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昨日はトドックさんの配達日でしたがいつもの時間より1時間ほど遅れ、しかも卵を忘れてるのではないかと、ラブを抱っこして1階に降りて行き配達のお兄さんと話をしてました。卵は抽選になっていて今回は外れたとのことでした。鳥インフルエンザの影響で抽選になっていたんですねえ。1階のご夫婦がお庭に出てました。すぐに奥さんがやってきてラブを抱っこし、そのまま立ち話です。ラブを芝生の上におろしてあげましたが、ノーリードのせいか落ち着
みなさま、今週月曜日の表題の番組はご覧になったでしょうか?リアルタイムで見ていたのですが、終始複雑な気持ちで、最後はいたたまれなくなって涙してしまいました。不敬と言えば不敬なのですが、承知で今日の記事を書かせていただきます。NHK『映像の世紀バタフライエフェクト』昭和天皇後編“現人神から象徴へ”描く(オリコン)-Yahoo!ニュースNHK『映像の世紀バタフライエフェクト』(後10:00)では、きょう6日放送で「昭和天皇後編現人神から象徴へ」を届ける。戦争指導者を裁く東
本日、2026年4月29日(水・祝)昭和の日午前10時00分より祈りのシンフォニー∞未来に繋げるTASUKIVol.15〈日本全国社寺の五芒星逆巡りにより破壊された結界修復の祈り第三弾〉を行ないました。ご参加くださいました皆様に、心より御礼申し上げますm(__)m祇器社メンバーは午前中に無事に祈り終えました。今回もお寺のいっかくをお借りして行ないました。午前10時。開始の合図のように、ご祈祷(護摩)が本堂で始まりました。お経が外に聞こえるようにスピーカーが設置され
タイトル:昭和天皇の「願い」と皇室の未来―「浩宮の後は浩宮の子」が問いかけるもの序章:平成、そして令和の時代に響く「お言葉」私たちが「平成」という時代を終え、「令和」という新しい御代を迎えてから、はや数年が経ちました。上皇陛下から天皇陛下へと、滞りなく皇位が継承された「生前退位(譲位)」は、国民の多くに安堵と祝福の念をもたらしたことと拝察いたします。しかし、この平穏な継承の陰で、日本の皇室が将来にわたって安定的に続いていくための根幹に関わる問題―すなわち、皇位継承者の確保の
今年は終戦から80年が経過。戦争の愚かさや悲惨さ、核廃絶が各地で訴えられています。1945年3月10日、約300機のB29が東京上空に飛来し、33万発以上の焼夷弾を投下。江東区・墨田区・台東区の下町は一夜で焼け野原となり、10万人が命を落とした。さて、ここで東京大空襲の被害地図を改めて眺めると、奇妙なことに気づきます。東京中心部に、なぜか「無傷」で重要な施設があるのだ。「無傷」だった施設戦争における爆撃の常識を考えてみよう。攻撃すべき最優先の目標は、
中学生娘のクリスマスプレゼントリクエストは昭和天皇の御巡幸でしたクリスマスラッピング期間に間に合ったのでよかったいや、しかしこれでいいのか??(汗)
「香淳皇后実録」が初めてWEB上で公開されて、私は小説の為に必要な部分だけを読んだにすぎませんが、この映像を見ると、いかに香淳皇后が女性として自立し、学問や音楽に精通し、生涯を「学び」として全うされたという事に感動いたします。この香淳皇后の素晴らしいDNAは秋篠宮家に受け継がれ、絵が上手な真子様、音楽やダンスが好きな佳子様、そして学問好きな悠仁殿下の大元がここにあるのだと思います。香淳皇后とは昭和天皇の后です。昭憲皇太后や貞明皇后は華族のご出身でしたが、香淳皇后は久邇宮家
産経新聞で、旧皇族の伏見博明氏へのインタビューの連載が9月にありました。全部で29回です。旧皇族が注目されていますし、興味深いお話でした。特に後半に行くほどに、上皇上皇后両陛下との長い交流のエピソードは、伏見氏ならではかと思います。上皇さまとの昔話に上皇后さまは…伏見宮家第24代当主も戦後、15歳で皇籍を離脱話の肖像画伏見記念財団代表理事・伏見博明<1>《伏見博明氏。伏見宮家に生まれ、昭和21年に第24代当主になるも、翌22年に皇籍離脱。その後は「平民」としての生活を送ってきた》ww
もしかしたら、三島由紀夫さんは皇位継承についても交霊のメッセージを受け取っていたのかも。「英霊の聲」は三島由紀夫さんに降りた霊の力を借りて書き上げられました。当時、昭和天皇にも三島由紀夫さんのことは彼の主張と共に耳には入っていたと思う。三島由紀夫さんが自決された時、浩宮(今の天皇陛下)は皇太子殿下として、お育てになられていました…。昭和天皇は不安に思い、三島由紀夫さんの主張を退けて、遺言として、皇位継承については今後、皇族間で争いが起こらないように、「浩宮の次は浩宮の子」として、音声で
イメージ画像です。産経新聞2026/1/307:00昭和天皇の長女で、昭和36(1961)年に、35歳の若さで亡くなった東久邇成子(ひがしくにしげこ)さんは大正14(1925)年12月6日生まれ。生誕から100年、令和8年は没後65年を迎える。皇女として育ち、皇族の東久邇宮家に嫁ぐも皇籍離脱で市井の主婦となった成子さんは、戦後の混乱期にやりくりしながら子育てをする暮らしぶりを雑誌に寄稿するなど、当時の皇室と国民の〝架け橋〟となった。「国民の中へ」という姿勢は令和の皇室に