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末期癌や癌終末期について色々なブログとかを見ているとわたしの母のように死ぬ直前まで痛みでのたうち回るパターンは少なくて、だんだん意識が低下して、眠っている間に息を引き取るパターンや、鎮静薬で眠らせて息を引き取るパターンがやっぱり多い。なんでお母さんはあんなに痛い思いをしないといけなかったんだろう。入院中もずっと痛がってたけど、亡くなった日の痛がり方は異常だった。例えるなら陣痛を我慢してる妊婦さんみたいな感じで、悲鳴をあげながら痛い痛い!なにこれ!?ってびっくりしながらもがいて
前回の続き。病院に着いて、お母さんに駆け寄る。すごく痛がっている。痛い、苦しい…とずっと言っている。15時頃に、痛み止め追加してもらう。早く早く!早く痛み止め効いて!!と願いながらお母さんを励ます。「お母さん!痛み止め追加したからもう少しで効いてくるはずだよ!頑張って!」背中さすったり手握ったりするけど、痛みはどんどん増してきている。15時10分。看護師さんから、24時間面会okの案内をされる。危篤状態や、患者が余命1日をきった時、泊まり込みで24時間面会okになる
ウチの親子猫♀昨年は、"立石流野菜スープ"今年の初めに、"希望の命水"スマホに面と向かって、お願いしたら、すぐに出会えたこの二つ^^この二つに共通して言える事は、どちらも、生き物に必要なミネラルが、たっぷり含まれているという事。この二つに出会ってから、ミネラルの重要性を再認識♪我が家は益々元氣になっていくので
2024年3月25日(月)息子の同席を求められた診察入院中に行った肝生検の検査結果を聞く目的だ結果は、当初の診たて通り肝内胆管がんステージⅣ+肝転移+腹膜播種に加え、リンパ節転移も確認余命は3~6か月手の施しようはなく、やれることは多少の時間稼ぎの化学療法所詮、それも気休め程度の時間稼ぎになるかならないか・・・もう私の人生の残りは数か月だと覚悟しなければならない宣告だお腹の痛みは慢性的にあるものの、あとは何も変わらないお腹もすいて食欲もある掃除も洗濯も炊事も
いつもコメントやメッセージをいただきありがとうございます。必ずお返事させてもらっています。卵巣癌は、初期症状がほとんどなく、気付きにくい癌だと言われていて、わたしのお母さんも気づいた時にはステージ4に近い状態だった。腹膜播種があり、手術をできない状態だった。そんなお母さんでも、5年前に初期症状があった。お母さんが亡くなったあとお母さんの昔の携帯でメールを見返してたら、2018年に、「最近腰痛がひどい」と書いてるメールがあった。もともと肩こりがひどくて整体やマッサージに通ってた
20228月29日暑さで食べられなくなり近所の開業医へ行く診察もせず「薬は出すが紹介状を書くので必ず明日病院に行ってください」翌日近所の病院胃腸科でCT検査後どこが原発か分からないが癌がお腹中に広がっていて末期症状なので家族を呼んで下さいと昨日の今日で焦ったけれど年なのでそれなりの心の準備はありまず仕事を辞めて検査入院持ったまま書いていなかったエンディングノートを書き始めました50年握っていたハンドルを置きました。
詐病してる方の理由が分かりました。X(Twitter)で、末期癌で死ぬ死ぬ詐欺してる方XPremiumに入ってて収益化してるみたい。2ヶ月以上も前から「死ぬ死ぬ」言ってる方が、1回あげたポストを編集機能で編集までして再掲。体調最悪の方が、一つも誤字脱字なしに編集までするなんて·····不思議なこともあるものです(苦笑)そんな方でも、文章もとても上手いのでインプレッションが何千万もあって。かなり収益出てきてやめられないでしょうね。TwitterがXになってから「リプライゾ
