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息子→通信制高校からの大学2年生。ゲーム。パソコン好き。昼夜逆転が得意。娘→通信制高校の1年生。ゲーム、アニメ、二次創作小説、哲学好き私→2人の子の母ちゃん。アニメ読書ブログ好き。娘と大学のオープンキャンパスに行きました。「立正大学」(私立大)立正佼成会とは関係ありません。日蓮の「立正安国論」に由来しています。場所は東京都にある品川キャンパス。(埼玉県にもキャンパスあります)品川といっても、JR山手線の五反田や大崎が最寄りです。娘のお目当てはもちろん、「哲学科」。学科紹
与謝野鉄幹・明治6年(1873年)2月26日生~昭和10年(1935年)3月26日没(享年62歳)与謝野晶子・明治11年(1878年)12月7日生~昭和17年(1942年)5月29日没(享年64歳)人を戀ふる歌(三十年八月京城に於て作る)妻をめどらば才たけて顔うるはしくなさけある友をえらばば書を讀んで六分の俠氣四分の熱戀のいのちをたづぬれば名を惜むかなをとこゆゑ友のなさけをたづぬれば義のあるところ火をも踏むくめやうま酒うたひめにをとめの知らぬ意氣地あり簿記の筆
[小野十三郎(1903-1996)、40代前半頃。]第3詩集『古き世界の上に』昭和9年(1934年)4月15日・解放文化聨盟出版部(植村諦聞)刊いたるところの決別小野十三郎俺は友が友をそむき去る日を見た相手の腕は折れ額に血潮のにじみ出るのを見た俺は又一枚の表札が剥がれ一台のトラツクの走り去るのを見たトラツクに積み込まれた夜具や鏡台や七輪を見たさやうなら!がつかりしちや駄目俺は彼女たちの明るい声を聞いた俺は彼女たちの勇ましい沈黙と微笑を見たそして俺は見た一切
ひつぞうの偏愛的読書【17】泉鏡花著『日本橋』(岩波文庫)1953年(1914年初刊/千章館)(画像はすべてネットより拝借いたしました)こんばんは。在宅勤務はむしろ働きすぎの呼び水になると実感しているひつぞうです。おかげでだらだら仕事の日々。ぜんぜんブログの更新ができませんな。ま、記すべき話題もないというのが本音だけど。性懲りもなく今夜も本の備忘録。取り上げるのは泉鏡花の花柳小説『日本橋』。※興味のない方申し訳ないです。スルーしてちょ。★★★記憶が定かならば鏡花
明治44年/1911年・28歳の高村光太郎(1883-1956)詩集道程(抒情詩社・大正3年10月25日刊)道程高村光太郎僕の前に道はない僕の後ろに道は出来るああ、自然よ父よ僕を一人立ちにした広大な父よ僕から目を離さないで守る事をせよ常に父の気魄を僕に充たせよこの遠い道程のためこの遠い道程のため(詩集「道程」大正3年/1914年10月刊より)*この詩「道程」は、高村光太郎(1883-1956)の多くの詩の中でも「レモン哀歌」(「智
最近はアメブロだけでは無く、SNS全般がやる気なくなった、多忙だからも有るのだろうけど、昔、探偵で超多忙な期間でも空き時間にGREEを精力的にやっていた頃があるから多忙な事だけが原因とは考えにくい作家脳が蘇ったからと肯定的に捉えたい、でも作品を書いてる時間は無い、先の事を考えると日本文学を勉強しないとダメですね🌌
こおろぎ嬢と呼ばれる若い女性を主人公に据えるこの物語は、「風のたより」に基づくという設定であるために様々な噂や憶測から成っている。語り手の「私たち」も「私たちの物語の女主人」(英語の定型句“Ourheroine”を思わせる)という決まり文句に表れているように、特定の人物というよりも読者と作者の共同体のような概念的存在にすぎない(149)。こおろぎ嬢が恋をする相手は、彼女が呼んでいる物語の主人公でうぃりあむ・しゃあぷ氏という。その物語の中で、しゃあぷ氏はふぃおな・まくろおど嬢と相
梅崎春生によって戦後まもなく書かれた短篇小説。語り手の「僕」はあるとき電車で震えていると、見知らぬ男から外套の施しを受ける。男は「人から貰う側よりやる側になりたい」と常々自ら言い聞かしているそうである。二人は酔っぱらっているのだが、男は会社が倒産して職を失ったばかり、「僕」はお金に困って安酒を飲んでいた。「僕」は「偽物だかりが世の中」を席捲していてつまらないというが、この心地よい酔いだけは本物なのだ。しかし、一週間ほどたつと、男は「僕」から外套を奪い返す。まるで追剥かのような自らの所業
