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■頑固なホンダの技術者たちホンダの技術者は頑固で自前の技術にものすごくこだわります。ま、本田宗一郎のスピリッツがそのまま受け継がれているのですが、それが時には悪い方向に出てしまう場合がある、と私は思ってます。最近の事象としては現行FIT3のリコール問題!2014年にDCTの不具合でリコールを連発してました。記憶に新しい人も多いと思います。で、当方のことに置き換えて言えば、CBR1000RRに搭載されている‟コンバインドABS”サーキット走行も
蠍座の人の蠍座らしい言葉を集めてみました私は物事をとことん突き詰めるのが好きなんだそうすればたいてい良い結果が出るからビル・ゲイツマイクロソフト創業者1955/10/28生まれ蠍座****自分はできると信じなさいそうすれば目的の半分は達成されているセオドア・ルーズベルトアメリカ大統領1858/10/27生まれ蠍座****困れ困らなきゃ何もできない
こんばんはPajaです。いよいよ次の診察でキイトルーダの再開とインライタの再開を決める時にきました。水曜日に診察なのでまだ少し時間ありますがw薬の残数と現在の体調を月曜の夜にでもやろうと思います!人間には休息が必要で薬についても休息が必要なのかなって実感しましたwまた、血圧があがりげんなりする日々が来るのかと思うと心が重くなってしまいます。でも、ここで辞めたらがん細胞の思惑通り。ちっとキツイですがどんな副作用でも笑顔でドンマイしたいと思います!!本田宗一郎さんの名言を
みなさまこんにちは平野紫耀くん応援し続けますブログへようこそ!こちらの続きです!『続いていた派閥抗争と平野紫耀くんとキンプリという最後の砦をぶち壊す愚かさ③』みなさまこんにちは平野紫耀くん応援し続けますブログへようこそ!こちらの続きです!『続いていた派閥抗争と平野紫耀くんとキンプリという最後の砦をぶち壊す愚…ameblo.jp『続いていた派閥抗争と平野紫耀くんとキンプリという最後の砦をぶち壊す愚かさ④』みなさまこんにちは平野紫耀くん応援し続けます
YOUTUBER乃万哲一さんが、WEBヤングマシン誌にて記事を書いている。さすがバイク雑誌の「編集社」でライターをやっていただけある。両目に単眼鏡を当てて一文字一文字読ませてもらった。脱字は一文字のみ。素晴らしい。乃万さんがこれまで書き殴り散らかしてきた文章に比べたら簡潔で読みやすい。乃万さんが過去ネットにアップしてきた長い文章は、乃万さんの陶酔がなんのフィルターも通されないままクッキリ残っていた。バッキバキに陶酔したまま書き上げ、読み返し、アップしてしまったのだろう
「本当のリスクとは」何もしないのは、リスクでもあり退化でもあるんですね。森田正康氏は、「何もしないことが一番損をしていることになる」という。つまり、何もしないことが一番のリスク。何もしなければ、失敗もない代わりに、成功もない。リスクテイクとは、危険を承知の上、恐れずに挑戦すること。リスクをとって、リターンを取りに行くこと。死ぬときに後悔することのリストの上位にくるのが、「リスクを心配してあきらめずに挑戦すればよかった」だという。失敗を恐れずにチャレ
・プラグの点火確認⇒プラグは点火しました。・ガソリンホース交換⇒ホースが硬貨してましたので、交換しました。・オイル交換⇒オイル交換実施。◎エンジン試運転実施⇒動かず・プラグを交換(新品)⇒動きました。・カバーを付けると停止!⇒プラグコードの絶縁不良⇒カバーにゴムを取付けて対策⇒動作OK・カバーは再塗装で、かなり綺麗になりました50年前で、このデザインは、最高です。・最後にHONDAの発電機カバーを購入してみました。サイズを間
理系人間に興味を持っておられる皆さま、おはようございます。デジタル化推進アカデミーの岩田敏彰です。プログラマとしての生活の一端を紹介します。マイコン(ESP32)を使ってデータの記録をします。ここで使うマイコンは、こんなものです。マイクロSDカードに時刻も記録します。GPSやパソコンの機能が使えないという条件もありました。こういう場合はリアルタイムクロックしかない、という結論に達しました。リアルタイムクロックというのはこんなものです。ネットで情報を収集すると
雪の降る凍てつくような冬の朝、町中の景色が白一色となった世界の中で、雪の重みに負けず、その重みに耐えて、まっすぐに立ち続ける竹の姿には、「背負った重荷に決して負けない」そんな力強さを感じますよね。轟音を上げながら吹きゆく風が大木をもなぎ倒す台風の時でも、その柔軟性を活かし身をたわませて風の力を逃がしながらじっと耐える竹の姿には、「困難を受け流す」しなやかさの大切さを教えられますよね。この竹にちなんだ故事成語に「破竹の勢い」
京セラの稲盛和夫が死去した。かって、一部上場企業に「ヤシカ」というカメラ会社があった。経営難になり、京セラの稲盛和夫に助けを求めた。稲盛和夫はヤシカを助けるどころか、ヤシカの財産を奪い取って、ヤシカを潰してしまった。東京原宿の駅から歩いて5分の距離の明治通りにヤシカ本社ビルがあったが「京セラビル」にしてしまった。長野県下諏訪に2万坪くらいの広大なヤシカカメラ工場があったが、この工場も稲盛和夫に奪いとられた。小生が大学を卒業して入社したのがヤシカであった。当時の財界誌