(2018/02/20更新)初めましての方、こんにちは。いつも見てくださってる方ありがとうございますshine(シャイン)と申します。A型さそり座既婚子なし大学卒業して、2回転職して、14年前に入社した会社で都内某企業で総務、秘書の仕事をしてました。乳がん癌ステージ4トリプルネガテイブ初発27歳の若年性乳がんになってから、AYA世代として12年間元気にがんサバイバーして生きてきましたが、2016年12月に肺、胸膜、縦隔リンパ節転移で胸水溜まって、3月に余命宣告2
今日は少しうちの家庭の話をしておこうと思いますツルピカハゲママ一家は、32歳の旦那と小学5年生の娘小学1年生の息子2歳の息子そして、37歳の私の5人暮らしです実は私、オーストラリア人とのバツイチで、今の旦那とは職場で出会い、子持ちの私を受け入れてくれ、再婚しましたいわば、ステップファミリーなのですなので、娘はハーフそして旦那とは血が繋がっていない中、私の末期癌が宣告され、残された日を、どうみんなと過ごそうかと試行錯誤している最中であります旦那が一人で3人の子供
半ば強引に退院してきた父は食事とトイレ以外はベッドの上で過ごしていました。痛みはないものの、時々高熱を出すのでその度に時間に関係なく姉が呼び出されます。私も1週間毎に泊まりに行きました。しばらくすると食事もベッドの上で摂りたがるようになり、おまけに母に食べさせてもらうという甘ちゃん状態に。ショックだったのは💩をリハビリパンツ(紙パンツ)でさせてくれと言われた時です。「支えるからトイレに行って」と頼んでもベッドに寝たまま踏ん張り始めるのです。今まで、犬猫の💩と赤ちゃんの💩
父の「婆さん連れて一緒に死ぬから放っておいてくれ!」の言葉にぶち切れた私。あろうことに、死期が迫っている父に向って「ふざけないでよ!!なんで婆ちゃんを連れて死ぬの!?一人で死ねばいいでしょ!!」やら「家族の事を思っているなら緩和ケアに入るとか思わないの!?男らしく潔く決断してよ!!」などとまくし立て、看護師さんに「あらあらどうしたの?」と心配されてしまう始末。おそらくこの一件を真剣に受け止めてくださった看護師さんが、家族も疲れてると訪問ドクターに話をしてくれたよう
父の癌が発覚した時のことR4・12月下旬母の誕生日とクリスマスを兼ねてひ孫達(姉の長男家族)の家にお呼ばれ。帰宅後におなかが痛いと訴え町医者に行きました。ただの胃腸炎とのことで胃薬を処方され帰宅。R5・1月お正月に自分の誕生日を祝って欲しいと姉夫婦にホールケーキをおねだり。1月7日激しい腹痛で総合病院に救急搬送。胃腸炎ではなさそうなので精密検査を勧められる。もともと前立腺がんの定期健診で通っていたがんセンターに精密検査の予約を入れるも2週間後。いつ腹痛に襲われるか、母が怖
オッカサンから連絡があったので、記録としてブログ更新。11月20日あたりから【腹水】が急激に増えてきて、今はもう【妊婦さん並みのお腹の膨らみ。】あまりにも苦しくて今日病院に行ってきたみたい。注射器で抜くよりも、利尿剤を飲んで尿と一緒に出すのが1番いいらしいけど、その利尿剤もあまり効果が無いらしい。Dr.&ソーシャルワーカーに言われた事↓↓♢今日元気でも、急に明日歩けなくなる人も少なくないです。♢ベッドをレンタルしておいてください。♢痛みが出てくると思うので、その場合は
2泊3日で受けきたKM-CART腹水治療の実録ルポ12月5日火曜日に日に溜まってく腹水。お腹が臨月状況で、張りが痛くててオプソをのむレベル。腹囲97.8センチ体重68.5キロ在宅往診の先生にご紹介いただき、予約電話。翌日外来予約取れる12/6水曜午後要町第二クリニックで外来初診要第2クリニック院長松﨑圭祐医師に腹水治療(KM-CART)について説明あり。過去の事例がクリニックの壁に所狭しと貼ってある。詳しくは要町病院ホームページをご覧くださいな。http://w
【永久保存版】ごぼうの党奥野卓志氏、ステージ4の末期癌が消えた方法をポスト。患部を徹底的に温めて体をアルカリ性に保つ食事で毒出しして断食しながらビタミンCで癌細胞を攻撃する「一人でも多くの方が真実に目覚めるきっかけとなれば嬉しいです」https://t.co/OKrZu2u8UK—NewsSharing(@newssharing1)April7,2024【永久保存版】ごぼうの党、奥野卓志氏、ステージ4の末期癌が消えた方法をポスト。患部を徹底的に温めて体をアルカリ性に保つ食事で毒