島崎藤村・明治5年(1872年)3月25日生~昭和18年(1943年)8月22日没(享年72歳)『若菜集』明治30年(1897年)8月29日・春陽堂刊髮を洗へば髮を洗へば紫の小草(をぐさ)のまへに色みえて足をあぐれば花鳥(はなとり)のわれに隨ふ風情(ふぜい)あり目にながむれば彩雲(あやぐも)のまきてはひらく繪卷物(ゑまきもの)手にとる酒は美酒(うまざけ)の若き愁(うれひ)をたゝふめり耳をたつれば歌神(うたがみ)のきたりて玉(たま)の簫(ふえ)を吹き口をひらけばうた
放送大学の第2学期、面接授業の科目が発表されましたね。システムWAKABAでの検索は7月から、らしいですが、PDFファイルでの日時と内容確認ができます。で、ショックなことが一つありました。第1学期に受講して、すごく面白かった同志社大学教授の瀬崎圭二先生のものが、先生の予告通り11月に続編があるにはありましたが、なんと平日の水曜日と木曜日でした。ガーン、仕事があるので、もちろん、受講できません。それをすごく楽しみにしていただけにショックです。僕は、3年次編入の全科履修
石原吉郎・大正4年(1915年)11月11日生~昭和52年(1977年)11月14日没(享年62歳)自転車にのるクラリモンド石原吉郎自転車にのるクラリモンドよ目をつぶれ自転車にのるクラリモンドの肩にのる白い記憶よ目をつぶれクラリモンドの肩のうえの記憶のなかのクラリモンドよ目をつぶれ目をつぶれシャワーのような記憶のなかの赤とみどりのとんぼがえり顔には耳が手には指が町には記憶がママレードには愛がそうして目をつぶったものがたりがはじまっ
私が本が好きだということは度々書いてきましたが、実は代表的な『日本文学』は、ほぼ読んだことがないのです。夏目漱石の『こころ』『坊ちゃん』『三四郎』太宰治の『斜陽』『きりぎりす』『富獄百景』川端康成、谷崎潤一郎、芥川龍之介……作家もタイトルも有名すぎて知ってはいますが、作品は読んだことがないのです。中学・高校の教科書で出てきた作品は、授業の範囲で覚えていますが、その範疇を超えたことはないので、今でも内容はうろ覚え。中学生の時に現国の先生が太宰ファンで、『人間失格』は強
薄田泣菫・明治10年(1877年)5月19日生~昭和20年(1945年)10月9日没(享年68歳)公孫樹下にたちて薄田泣菫一ああ日は彼方、伊太利の七つの丘の古跡(ふるあと)や、圓き柱に照りはえて。石床(ゆか)しろき囘廊(わたどの)のきざはし狹(せば)に居ぐらせる青地(あをぢ)襤褸(つづれ)の乞食(かたゐ)らが、月を經て來む降誕祭(くりすます)、市(いち)の施物(せもつ)を夢みつつほくそ笑(ゑみ)する顏や射む。ああ日は彼方、北海(きたうみ)の波の穗がしら爪(つま
こんばんは。渋幕の説明会では「ご家族が生まれる前の時代の文学を読んでほしい」というお話がありました。説明会は3~6年生の間に9校実際に足を運んだり、動画で見たりしましたが、こんなに具体的な話があったのは渋幕だけだと思います。小学生向けとは思えない難解な文豪作品がこれまでに出ています。難解な作品をたくさんは読めないし、どうしようと思い、探したのがこれ。明治大正昭和の名作文学をマンガとあらすじの文章で、作家の人生や他の文豪との人間関係についても紹介しています。文豪作品って今見ると無茶苦茶
[小野十三郎(1903-1996)、40代前半。]小野十三郎第4詩集『詩集大阪』昭和14年(1939年)4月16日発行定価1円四六判87頁角背フランス装装幀・菊岡久利早春小野十三郎ひどい風だな。呼吸がつまりさうだ。あんなに凍つてるよ。鳥なんか一羽もゐないじやないか。でもイソシギや千鳥が沢山渡つてくると云ふぜ。まだ早いんだ。広いなあ。枯れてるね。去年もいま頃歩いたんだ。葦(よし)と蘆(あし)とはどうちがふの?ちがふんだらうね。何故?向ふのあの鉄骨。どこだ
