ブログ記事87件
ふと、ある事に気づいた。勝手な考察ですけど。何度も登場している大伴金村の子、大伴佐手彦。(537年~550年頃)大伴佐手彦の「て」は主に「手」を当て字としている。※指・手のひら・手首・腕などにいう。古くは枕草子の歌に「手」がある。佐弖彦とあっても「手」が正しい。しかし、アテルイなど多くは貴族、豪族ではない先住の人には「弖」をあてるようだ。記録をする人が異なる民族(先住民)に対して使うからだろう。これ重要。弓月というツクヨミの存在を知っている者が主に歴史編纂をしていたとし
かつて栄華を極めた平和な縄文、そして東北日高見国。しかし、縄文も、日高見国も大陸から侵入してきた渡来人たちに侵略された。侵略した彼らは私たちから日の丸を奪いこの列島で「日本」を名乗った。その支配体制は、2019年の現在でもまったく変わっていない。(澤野大樹)日本という国は、元々、「日本」という国名ではなかったといいます。本当の名は。東北縄文「日高見(ヒタカミ)国」列島の隠された歴史とは一体…さて、改めましてこんにちは。澤野大樹氏青森講演会主
前回の続きです。『【兄の九州・弟の東北①】櫛の「くじら」は葛城襲津彦?「崩れる」隠語になったワケ』葛城襲津彦が繋がってきたのだけれど難しいので、気になる所だけ記録。つまっているので、長いです・・・鯨の櫛羅(くしら)くじらが繋がった話だけを、つらつらと…ameblo.jp唐桑半島付近に上陸した熊野が、一関の内陸へ向かい、室根山に熊野権現を祀ったと伝わります。その内陸にあたる蝦夷征伐で朝廷がやってきたところ、達谷窟堂は「大すみの長者」とよばれた金をもつ有力な豪族がいたといっ
今回の常陸国神社巡りで自分の考察がある程度まとまりました。先に書きますが古事記などの古典を否定するのではなく実際はこんな古代史だったんじゃない??と考察してるだけです。先日も書きましたが学校教育に古事記を取り入れて欲しい!!さて考察に入ります。考察ベースは出雲口伝ですがかなり違うと思います。旧石器時代から縄文時代にかけてインドからクナト一族が樺太、北海道、そして津軽海峡を渡り本州に入り、青森三内丸山で大きな集落を形成した。旧石器時代から縄文前期では中国大陸や朝鮮半島に行ける船も航海