日本人の血管がアブナイ・・・ガンも治すか!松葉の効果松葉エキスサラサラ血流で脳梗塞など奇跡的に改善船瀬俊介■肉食で血管が詰まる・・・!アメリカ人の6割は肥満という。哀れ、二人に一人は確実に心臓マヒでポックリ死ぬ運命にある。その”肥満大国”を後追いしているのが日本である。軍事路線だけでなく"肥満路線″でも後を追っかけているのだ。なんとも情けないかぎりだ。「日本では心臓疾患はアメリカに比べてはるかに少ない。しかし、日本人がアメリカに住んで、アメリカ式の食事をするとどうなるか?彼らの心
どうやら、フェンタニルテープとオキノームが効いてない。強力な痛み止めのはずなのに…夜も、痛くてほぼ一睡もできていない。眠剤が全く効いてない。ずっと痛みと吐き気と、腹水苦しいのをひたすら我慢している。日中の面会中は、わたしかお父さんかお兄ちゃんがずっと一緒にいるから、マッサージしたり、色々気がまぎれるけど、夜は1人でひたすら痛みに堪える時間が長くて、夜がくるのが怖いって言ってた。朝がくるのがひたすら長く感じるらしい。コロナがなければ、夜もずっと一緒にいられたのかな。面会時
お母さんは卵巣がんだったけど、さいごは全身に転移してたんだろうなぁと思う。緩和ケア病棟では何も調べたりしないから分からないけど、入院した時点で、肺に転移してるって言われてたし、腹膜播種でお腹に癌が散らばってる状態だったから。とにかく腹水がすごくたまって、抜いても一日経てばまた3リットルくらい溜まってしまう状態だった。腹水抜いた時、お腹から出血したこともあった。お母さんのパジャマのお腹の部分が血で滲んでた。妊婦さんみたいにお腹が出てて、苦しいってよく言ってた。足のむくみもほんとにひど
いろんな方のブログを拝見させてもらったり、コメントをしてくださったりで本当に元気と勇気、希望をもらえます。あたたかいコメントにいつも泣けてしまう。人前であまり泣く性格じゃなかったのに最近いつでも泣ける(笑)本当にあたたかい人ばかり。たくさんの方にいろんな思いがあり、頑張っているという言い方は違うかもしれないけれど、いろいろな思いを持って今を生きていると感じて、すごく励みになり私も頑張ろうと思えます。ありがとうございます。母が朝ご飯作ってくれた。トマトをすりおろし
9時間の大手術を乗り越えて4ヶ月の入院生活を過ごした父は、リハビリを頑張り、私たちの心配をよそにボケることもなく、5月、晴れて退院することが出来ました。6月には姉夫婦、私と夫、孫たちを呼んで快気祝いをする程元気になり、7月には姉の反対を押し切り、夫婦で2泊3日の温泉旅行に行きました。その温泉旅行が父と母の最後の旅行になりました。旅行から帰ってきた夜に父が高熱を出し3度目の救急搬送に。胆管が詰まっているとのことで、8月2日再手術をしました。手術後は下血が続いたり、コロナ陽性に
腋窩のつっぱり感と違和感は相変わらずですが、術後の傷の状態は全体的に良好です。もう少しで、術後一カ月になるので、体調的にもだいぶ回復してきたような気がします。ところで、先日のブログで亡くなった母について触れました。両側乳がん【術後25日】母親が癌になるということ今日は母の事を少し書きたいと思います。今から20年前、私が26歳の時に50歳で亡くなった母ですが、骨転移してはじめて癌が発見されました。最終的に紹介されたがんセンターで原発巣を探した結果、非常に難治性の高い癌だ
「病気③」皆様こんばんは。前回は告知からの状況まででした。家に帰って、母と泣きました。息子は、まだ小さかったので話しましたが理解できませんでした。肺がんステージ4の末期癌と告知され「直ぐに死ぬ」と正直思いました。何をするべきか考え、その日から毎日mixiに闘病日記を書き始めました。息子に、私=お母さんと言う存在を覚えていてもらいたくて書き始めました。mixiが過疎化になり、これから先に文章を残すならFacebookの方が良いかと移行し、先日やっとブログをスタートしました。2010