おはようございます。先生精機㈱総務課大野です。今日は、日本語の素晴らしさと太宰治の作品を通じて、表現力を磨く方法についてお話ししたいと思います。効果的な表現力は非常に重要です。これを身につけることで、自分の思いを正確に伝える力がぐっと向上します。日本語の美しさと豊かさ日本語は、その美しさと表現の豊かさで知られています。日本語には、多様な表現方法があり、それぞれが微妙なニュアンスを持っています。例えば、「走る」という動作一つをとっても、速さや様子を表す多くの言葉があります。
ツミデミックAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}あらすじあらすじ短編全6話飲食店の客引きのアルバイトの最中、出会ったのは中学の同級生と同じ名前の女。井上なぎさー彼女は踏切事故で死んだはず。だが彼女の話す内容は、まさしく彼女で‥(違う羽の鳥)出会ったのは一瞬。自転車ですれ違っただけのフードデリバリーの配達員にもう一度会いたいと思い、時間を見つけてはデリバリーを頼むようになった主婦の百合。しかし、中々意中の彼には当たら
「現代詩手帖」昭和45年=1970年10月号(山本陽子<昭和18年=1943年生~昭和54年=1984年没>)遥るかする、するするながらIII山本陽子遥るかする純めみ、くるっく/くるっく/くるっくぱちり、とおとおみひらきとおりむく/ふくらみとおりながら、わおみひらきとおり、くらっ/らっく/らっく/くらっくとおり、かいてん/りらっく/りらっくりらっくゆくゆく、とおりながら、あきすみの、ゆっ/ゆっ/ゆっ/ゆっ/とおり、微っ、凝っ、/まっ/じろききすき/きえ/あおあおすき
橋秀綱監督による日本の短編映画。<あらすじ>せめて料理でも出来る様になって男心を掴みたい、恋に不器用な35歳独身の橙子。ふと思い出した祖父の言葉で秋刀魚を買ってみるが、料理の仕方が全くわからず、近所に唯一の本屋に立ち寄ってみる。だが、そこは日本文学専門の古書店。<雑感>古書店の店主はわけのわからないリクエストをする女性に、七輪でサンマを焼いて食わせる。これは短編としてちょっと雰囲気があって面白かったよ。焼いたサンマの味ってみんな舌の記憶として残っているから、あれ
<和歌>源氏物語和歌/現代口語訳全795首第08帖『花宴(はなのえん)』8首101「おほかたに花の姿を見ましかばつゆも心のおかれましやは」(藤壺)(もし、世間の人並みに花の姿(花のような美しいお姿)を拝見するのであれば、露ほどの気遣いを抱くでしょうか、いや抱きはしません(気兼ねなく賞嘆できましたでしょうに))※「ましか」は、推量の助動詞「まし」[反実仮想](もし~であったら~であろうに、の意)の已然形「ましか」、未然形接続※「心置く」は、気にかける、気を遣う、気を付け
私について、チャットGPTに聞いてみました佐藤ポーラは、日本の作家であり、翻訳家としても知られています。以下に彼女の主な情報をまとめます。###プロフィール-**名前**:佐藤ポーラ-**職業**:作家、翻訳家###経歴-**執筆活動**:佐藤ポーラは、日本文学と英文学の両方に精通しており、特に現代文学の分野で活躍しています。彼女の作品は、しばしば日本の文化や社会について深く掘り下げる内容が特徴です。-**翻訳活動**:日本
坊っちゃん改版(新潮文庫)[夏目漱石]334円楽天誰もが知っている日本文学&物語内容をすっぽり忘れていたシリーズその2である。「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」主人公の「おれ」は、持ち前の無鉄砲さから成り行きで四国の中学校で数学教師として赴任することになった。「おれ」は東京出身で下女の清(きよ)に「坊っちゃん」と呼ばれ可愛がられて育ち、四国の町の狭さと、自分の行動が翌日には学校中に知れ渡っている窮屈さと生徒のいたずらに手を焼きながら日々を過ごして
<和歌>源氏物語和歌/現代口語訳全795首第04帖『夕顔(ゆふがほ)』19首026「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」(夕顔)(当て推量ながら、あのお方(源氏の君)かと存じます、白露の光に添えて、美しく光り輝く夕夕顔の花(お顔)は)※外に居るのは光源氏、夕顔の期待する相手の頭の中将ではないが。白露は気品のある男のこと。「夕顔」で人の顔を暗に示し、「光そへたる」の「光」で「光る君」と察していることを匂わせている。◆IthinkIneednotask
