏勝・47
東海道七里の渡しを令和の船で渡っる七里の渡しクルージングに参加してきました!これは愛知県の東海道を歩く愛知ウォーキング街道巡りクラブのイベントです。■七里の渡しとは■七里の渡しとは、東海道宮宿(名古屋市熱田区)~桑名宿(三重県桑名市)を結ぶ海路のこと。東海道は江戸~大阪を57の宿場で結んだ街道ですが、全て陸続きではなく、途中で途切れた場所がいくつかあります。七里の渡しは東海道最大の海路で、約七里(28km)の海を船で渡る、いわば海の道です。今回はこの海路を船で渡ってきました。■江戸時代
資料館2階ホールに「自在鉤」が展示されています。自在鉤は、いろりの火で煮炊きするための鍋や釜をかける道具です。その鍋や釜を自在に上げたり下げたり、また回転させる仕掛けがあることから、自在鉤と呼ばれています。自在鉤に取り付けられている魚は「小猿あるいは横木」と名付けられた自在鉤の部品のひとつです。写真のように、つり縄をつけて自由にかぎの高さを調節できるようになっています。魚の形をしているのは、魚は水に通じるということで火事を避けるお守りの意味があります。また、魚には瞼がないことから眠
自宅(5:23)→🚃→豊田市駅(6:00)三河八橋駅着(6:18)無量寿寺の杜若。平安の歌人、在原業平が「かきつばた」を句頭に入れて詠んだと言われる杜若の名所です。知立神社の狛犬さんは垂れ耳タイプでツノありでした。ハナショウブカキツバタとハナショウブを連続で鑑賞したので、違いがよくわかりました。カキツバタはシュン!とした感じでハナショウブはほわんとした感じです。知立発(8:17)→🚃→神宮前(8:31)携帯の充電が30%を切る。でも大丈夫👌バッテリー持ってるもん!…え?
今日はNゲージ鉄道模型、東海道・山陽本線の急荷36レを再現してみました。’83年頃、荷物列車の編成表情報と自分で撮影した写真から読み取れる内容をアレンジして組成しています。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。今回は東海道、山陽本線の急行荷物列車36レを再現しました。鉄道ファン誌’82-10の編成表に合わせる形で荷物車両を組成していますが、編成表は8両の所2両増結の10両編成です😁。牽引機はEF58150(KATO3049-2)を選びましたが、自分としてちょっと物
今日はNゲージ鉄道模型、KATOの荷物車両=マニ44とマニ50の話です。増備車の整備をしようと思ったらMicroTrainsカプラーが足りなかったり..暫く経っちゃいましたがようやく整備を行いました。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。DCCレイアウト上常設になっている東北方面の荷物列車3編成とは別に、東海道、山陽方面の荷物列車を組成できるようにしようと追加増備したマニ50とマニ44計3両です。ようやく整備をやりました。当初は東北方面の荷物車両を組換えのつも
〜モグモグ備忘録〜2022年4月上旬の滋賀モグモグレポでゴザイマス〜〜〜(-ω-)大津の旧東海道沿いにある人気の老舗和菓子店御饅頭処餅兵(もちひょう)創業は宝暦年間(1751年〜1763年)と約270年続く、滋賀で歴史ある老舗和菓子店なんデスゾ(・ω・)/うさぴょんお子ちゃま時代は、町のお菓子屋さんと変わらへんような細々と店をやってるカンジやってんけど旧東海道は人通りが少なく閑散としてるんで、店前を通り過ぎる度に繁盛してるようには見えへんかったのダヨ←失礼なっだがしかーし現
【ニッポン城めぐり】の武将図鑑です。武将名・行動力・能力・家臣団クエスト必要か否か◎×廻国異能の者や限定武将などは色分けしてあります。限定武将はイベントや合戦時に出現した武将、姫で、基本的には現在入手不可です。東海道3(尾張、伊勢、志摩、伊賀)尾張60人浅野長政・48・64・◎池田恒興・70・42・◎池田輝政・59・67・◎お市の方・53・73・×岡田善同・50・76・×奥村永福・71・68・×織田有楽斎・13・18・◎織田信雄・30・11・◎織田信包・45・34