8月のお盆休みに勝手に退院してきた父。通常なら一ヵ月ほどかかる介護認定も、末期癌ということで特別措置をしていただき数日後には介護用電動ベッド、トイレと浴室の手すりの設置が完了しました。入院中は一度もお風呂に入れなかったため、姉と私が変わりばんこで入浴介助をしました。と言っても、背中を流す程度で他は自分で洗ってもらい、出るときに転ばないように待機するといった程度でとにかく父のプライドを考慮し、局部を見てはいけないという気持ちでタオルを掛けたり立ち位置を考えて介助しました。
若い人の末期癌やお年寄りの急激な癌の進行など普通では考えにくい事象で亡くなっているのです「ひとの死」を最前線で見ている葬儀屋さんの実感コメント。若い人の末期癌、急死が「普通」になった異常な社会。https://t.co/KyXk3HbkDH—KAITO(@teteatete2021)February27,2023テレビは絶対に言いませんそりゃそーですよ、わかるわけがない、死が日常にある仕事の方以外は。その中でもS級の葬儀屋が言ってるんですよ。ワクチン始まって
6月14日22時50分頃旅立ってしまいました。2017年5月に末期癌と診断され、約2年の闘病生活でした。私が到着するまで頑張って待っていてくれました。看取ることができ、私は幸せモノです。
父と母が泣きながら大失禁の片づけをしたと聞かされた時姉は「老々介護は無理だから病院に入院して。」と言ったそうです。父は「治療は受けたくないし自宅で臨終を迎えたい」と、母は「体力的に娘たちに頼るか入院してもらわないと無理。でも、爺ちゃんは自宅で死にたいと言ってるから可哀想・・」私は、やはり最後の最後は緩和病棟に入ってもらってプロの方々に身体のケアをお願いしたいと思っていました。訪問ドクターと看護師さんにも父は「一切治療はしたくない。」と宣言していたため、本来ならば週に2回
末期がんと言われ、ダメ元で治療に専念し、奇跡的に完治かはどうか分からないが症状が無い所まで至る。そういった方が幸あれの報告されては叩かれていますが。コメント等読んでると確かに、寛解もしくは完治したのであれば、困っている方も多々いらっしゃるわけで、良い情報も伝えてあげてもいいかと個人的には思います。ましてクラウドファンディングしたのなら。自身の場合は個人メッセが来たら情報共有としてお伝えは致しております。かなり前に、研究学校だったかな?そこから取材で依頼はありましてイン
今日は初めてコンサートって言うものに行った。これまでにコンサートって言うものに一度も行った事がない。その初めてとなるコンサート。小田和正さん。場所は大阪城ホール。席もそこそこ良く、アチコチと動き回られる方なので、他の席の方々への配慮も素晴らしい。最新の曲からオフコース時代の曲を披露。曲を聴いてる最中、ずーっと涙が出てた。「大きい病気もしたが、この人に会う為に末期癌と言われ辛い経験を乗り越えて来たんだなー」って思いながら。
主人の病室でたわいもない話をしていたら、コンコンっとノックの音。チラッと見えるスーツ。誰かなぁ。。。すると、主人のがいきなりかしこまる。(゚д゚)上司の方!?飛行機にのってわざわざ!?その上司の方にはまだ末期癌と伝えていなかったけど、せっかく遠いところ来ていただいたからと主人が今の病状を説明。上司の方は涙を堪えきれず泣かれてしまった。主人も私も今まで我慢していたものが溢れ3人で泣いた。泣いている主人をみて、本当に癌が憎くてたまらなくなった。悔しい。なんで主人なの?
猫の口の中を見ると、腫瘍に埋め尽くされて喉の空間が見えないくらい。鼻はだいぶ前から殆んど通ってないから、口から呼吸が出来ないならかなりの苦しさのはず。今後どうするかの決定権は母親が握ってる。安楽死はやりたくないようだ…進行しかしない状態でこのままいけば窒息死。安楽死と自然死どちらを選んでも…安楽死には罪悪感が自然死には本人の苦痛が