太宰治の代表作「人間失格」とそのイタリア語訳を比較しながら,イタリア語を勉強しています。前回から始まったこの企画ですが,はしがきの冒頭のこの一節。私は,その男の写真を三葉,見たことがある。この一節の中の「その男」ですが,なぜ,ここは「その男」なんだろうとふと思いましてね。例えば...。私は,この男の写真を三葉,見たことがある。私は,その男の写真を三葉,見たことがある。私は,あの男の写真を三葉,見たことがある。この3つの文が表
[高橋新吉(1901-1987)・21歳、第1詩集『ダダイスト新吉の詩』刊行の頃]『ダダイスト新吉の詩』中央美術社・大正12年(1923年)2月25日今回老若男女美男美女・紳士淑女の皆さまにご紹介する愛媛県伊方町生まれの詩人・高橋新吉(明治34年=1901年1月28日生~昭和62年=1987年6月5日没)は長い詩歴を誇った人で、86歳で逝去する最晩年まで新作詩集を発表していましたから、1980年代半ばには高橋新吉や岡崎清一郎(1900-1986)、草野心平(1903-1988)、小野十
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は芥川賞を受賞した小説だ。第1稿では「クリトリスにバターを」という過激なタイトルがついていたらしく、在日米軍基地がある福生が舞台になっている物語では人種の入り乱れる乱交パーティが開かれる。パーティ以外でも違法薬物の使用を含むヒッピー的な生活が描かれていく。物語にははっきりしたプロットが存在せず、行間のスペースで区切られる文章の塊は、辛うじて時系列順に並んでいるものの、その連続性は途切れがちだ。まずは、この物語で多くの紙幅を割かれている乱交パーティに注
こんにちは!以前、小川未明の『赤い蝋燭と人魚』について語りました♪今回は同じく小川未明の小説、『野ばら』を私なりに考察していこうと思います。あらすじを以下にご紹介しますが、青空文庫でサクッと読めるので全文読みたい方はこちらから♪目次◆あらすじ◆野ばらの存在意義◆「白」の意味◆なぜ野ばらは枯れたのか?◆あらすじこのお話の主な登場人物は二人の男性です。そして舞台は国境です。登場人物の一人は老人で、もう一人は青年。老人は大きな国の兵士で、青年は小さな国
<和歌>源氏物語和歌/現代口語訳全795首第34帖『若菜(わかな)上』24首459「さしながら昔を今に伝ふれば玉の小櫛ぞ神さびにける」(秋好中宮)(さながら昔のままに今日まで持ち伝えてきましたので、玉の小櫛は神々しくなりました(すっかり古くなってしまいました))※「さしながら」は、「然しながら」(すっかり、さながらの意)と「挿す」を掛ける、「玉の小櫛」は斎宮下向の折、帝が手ずから額に挿された黄楊(つげ)の櫛のこと※「神さび」は、神々しく振る舞うこと◆Ifear
<和歌>源氏物語和歌/現代口語訳全795首第18帖『松風(まつかぜ)』16首283「行く先をはるかに祈る別れ路に堪へぬは老いの涙なりけり」(明石の入道)((姫君の)将来をはるかにお祈りする旅の別れに、堪え切れないのはこの年寄りの涙でした)◆Theoldweepeasily.andIamweepingAsIpraythatforherthehappyyearsstretchon.284「もろともに都は出で来このたびやひとり野中の
北原白秋・明治18年(1885年)1月25日生~昭和17年(1942年)11月2日没薔薇の木に北原白秋薔薇の木に薔薇の花さく。なにごとの不思議なけれど。(詩集『白金之独楽』より)*北原白秋(1885-1942)のこの短詩は、三日三晩で書かれたという短詩全95篇を収めた第5詩集『白金之独楽』(大正3年=1914年12月・金尾文淵堂刊)では2篇の連作になっていました。その後のアンソロジー類への収録に当たって単独では先に上げた3行詩に改められましたが、『白金之独楽』は全編漢字と