久里浜出発です。#関東#東海道#ハンターカブ#断続的日本一周#バイク旅
静岡市まだあります。駿府城家康公の甲冑東海道膝栗毛のやじさん、きたさん大先輩です。
東海道、池鯉鮒(現在の知立)宿。知立古城址から少し西へと進むと、すぐにこの“池鯉鮒大明神”と書かれた灯籠が。↓↑ここを右折。灯籠脇を歩くのは、いつも“歴史のお話”の裏方一切を仕切る、実は名ベーシストの人神人(ヒトシンド)君と、その弟子。やがて見えてきたのは、知立神社。↓↑祭の準備が始まっている。鳥居の篇額。↓手水舎。↓神池。↓↑この池に鯉や鮒が居るので、池鯉鮒(ちりゅう)という表記がされるようになったとか。拝殿。↓主祭神は、ウガヤフキアエズノミコト
我々の東海道ウォーク中に、人神人(ヒトシンド)君の、座禅ならぬ坐禅。新居宿〜藤川宿まで。こちらから、御覧下さい!↓↓↓↓↓https://youtu.be/wZdvXTS6zug?si=fYzOVXUE030nnM6T座禅!?坐禅ツアー2022/04/29,30,5/1「東海道五十三次」新居〜藤川その7東海道を歩いて坐禅を組みました。新居から藤川を3日かけて歩きました一日目:新居→二川約15km二日目:二川→赤坂約21km三日目:赤坂→藤川約11km途中神社やお寺、有名な
東海道、池鯉鮒(現在の知立)宿。山車蔵を通り過ぎるとすぐに見えるのがこちら。↓知立古城址。今は平坦な公園となっている。知立神社の神職も務めたという平安時代からの土豪・永見氏の居城で、桶狭間の戦いで落城したという。こちらは井戸跡?↓江戸時代に入ると、将軍上洛時の宿泊施設として“御殿”が建てられていたそうだが、元禄12年(1699年)の大地震で倒壊した後には、建て直される事は無かったとか。↓池鯉鮒宿地図。↓現在の知立の地図。↓広重と歩こう東海道五十三次(アート
我々の東海道ウォーク、久々に再開!令和6年5/3、約1年半振りに我々が立ったのは、こちら。↓前回の終着点、池鯉鮒宿本陣跡。明治天皇聖蹟の石碑の方が高く目立つ!※池鯉鮒=現在の知立(ちりゅう)東へと歩き始めると、すぐにこんな光景が。↓山車(だし)蔵から出て来る山車。この日は、どうやら知立神社の祭禮らしい。久々の歩き旅、無理の無い様に、出発!新版ちゃんと歩ける東海道五十三次東+姫街道楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}新版ちゃんと歩ける
こんにちワムシ伊勢、二見より帰りました🏠伊勢は暑い〜☀️まだ三重県津市の方が涼しく感じますまた詳しく書きますがおかげ横丁に行きましたら猫の石像🗿が無いマジかおかげ横丁のシンボルなのにマジか❗️何処へ❓こんな感じにおかげ横丁の入り口にあったのにその前におかげ横丁までの道のり🚶❤️の石は有名🪨地元も東海道です宝くじ売場で運試し🎯当たるかな?ベンチに座ったら前に居てました何でここに移動したんやろ?記念撮影📷冷やし抹茶が目に止まり思わず財布がゆるくなりました🍵
◎このブログの目次はこちら日曜日に友人2人と滋賀県湖南エリアをサイクリングしてきました!出発地は瀬田(大津市)、終着点は希望が丘文化公園(野洲市/湖南市/竜王町)。行きは東海道を走って、三上山(近江富士)周辺へ出て希望ヶ丘へ。希望ヶ丘では、文化公園内のサイクリングルートをぐるっと走り。帰りは希望ヶ丘から中山道へ、草津からは行きと同じ東海道を走って、瀬田に帰りました。地図上の赤い線が走行ルートです。(C)GoogleMaps|地図データ@2023(文字と線をブログ管
2番目の宿場町「川崎」少し涼しくなったこの日のウォーキング。スタートはJRの川崎駅です。川崎駅前タワー・リバークの中にあるアートガーデンかわさきには、川崎浮世絵ギャラリーがあります。建物の外に出て、一番最初に気がついたのは、川崎市のマンホールのフタです。シンプルに表現されたデザインでした。川崎は、東海道五十三次で、品川に次ぐ2番目の宿場町でした。稲毛神社は江戸時代までは、河崎山王社という名で、この宿場町の鎮守様でした。お賽銭を入れて、いろいろお願いしました。